こちらは祭神が南部光行(みつゆき)、南部信直(のぶなお)、南部利直(としなお)、南部利敬(としたか)の四名の南部家当主からなります。
創建は盛岡藩7代藩主(盛岡南部8代、南部宗家33代)の南部利視公(としみ)。
盛岡南部家の家祖である信直公を祀ったのが始まりで当初は「淡路丸大明神」と言ったそう。
その後盛岡藩10代利敬が櫻山大明神と改称し、数年後南部家初代・光行を合祀。
明治維新後に盛岡城跡地が南部家に払い下げられると現在の位置に社殿を創建、大正期に盛岡藩初代・利直、10代利敬を合祀し現在に至るそうです。
南部鶴の像と家紋。