楢神社 天理市楢町下宮 | 偏愛的奈良

偏愛的奈良

奈良の山村の神社を巡り記憶(録)に留めます。
磐座、古代祭祀、旧鎮座地の痕跡を探し巡っています。
ゆえに朱印のある神社はほとんどありません。
たまに偏愛的な酒、音楽、映画、文学、絵画、写真、演劇も。

2020年9月16日

天理市楢町 楢(なら)神社 祭神:五十狭芹彦(いさせりひこ)命

上街道沿いに鎮座。

五十狭芹彦命は第7代 孝霊天皇の皇子で明治維新から昭和31年までは五十狭芹彦神社と呼ばれていた。

本地を鬼子母神とし、子授けの神として信仰されてきた。

「もとは東へ約1㎞の東大寺山にあったと伝え、旧社地に天照大神を祀る神明神社があり上の宮といい、楢神社を下の宮ともいう。」と、

奈良県史にありますが、神明神社の鎮座地が分かりません。東大寺山(古墳)辺りの地図にも見当たりません。

奈良県神社庁のHPでは、楢神社の北へ3軒隣になっています。

検索して見つけました。『かぎろひの大和路』さん(お世話になっています)が必死に探して見つけブログに詳しい道順まで紹介いただいておりました。古墳、廃寺、鬼子母神、元宮と好立地のようです。

 

 

1862年 春日移し

8代目市川団十郎(1823~1854年 天保から幕末に活躍)が奉納した実増井(三枡井・みますい)の井筒、子供を授かる霊水といわれています。この井戸かな?