秋篠寺の苔 | 偏愛的奈良

偏愛的奈良

奈良の山村の神社を巡り記憶(録)に留めます。
磐座、古代祭祀、旧鎮座地の痕跡を探し巡っています。
ゆえに朱印のある神社はほとんどありません。
たまに偏愛的な酒、音楽、映画、文学、絵画、写真、演劇も。

たまに苔だけを眺めに秋篠寺を訪れます。

こんもりとした常緑樹の森におおわれているのが見えまてきます。

この日(4日)は台風の影響で風が少しあり木々が騒めいていました。

 

苔を眺めて、ぼーっとしていると段々と五感が甦ってきます。

風が揺らす木の音、鳥の鳴き声、ツクツクホウシのすでに弱弱しい鳴き声(騒々しいクマゼミの季節がが終わっており助かりました)、虫の羽音、遠くに感じる車の音、

静寂に感じますが音に満ち溢れています。

 

苔を見ていると、時について思います。

苔、草、木、石、鳥、昆虫、私。同じ空間、同じ時間に存在しているが、それぞれ時間の流れ方が違うのではないか?

足を這い上ってくる蟻は1年後は存在しないだろう。

枯れた木が苔生すまでどれくらいの時間が必要なのだろう?

新たな芽が全て大きく成長出来ないであろう。

そこにある石は私の死後何百年経ってもそこにあるかもしれない。

自然の摂理です。理解できるはずもありません。