今日昼 11時 長崎原爆死没者追悼 の放送がありました
広島に次いで誠に痛ましい惨劇の舞台となってしまった長崎
果たして落とされる必要はあったのか?
アメリカによって投下された悪魔の兵器によって 多くの人々が焼け死に
多くの方が今もなお苦しんでいる
歴史には載せられていない 伝えられていない事実をどうして隠すのか?!
当時の様子は伝え聞きではあるものの 細かに聞いてきたつもり
祖父や祖母 また、その知人等からの伝え聞き
実際にその時代に生きてきた人のナマの声
言葉にしようもないくらい悲惨な生活を余儀なくされていたようだ
建前は 「日本勝利」 「欲しがりません勝つまでは」 だったけれど
本音は 「戦争よ、早く終わってくれ!」
「普通に暮らしたい」
それだけを願って生きながらえる生活だったようで
笑うことなど忘れてしまった、、と
ここら辺は 体験した人にしか分からない苦悩の日々だったと聞きました
当時の生活 は 本当に惨めだったようで
食うにも困るような 、、江戸時代の 穢多 非人 の生活だったと
軍部に物資等 全部持って行かれ わずかな着物と畑のみ
政治も 軍部が仕切っていて 天皇でさえも口出し出来ないほどに権力を持った軍部は
もはや、「北○○」 人々の暮らしよりも自分たちの懐を権力を高める事に走ってしまった
それまでも幾度となく戦争を繰り返してきた日本だったがその都度、産業革命を起こし
発展国への道を進んでいた
狭い日本にとって、足りないものは資源
1931年に起こした満州事変がその資源を狙ってのモノ
1939年に勃発した 第二次世界大戦で 各国がヨーロッパに勢力を集中させ
その間隙を縫って軍部は中国等 東アジア占領に走り出した
何度も経験してきた「戦争での勝利」 (日清 日露)によって軍部は調子にのっていた、と言えるだろう
止められない軍部
更に力をつけた軍に逆らえる者などいない時代
また、戦争に行った兵士も 自己暗示にかかっていたようだったとも
最後の一人になっても降参することなく戦い続けた、、と
止められるものは?
「投下前にビラが撒かれた」 という記事があったが、
聞いた話では 見たことは無かったそうだ。
調べてみると
アメリカ内部でも、原爆については賛否両論があり
アメリカからは何度か外務省を通じてその旨交渉があったにも関わらず、また日本の外務省はほぼ機能しておらず、軍部の戦争続行の固い意志だけがアメリカ側に伝わったようだ
少なくとも長崎原爆は必要なかった
広島原爆の威力を目の当たりにし、その脅威は手に取るように分かったはず
もっと早くに降参していれば このような惨劇も無かっただけに
ひたすら軍部の身勝手さと 権力志向が招いた悲劇だけが、、、 無性に腹が立つ
ただ、
広島・長崎で被災した方たちには申し訳ないが
生き残った人たちは一様に 安堵 したようだ
玉音放送 を聞いて、表向きは 「無念!」 としながらも
胸の内は
「ようやく終わった」 「空襲から免れられる」
その後は、生活も復興に向け大変だったが、
脅威の無い暮らしに「夢のようであった」 とも
難しい疑問だが、 兵器を使ったアメリカにはもちろん絶対的に罪はある!
落とさせた者には?