昨日、ドルフィンスターテンプルミステリースクールの透視コースFSP4を無事修了し、私は学んだこととともに「希望」を持ち帰った。


去年の5月からFSP1に参加し、FSP2、3、4と立て続けに受講して約1年弱。


楽しかったけど、途中は正直きつかった。


でも、やはりこうして振り返ると楽しかった。


行って、参加して、本当に、心の底からよかったと思う。


長い間、私はもがき、あがき、溺れていて、それがどうしてなのかわからず、そして自分自身がわからず、苦しんでいた。


FSP4修了まで残すところあと1日、という段階で疑問に対するパズルのピースがつながり、私はようやく、いつのまにか自分に「希望」を持つことを止めていたことに気づいた。


「未来」への「希望」でなく、「自分」への「希望」。


私は、人間に絶望し、人間が形成する社会に絶望し、自然と調和できず他の生き物を苦しめ環境を破壊し続ける世界に絶望し、何もできず何も変えられない自分自身に心底絶望していたのだ。


そもそも自分に希望を抱かないということは、自分を信頼もしていないということ。


自分という人間を信頼できないのだから、他者を、人間を、世界を、そして地球の未来を信頼することができるわけがないのだ。


そんな私に「希望の灯」を見せてくれたのは、ドルフィンで一緒に学んだ仲間とその子供たちだ。


生まれながらにして愛と光がインストールされて、自然に、何の疑問もなくスピリチュアルに生きている子供たち。


いんやくりお君のように全てを記憶しながら生まれてくる子供たちが増えているということを実感する。


そして、そんな子供たちから大事なことを教えてもらい、目を開かされることがたくさんある。


子供であって「子供」でない、一人の対等な人間。


こんな子供たちが増えていけば、世界が変わるかもしれない、と思った。


そして、子供たちが大きくキラキラと輝かせている「希望の灯」を見たとき、私は、自分自身に「希望の灯」がともっていないことに気づいたのだ。


そんなとき、愛媛から毎月コースに通ってきていた仲間から、ディクシャなどインドの思想の話しを聞く機会があった。


自分の中に怒りがあると、世界のどこかで紛争が起きる。だから自分の中の怒りを消す(解放する)のだ、と。


これは現代ホオ・ポノポノ(本当はホ・オポノポノではないんだけど。。。)と通じる考え方だ。


自分の記憶をクリーニングすれば、自分のまわりが、世界が癒される。


引き寄せの法則も同じだ。


類は友を呼ぶ。


そうか。そうなのだ。


私の中に「希望」がないから、私が選択している現実から「絶望」が消えないのだ。


そう全てがつながったとき、私に「ポッ」とエネルギーの光がともったのがわかった。


力が湧いてきた。わかっただけでも嬉しかった。


そうして迎えたFSP4最終日の朝の瞑想。


私は、過去生の自分から「希望の灯」を渡された。バトンリレーのように。


何百年も前の、アリゾナで生きていたナバホ族の私、オーストラリアで生きていたアボリジニの私、アフリカのサバンナで生きていた私。


それぞれがそれぞれの時代で、光の道を進むはずが闇につかまり、抜け出せず、変えられず、絶望のうちに人生を閉じていた。


にも関わらず、昨日あの時間に現在の私が、過去生の私を助けに行くことを疑わず、希望の灯を灯して待っていたのだ。


3人の女性が絶やさず持っていた希望の灯を渡されて、私の体は一気に熱くなり、涙が流れるのをとめられなかった。


時空を越えて、私は私を救い、私は私に助けられた。


過去生の私は強かった。


私も強いのだ。


長い間もがき苦しみ抜いたこのタイミングで、私自身がようやく気付いたからこその、大きな癒し。


今、私は胸をはって言える。


私は私です。私は希望の灯そのものであり、私は光の家族の一員です。



hemolele  






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