「呼吸は


自分自身への


贈り物」


この言葉を教えていただいたとき、


えっ、贈り物ー???


っと驚いたけど、


よく考えれば


なるほど~


と納得。


呼吸は自分への贈り物。


呼吸は


私たちを生かしてくれ、


私たちの体にたまった感情を解放してくれ、


そして私たちのエネルギーの浄化もしてくれる。


大きく


ゆっくり


自分に呼吸を


させてあげよう。



ほどほどの幸せでいい。


充分だ。


それ以上何を望むというのだ。


小さなことに喜びを見いだせるのは素晴らしい。


満足だ。


と言う場合、大抵そこには恐れがある。


それ以上の幸せを望むと、


バチがあたる


とか、


何かを犠牲にしなくてはならない


とか。


それ以上の幸せを感じたことがないから、


「幸せ」になることにすら不安を覚えるのだ。


下手をすると、「私は十分幸せだ思う」と思っているだけなのだ。


でも、


「幸せ」になることへの不安を手放せば、


たとえ小さなことであっても、ほどほどの喜びではなく、


深い喜びが、体の奥底からわきあがってくることを感じられるだろう。


静かであっても力強い愛が、全身にみなぎるのが感じられるだろう。


人生のどこで、本当の幸せを感じることを


あきらめたのだろう。


その理由がわかった時、心底腑に落ちた時、


また、本当の時間が進み始める。






ずっと地球を卒業したいと思っていた。


さっさとこの人生を終わらせ、人間も卒業し、「生き続ける」ことの苦しみから解放されたい。


そう思い続けてきたはずだった。


数日前、晩ご飯の支度をしていた最中に、何の脈絡もなく頭の中にボツっと響いた言葉。


アセンション。


その言葉が聞こえた瞬間、反射的に、


嫌っ!!!


と反応した自分がいた。


なんと。


驚いた。


全然卒業する気がないじゃないか。


苦笑するしかなかった。


まだ本当は、この人生で、この地球で、やりたいことがあるらしい。






感情は味わうと、自分のなかから消えていくのよー


と、随分前に軽やかに師匠に言われたとき、とても驚いた記憶があります。


おおおおおおおお、そっかああああ


だから味わう必要があるのだな。


怒りなどの感情が体にたまって胃腸を悪くする、ってよくあるけれど、


喜びの感情が体にたまって頭痛がする、って聞かない。


喜びの感情って、何の抵抗もなく味わうから、体のなかからどんどん出ていって消えていくんだあ。


でも、傷ついた痛みや悲しみって、我慢することが多い。


ぐっとこらえたり、押し殺したり、はたまたそんなことは全く感じてないかのように振る舞ったりする。


でも湧き出てきた感情を感じなかったことにすると、自分のなかから出ていかないのだ。


そしていつまでもじくじくと体の中にたまって、体を蝕むことさえある。


悲しみや痛みを感じたとき、反射的に感じなかったことにすることはある。


致し方ない部分はある。


でも、後日、何かの拍子に再びそれが湧き出てきたら、自分のなかから出していくチャンスなのだ。


その感情が生まれたとき、どうしてその感情が生まれたのか、本当はどうしたかったのか、自分に尋ねるとよい。


自分が一人の時にならやりやすかろう(笑)。


泣きたかったのなら、うおんうおん泣けばいい。


怒りたかったなら、大声で何にどう怒ったのかをはっきり口にすればいい。


自分のなかからその感情を解放してあげよう。


誰かにムカついたけどその気持ちを押し殺したなら、そのムカつきが再度出てきたとき、それを相手にぶつけるのでなく、「自分の中から『ムカつきちゃん』を解放してあげるのだ!」と意図して、「あいつ、むかつくー」とムカムカを味わいつくせばいいのだ。


「そんなネガティブな感情、感じたらダメ!」って言ったって、感じちゃったんだもん。


もう生まれてしまってる。


あとは自分のなかから解放するしかないのだ。


春は日本人にとって終わりと始まりの季節だ。


色々と湧き出てくる感情がある。


なぜなら「出して」ほしいからなのだ。


情緒不安定だと思ったら、「やだなあ」と思わず、自分のなかから不要な感情を出していくチャンスと捉え直すのだ




hemolele  











ペタしてね読者登録してね


自分が自分の「現実を創造する」って、スピリチュアルな世界にいるとよく聞く言葉だ。


実に簡単な言葉だから、わかっているつもりになっていた。


が、落とし穴はある。


先日のブログに書いたけれど、気付かないうちに自分に希望をもたなくなっていた時がつい最近まであった。


その間どうしても叶ってほしい、重要な願いほど何一つ思うように叶わなかった。


なぜなら、潜在意識にあった「自分への絶望」の方が、私の中で強いバイブレーションを放っていたからだ。


そして願いが叶わない日々のなかで、私は益々自分に絶望していった。


まさに引き寄せの法則だ。


つい最近、文字通り私を絶望のどん底に落とした出来事があった。


フェイスブックの中に、毛皮反対運動の一環で、生きながらに人間に毛皮を剥がれていく動物たちの実際の映像がアップされていた。


世界最大の毛皮輸出国を告発する内容だ。


まさかそうとは知らずに動画をクリックすると、言葉では言い尽くせない悲惨な現場が展開していく。


あまりの衝撃に、私は途中で動画をとめることも目をそらすこともできなかった。


当たり前のようにどんどん毛皮をはいでいる人間に、怒りを通り越し、吐気すら覚えた。


見終わった私は泣き叫ぶしかできなかった。


人間として生きていることに嫌悪感を覚え、地球の未来に絶望した。


私にとっては究極の絶望だった。


なぜ生きながら、でなければいけないのか、武士の情けすらないのか。


こんな人間が存在し続けることを絶対に変えられるわけがない。


私は生きている限り、このような状況を目撃し続けなくてはならないのだ。


毛皮は反対だけど、見てしまったフェイスブックの動画を、私はどうしても、いいね!とクリックすることも、シェアもできなかった。


後からわかったのだが、そこに私は一片の希望も見いだせなかったからだ。


ただただ絶望した。


先日ブログに書いた、FSP4の最終クールはその翌週のことだった。


自分に希望を取り戻し、力を得た私は、自分の未来を絶望によってではなく、希望によって選択していくことを決意した。


期待でなく、希望。


希望は強い。


本当に。


混じりけのない希望を抱き、自分を、そして自分の未来を信頼すれば、私の未来にはフェイスブックでみた動画のような状況は存在し得ない。


私が絶望している間に絶望を引き寄せたように、私が希望を抱いている間には希望を引き寄せるはずだ。


一昨日、オラクルカードを引いたら、DREAM BIG(夢はでっかく!)と出た。


私の未来のビジョンでは、赤ん坊から老人まで、全ての人が人として尊重され、調和し、全員がそれぞれできることをして、助け合い、仲良く暮らしている。そして同時に、犬や猫は殺処分されることなく自由に存在でき、他の動物たちも自然も蹂躙されたり破壊しつくされることなく、植物も遺伝子を組み替えられることなく、全てが完全な愛と調和のうちに存在できる、そんな幸せな未来だ。


今なら、このバシャールのメッセージも理解できる。


あのフェイスブックの動画を私がみることになったのは、そのような状況を目のあたりにすることで、心の底から決意して、私の未来にそのような事が起きるような選択をしないためだ。


そのために見せられたのだ。


私は私が幸せを感じる未来を、力強く創造していこう。








hemolele  



ペタしてね読者登録してね



昨日、ドルフィンスターテンプルミステリースクールの透視コースFSP4を無事修了し、私は学んだこととともに「希望」を持ち帰った。


去年の5月からFSP1に参加し、FSP2、3、4と立て続けに受講して約1年弱。


楽しかったけど、途中は正直きつかった。


でも、やはりこうして振り返ると楽しかった。


行って、参加して、本当に、心の底からよかったと思う。


長い間、私はもがき、あがき、溺れていて、それがどうしてなのかわからず、そして自分自身がわからず、苦しんでいた。


FSP4修了まで残すところあと1日、という段階で疑問に対するパズルのピースがつながり、私はようやく、いつのまにか自分に「希望」を持つことを止めていたことに気づいた。


「未来」への「希望」でなく、「自分」への「希望」。


私は、人間に絶望し、人間が形成する社会に絶望し、自然と調和できず他の生き物を苦しめ環境を破壊し続ける世界に絶望し、何もできず何も変えられない自分自身に心底絶望していたのだ。


そもそも自分に希望を抱かないということは、自分を信頼もしていないということ。


自分という人間を信頼できないのだから、他者を、人間を、世界を、そして地球の未来を信頼することができるわけがないのだ。


そんな私に「希望の灯」を見せてくれたのは、ドルフィンで一緒に学んだ仲間とその子供たちだ。


生まれながらにして愛と光がインストールされて、自然に、何の疑問もなくスピリチュアルに生きている子供たち。


いんやくりお君のように全てを記憶しながら生まれてくる子供たちが増えているということを実感する。


そして、そんな子供たちから大事なことを教えてもらい、目を開かされることがたくさんある。


子供であって「子供」でない、一人の対等な人間。


こんな子供たちが増えていけば、世界が変わるかもしれない、と思った。


そして、子供たちが大きくキラキラと輝かせている「希望の灯」を見たとき、私は、自分自身に「希望の灯」がともっていないことに気づいたのだ。


そんなとき、愛媛から毎月コースに通ってきていた仲間から、ディクシャなどインドの思想の話しを聞く機会があった。


自分の中に怒りがあると、世界のどこかで紛争が起きる。だから自分の中の怒りを消す(解放する)のだ、と。


これは現代ホオ・ポノポノ(本当はホ・オポノポノではないんだけど。。。)と通じる考え方だ。


自分の記憶をクリーニングすれば、自分のまわりが、世界が癒される。


引き寄せの法則も同じだ。


類は友を呼ぶ。


そうか。そうなのだ。


私の中に「希望」がないから、私が選択している現実から「絶望」が消えないのだ。


そう全てがつながったとき、私に「ポッ」とエネルギーの光がともったのがわかった。


力が湧いてきた。わかっただけでも嬉しかった。


そうして迎えたFSP4最終日の朝の瞑想。


私は、過去生の自分から「希望の灯」を渡された。バトンリレーのように。


何百年も前の、アリゾナで生きていたナバホ族の私、オーストラリアで生きていたアボリジニの私、アフリカのサバンナで生きていた私。


それぞれがそれぞれの時代で、光の道を進むはずが闇につかまり、抜け出せず、変えられず、絶望のうちに人生を閉じていた。


にも関わらず、昨日あの時間に現在の私が、過去生の私を助けに行くことを疑わず、希望の灯を灯して待っていたのだ。


3人の女性が絶やさず持っていた希望の灯を渡されて、私の体は一気に熱くなり、涙が流れるのをとめられなかった。


時空を越えて、私は私を救い、私は私に助けられた。


過去生の私は強かった。


私も強いのだ。


長い間もがき苦しみ抜いたこのタイミングで、私自身がようやく気付いたからこその、大きな癒し。


今、私は胸をはって言える。


私は私です。私は希望の灯そのものであり、私は光の家族の一員です。



hemolele  






ペタしてね読者登録してね

以前にも書いたが、コーヒーが大好きだ。


立派なコーヒー中毒者である。


コーヒーを半日も飲まないと、そわそわと禁断症状が出てくる。


私をよく知る人たちは、私がコーヒーなしでは夜も日もあけないことを知っている。


コーヒー豆をそのままかじってオヤツにすることもある。


チョココーティングされてると尚良し。


以前、一日がかりのワークショップに参加する前に、コーヒーを求めて早朝の街をさまよった。


割と大きな街だから、スタバやドトールくらいはあるだろう、と高をくくっていた。


ところがだ。


見通しの良い交差点の向こうを見渡しても、緑色の看板も黒と黄色のストライプも見当たらない。


こうなったら、セブンイレブンの100円コーヒーでもいい、とにかくコーヒー!


と、焦る気持ちを抑えて、小走りに駅前をさまよった。


ワークショップの開始時間まであとわずか。


でもない。ない。ない!


コンビニすらない。


缶コーヒーは後味が悪いからダメなのだ。


とか言っても、自動販売機すら見当たらない。


焦っている時には何も見えなくなるの典型だ。


すると、目の前に昔ながらの喫茶店が。


さっとドアを開けて、オーナーらしきおばちゃまに訪ねた。


「コーヒーのテイクアウトはできますか?」


「出来ますよ~♪」と快い返事が。


「あのお、5分以内にできますか?」


しばし間があったが、できるとのお返事に、安心して店内に入った私。


まずはおばちゃまは先客のベーコンエッグを調理しておいる模様。


一向に私のコーヒーにとりかかる気配はない。


少々焦り、というかイライラしながら、それでもぐっと我慢。


もしかしたらポットに入っているのかも。


淹れたてでなくても、ドリップされて保温されているなら缶コーヒーよりはいい。


ベーコンエッグが先客に供され、ようやく湯を沸かし始めた。


高まる期待。


ようやくコーヒーが飲める。


ところがだ。


おばちゃんがデカい缶の蓋をあけて、スプーンで何やら取り出して紙コップにさっさといれた。


沸いた湯を紙コップに注ぎ込む。


その状況を見て混乱する私。。。


スプーンでさらさらっとかき混ぜ、プラスチックの蓋をする。


どうやら完成らしい


このテイクアウトのインスタントコーヒーに払った値段は、忘れもしない550円。


ワークショップ開催時間ぎりぎりのため、文句を言うことすらできずにそそくさとお金を払って店を後にした。


それはないだろおおおおおおおおおおお」の言葉を飲み込みながら。


「口の中に残る何かの言霊のエネルギー」ってこういうのも言うのかもしれない。。。


今日、豆を自分で挽いて入れたコーヒーが、格別の美味しさだったが故に、ふと思い出した、苦いコーヒーにまつわる苦い思い出だ。


因みに、本日のコーヒーのお供はこれ。




ローソンのたいやき。


それほど甘くなく、苦いコーヒーのお供にうってつけ。


ちなみにたいやきの目のところが四角く白いのは、ローソンのミッフィー・プレートのプレゼント応募券がついてたから。


毎年、年末年始はミッフィー・マグやプレートをもらうべく、せっせとローソンスイーツを買うのだ。


誰か協力してくれません?


hemolele  



お仕事ブログ HEMOLELE SQUAREのブログも是非!





ペタしてね読者登録してね




HAPPY NEW YEEEEEAAAAARRRRR !!!


y’sy’sy’sy’sy’sy’sy’sy’sy’sy’s羽根突きの羽


ことヨロ蛇



私と、相棒犬ルークの、スピリチュアル・ジャーニーはまだまだ続きます。


今年も気長によろしくおつきあいくださいませ


ルークの後に写っているクッションかわいいでしょー


お誕生日に親友が贈ってくれた、見るとこちらもスマイルになるという素晴らしい一品。


皆様の2013年が、いつもステキなにこにこ笑顔にあふれていますように。


さて、以前こちらで書いていたオラクルカードメッセージを、お仕事ブログの方で始めました。


ユニコーンがどうしてもやれ!と主張するのです(笑)


お仕事ブログ
HEMOLELE SQUARE


去年の12月21日以来、ユニコーンの存在を強く感じます。


買って以来ずっと放置プレーだったダイアナ・クーパーのユニコーンカード。


急にカードが自己主張?を始めて、なぜだか最近はこれしか使ってません。


なんといっても、馬、というかユニコーンがかわいい。


親近感がわくユニコーンなのだ。


表情が人間臭いというか。


このユニコーンカードは、なぜか日本語名が「アセンションカード」となっています。


英文原題は、UNICORN CARDSだから、超々訳しても「アセンション」にはならないんだけど、どうしてでしょ?


いまだに謎っ!


アセンションカード~ユニコーンからの聖なる愛のメッセージ~/ヴィジョナリー・カンパニー
¥3,360
Amazon.co.jp


因みに英語版だと1300円くらいでした。半分以下のお値段!




hemolele  & Luke



お仕事ブログ HEMOLELE SQUAREのブログも是非!













ペタしてね読者登録してね



ピアニスト辻井伸行さんの、「夢のカーネギー・デビューまで」という番組を見た。


彼の弾くモーツァルトのピアノ協奏曲に合わせて即興の手技で、相棒犬ルークにマッサージしたら、意外にも好評


もっとやれとせがまれる。


疲れたから片手にすると、鼻面で「左手がなっとらん!」と指導される始末。


ま、それは良いとして。


辻井伸行さんは生まれつき目が見えない。


それにも関わらず、超絶技巧のピアノ曲さえも難なく弾いて聴衆を魅了していく。


あのカーネギーホールで、あの若さで堂々と演奏して、ただの拍手喝采以上のスタンディングオベーション。


毎日毎日、一体どれくらいの練習をつんできたことだろう。


音楽の才能はあったにしても、必死に磨かずして24歳でのカーネギーデビューはないだろう。


目が見えない、ということは彼にとってどういう意味があったのだろう。


彼の弾く曲を聴いて思ったのは、目が見えなくても何一つ彼は失っていない、ということ。


全て彼の中にある。


大胆さも、華麗さも、繊細さも、純粋さも。


笑顔も、涙も。


風も、雨も、光も、闇も。


もともと全て彼の中にあって、それを一つ一つ呼び覚まし取り出してきたような。


自分のなかに全てがある、というのは本当なんだなあ。


カーネギーのアンコール最後に、「それでも、生きてゆく」という自作の曲を弾いた辻井さん。


涙をこぼしながら、全身で弾く辻井さんから、応援の気持ちを受け取った。


今日で一年が終わる。


そして同じようにまた明日が始まる。


新年という名のもとに。


華麗でも、爽やかでもない、全然スマートでない人生。


それでも、自分なりに選んで紡いできた人生。


それでも、生きてゆく。



hemolele  



お仕事ブログ HEMOLELE SQUAREのブログも是非!








ペタしてね読者登録してね

「気のせいだよねえ」を打ち消すに十分なほど、エネルギーの変化を実感している今日このごろ。


12月21日は本当に節目だったんだなあ。


ずっとしばらく使っていなかったユニコーンカード。




ドリーンのではなく、ダイアナ・クーパーさんのユニコーン。


21日以降、個人的に急に「キテる」カードなのだ。


セッションにも「つれてけ」と言われる(笑)。


そしてつれていくと、本当にお客様からご指名が入るデッキなのよねえ


面白い。


ここ3日ほど立て続けに自分に引く、KING OF THE UNICORNSのパワフルなカード。


ユニコーンの中のユニコーン。


側にいてくれるなんて心強いわあ


I AM BLESSED !!!



hemolele  

お仕事ブログ HEMOLELE SQUAREのブログも是非!




ペタしてね読者登録してね