今から私が書く内容は一種の治療で
ここからは中々複雑な内容を綴ります。

見たくない方は是非飛ばして下さい。

平成23.3.12
帝王切開にて息子を出産しました。
あの地震の翌日でした。
当時私は17歳。

1246gの痩せっぽっちのbabyニコ
母子ともにとても危険な状態で
32週にして緊急出産でした。

そしてつけた名は結良と書いて"ゆうら"。

出産前に呼吸器官などの発達が
まだ足りない可能性が高いと告げられ
筋肉注射を打たれました。

地震でガソリン不足などに悩まされながらも
家族と姉のような存在の先輩(A先輩とします)家族が
かけつけてくれました。

緊急ということでみんなしてあたふた。
母は三姉妹みんなの出産に立ち合うことはなく
私の時も日本にはいなくて、
初めての出産ということで心細い中
私は車椅子からベットに寝かせられ
かけつけてくれたみんなに頑張ってと
励まされながら手術室へ。

手術室に入ると、麻酔担当の男性医師と
女の先生、男の先生、助産師さんと、数人に
簡単な挨拶をされ、不安ながらも
元気に『よろしくお願いします』と
答えました。
痛いと言われていた注射のタイミングになり
脊髄?背中に注射を何回かされましたが
母は強いってこーゆーことかと納得できる程
順調に注射も終えて割とすぐに麻酔が効き、
切開開始。

我が子に会いたい、
どうか元気に産まれてきてくれと
どれほど願ったか。
余震の中、はい何時何分(母子手帳がないので詳細ごめんなさい記憶障害)お母さん男の子産まれましたよ。の言葉‥でも泣かない、泣かない、泣かない
不安が募り、子供病院の医師がチューブのようなものを息子の口に入れている様子が隣で見える。

どうか、どうかと願って今にも泣きそうな私。
その瞬間『おぎゃー』って爆笑

その場にいたみんながびっくりしてました。
泣いている結良をすぐに私の元に
連れてきてくれて‥初めて触れる我が子。
『やっと会えたね』と手を伸ばし
頬をなでた瞬間泣き止む息子。
それと同時に涙が出る私。
安心で過呼吸になる私。笑

すぐに隣のこども病院の方に連れてかれて
しまいましたが手術は続いているので
過呼吸を落ち着かせるため睡眠薬を
注射されるわたし←

意識が朦朧としながら
気が付くと手術室を出るところでした。

ベットで移動させられ、
みんなに頑張ったね!と言われながらも
ゆうらに会いたい気持ちばかりが募り
産後3日目、先生にたくさん
歩いてと言われた私、
絶対してはいけないだろ!!!
ってわかっていながらも
会いたい一心で隣の棟にある
術後に歩ける距離ではないのは
わかりながらも行きました。
会いに。笑

エレベーターはとまってるし
ゆうらがいるのは三階だしwww
でも母は強いのです。
階段の手すりにすがりつきながら
階段のぼって会いに行きました。

子供病院の先生方はもう目を丸くして
お母さんどーやってきたの!!!!!!
ってwww

もういいから早くアワセロー!!!!
な感じで母性本能丸出し。爆笑

保育器に入れられていましたが
自分でほとんど呼吸が出来るようで
たくましく産まれてきてくれたそうで
先生も珍しそうに説明してくれました。

それから私の体は入院が必要だったのですが
病院を脱走しました。時間がなかったので。笑

なにやってんの?って散々言われましたが
それどころではなかったのですよ。

出生届!!!!
間に合わないやん!!!
って感じでもう必死。

一ヶ月は落ち着いていないといけないのは
重々承知でほぼ毎日子供には会いに行きました。

まあそんなこんなで私は
育児放棄することなく
頑張ってました。そこは自分で認められる。笑

そう、不幸が起きたのは
平成23年6月2日
前日、フォトアルバムを作ろうキラキラ
とママ友であり先輩ママの
A先輩の家に泊まっていたので
隣の公園で子供たちと四つ葉のクローバーを
探しました。
その時そろそろあれだね~3ヶ月になるから
離乳食って言うかお菓子みたいなの
大丈夫なんじゃない?アンパンマンのやつ!
なんて話してました。
ゆうらはベビーカーで爆睡w
ある程度日光浴したらお家に帰り

その日の夜ゆうらはギャン泣き。
こんなの初めてでいくら抱っこしててもだめ。
なんでかな?なんでかなって
体調悪いのかな?と思いながらも
しばらくしてやっと泣き止んでくれたので
寝かせて私も寝て‥

それが最後でした。
目を覚ますと時間は11時代。
あれから一度も泣くことなく
そこには息をとめて
もう冷たいゆうらがいました。

私は頭が真っ白になり
震えた声でA先輩にゆうらが‥と
叫んでみんなを起こす。

急いでA先輩が救急車を呼んでくれて
私は救急隊員の言う通り人口呼吸と
心臓マッサージを行うも頭は真っ白。
ただ遠くから救急車の音が聞こえてくるだけ。

気が付いたら救急隊員の人たちが部屋にいて
やばいまずいって言葉を吐いて連れてかれそうになるところ、私はきっと信じたくなかったんだろう。『先輩!オムツとかミルクとか持ってった方がいいですかね』なんて‥

外は土砂降り私はその中連れてかれる
ゆうらに雨があたっているところを
遠くから見てるような感覚で
風邪引いたらなんて考えてて

救急車の中でゆうらくんなら大丈夫だよって
先輩に言われた時、あ、そーゆうことなんだって
やっと理解してきて。

家族や相手の家族に電話で説明するも
電話口で相手は焦ってるのに私は
ぽかーんって感じで。

病院につくとお父さんがきて
最後の措置をすると
説明をしてきた先生の言葉に
私はもう理解が出来なくて
お父さんに『ねえどういうこと?』
って言葉をはいていた。

ゆうらのその姿をみると
私はやっと理解し始めてああそうかって。
もう泣くとかそんなレベルじゃなくて
死亡確認されて
相手の家族や自分の家族みんなに
気付いたらただ泣きながら謝っていた。

姉にその時『あんた高いところから落としたりしたんじゃないの』の言葉が今でも忘れられず。

葬式も淡々と進んで。
司法解剖されてるのに葬式で火葬する時に
『待って生きてるかも』なんて
寝ぼけたこと言ってました。

あれからもう4年半。
まるで抜け殻www
気が付いたら時が過ぎて
やっと今、涙を流さずに
話せる時が来たって感じます。

たった2ヶ月で撮った写真は
全部で400枚近く。
母子手帳やへその緒、写真は全て
実家にあり、私は思い出さないよう
先生に言われ生活してきました。

堕ろしなさいと言われたことも
ありました。
そーしとけばよかったのかなって
思う時もあったけど
今では産んでよかったと思ってるし
ゆうらへはこんなママのところにきてくれて
ありがとうと思ってます。
強いて言うなら、あの頃のど根性ママに
戻りたいなーなんて。
読んでくれた人ありがとう。

helでした( ^ω^ )
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