行動の選択 | こけ玉のブログ

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不惑の年などもうとうに過ぎたのに、いまだに自分の道も確立できていない。
そんな男の独り言。

障害を抱えても生きている限り、「何かをしたい」と考えることは当然であり、意欲の表れでもあって、それはとても喜ばしいことである。


むしろ、障害を抱えてしまったからこそ、何かができる自分を証明したくなる人も多いかもしれない。


ただ、周りの人間はその希望すらかなわなくなる事態を恐れて「歩くな、無茶するな」と言う。


でも、良い出来事と悪い出来事  でコメントをくれたくじら玉さんの言うように、それって本人の気持ちを無視していることでもあって難しいよなあ。

実は昨日も転倒してしまったのだ。


居間の掃除をしている間、台所に移ってもらってたのだが、大根の皮むきをしようと「皮むき」を取りに行こうとして転倒したのだ。


同じ台所の中の移動といっても普段は行かない冷蔵庫近くのエリアでの転倒だった。


幸い物音を聞いてすぐに助け起こしはしたが、どのように転倒したものか冷蔵庫とワゴンの間にスポッとはまるように仰向けで倒れていた。


一人のときだったらこの状態からは時間がかかってもおそらく起き上がることはできなかったのではないかと思う。


本人は「ゴメン、ゴメン、これから気をつけるから」と言う。家族に対して申し訳なさと、怒られはしまいかという恐れ、自分自身へのふがいなさ、失意、そんなものがない交ぜになっていたかと思う。


こちらもこちらで、こんなにも不安定なんだというガッカリしたという気持ちや、「余計なことを」という思い、怪我がなくてよかったという安心などが交錯する。


確かに「もう何もするな」とはなかなか言えないかなあ。


もともと忙しく立ち働くのが好きな性分だったから、余計何かやりたい、役に立ちたいという思いが強いのだろう。そんな思いを強制的に抑えることはいろいろな意味でプラスになりはしないだろう。


もちろん、やりたい事を存分にどんどんやれとは言えないが、何かやりたい事、やれる事を拾い上げてその為の条件作りをすることがこちらの役目なのだと思う。


その為には本人にも狭いところへ無理に入っていかないとかの、能力をできる限り自覚してもらい、自制をしてもらうという妥協点を確認しあう事が必要なのかもしれない。





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盛岡・若園町の おのでら鍼灸経絡治療院 です。
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