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さるうさぎのブログ

原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34121?page=5
部分転載

 

1.福島県は、メディアに対し誤った認識を誘導して双葉病院に対する非難報道のきっかけを作った。 


 

2.福島県福祉事業協会傘下の知的障害者施設の多くは、福島原発の10キロ圏内にあった。急に避難を強いられたため、名簿が持ち出せなかった。利用 者の多くは、抗てんかん薬をはじめ、重要な薬剤を投与されていた。法令上、生年月日が分からないと、正確な年齢が分からず、処方箋が書けない。

 

 このため、福島県の災害対策本部及び障がい福祉課に対し、生年月日データの有無とない場合の対応について相談したが、自分たちの責任で対応するよう言われ、一切の協力を拒否された。

 

 この直後、てんかん発作の重積状態で障害者が1人死亡した。福島県はこれを受けて、投薬などが適切に行われているか、避難所に調査にきた。


 

3.福島県は、南相馬市の緊急時避難準備区域に住民が戻った後、法的権限なしに、書面を出すことなく、口頭で入院病床の再開を抑制し続けた。長期間、入院診療が抑制されたため、民間病院の資金が枯渇した。病院が存続できるかどうか危ぶまれる状況である。


 

4.福島県・福島県立医大は、被曝について、市町村が、県外の医師たちに依頼して実施しようとした検診をやめるよう圧力をかけた。


 

5.福島県立医大は、2011年5月26日、学長名で、被災者を対象とする個別の調査・研究を、差し控えよとする文書を学内の各所属長宛てに出した。調査は行政主導で行うので、従うよう指示するものだった。


 

6.南相馬市立総合病院の院長が、関西の専門病院の協力を得て、小児の甲状腺がんの検診体制を整えようとした。講演会や人事交流が進められようとし ていた矢先、この専門病院に対し、県立医大の教授から、福島県立医大副学長の山下俊一氏と相談するよう圧力がかかり、共同作業が不可能になった。


 

7.南相馬医師会の高橋亨平会長と協力者が、飯舘村で除染の効果を検証するための実験を実施しようとしたのを、福島県が阻んだ。


山下といえば、「放射能はくよくよしている人のところにくる」と発言した、放射線アドバイザーです。
福島県民の方、こんな人になぜ権力を持たせておくのですか。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34113

 

2011.12.29(木)

前回に続いて「放射能雲が通った街・南相馬市」からの報告を続ける。

 

 東が太平洋、西が阿武隈山地に挟まれた南相馬市の「海側」は線量が低く「山側」が高い。そして福島第一原発に近い南3分の1はざっくりと立ち入り 禁止ゾーンにえぐり取られている。しかも「死の灰」(放射性降下物)は東京の官僚が机に座って地図に引いた立ち入り禁止ラインなどまったく無関係に広がっ た。おかげで、立ち入り禁止地帯より人が暮らしている場所の方が線量が高いという珍妙な現象があちこちで出現した。そんな話を前回した。

 

場当たり的に設けられた「避難勧奨地点」

 

 こうした「危険地帯」「安全地帯」の区別は、放射性降下物の散らばり具合に合わせて日々アップデートしていく必要がある。が、「20キロラインよ り内側は危険地帯=立ち入り禁止」という規制は、4月22日から基本的に何も変更がない。忘れているのかメンツで動かさないのか、どちらだろう。

 

 しかし、外側にも放射性降下物はどんどん広がる。住民や地元市町村が独自に放射線量を測ったので、20キロライン外側でも高線量の場所が次々に見つかった。

 

 そういう地点に場当たり的に対応するために設けられたのが「避難勧奨地点」という名称である。要は、線量の高い場所を「点」として指定します、避難するなら補助します、というわけだ。

 

 こうした名称のややこしさが地元の窮状を分かりにくくしている。そして官僚の愚策を見えないようにしている。自らの失策をごまかそうとしてわざと用語をややこしくしているかのようだ。

 

「警戒区域」 (立ち入り禁止ゾーン。20キロラインの内側)
「緊急時避難準備区域」 (20~30キロラインの間=9月30日で解除)
「計画的避難区域」 (20キロラインの外側なのに線量が高く避難を余儀なくされた地域。飯舘村など)

 

 こうした「面」の指定に加えて「避難勧奨地点」という「点」が加わったわけだ。地図を見ると、それが天然痘の発疹のように増え続けている。私が南相馬市を取材で訪れていた12月上旬にも、市内の20地点22世帯が追加で指定された。やはりどの地点も山沿いである(参考「南相馬、伊達市の33地点 避難勧奨に追加指定 」福島民報、12月10日)。

 

日常的に線量計を持ち歩く人たち

 

 その1つである「馬場」という地区を訪ねてみることにした。前回訪ねた高線量の山間部・横川ダムから4キロほど北東。20キロラインからも2キロほどしか離れていない。ここも、まさに放射能雲が通った真下である。


一帯は穏やかな農村である。田畑と家々が仲よく平野を分け合っている。冷たい冬風が道路を吹き抜ける。見上げると、広い空を雲がわたっていく。阿 武隈山地の稜線がくっきりと空を切り取っていて、美しい。まだ午後3時なのに、もう夕方の茜色の日が射している。畑で女性が太く育ったネギを刈り入れいて いた。鍋に入れるとうまそうだ。

 

 寒さのせいだろう。他に人の姿は見えない。ネギ畑の前で車を止めて、道端に線量計を置いてみた。すぐに液晶画面が真っ赤になった。毎時2.35マイクロSv(シーベルト)。「DANGEROUS RADIATION BACKGROUND」と赤い警告が出ている。

 

 後ろに人の気配がしてはっと振り返った。いつの間に、どこから現れたのだろう。70歳前後だろうか、老男女3人が私の線量計をじっとのぞき込んでいる。毛糸の帽子とマスクの間から、6つの目がじっとこちらに注がれている。

 

 「あんた、線量測ってるの」

 

 そう問われて、ハイそうです、記者です、怪しいものではありません、と慌てて言った。

 

 「で、いくらだった? ふーん。2.35か」

 

 そして3人がそれぞれジャケットのポケットから線量計を取り出した。お互いの数字を見比べている。

 

 「あんたのだと、いくつ?」

 

 「ありゃあ、やっぱ2は行くべ」

 

 「通り渡っただけで全然変わっちまうからなあ」

 

 まるで天気の話でもするかのように、3人はおしゃべりしながら歩き去った。散歩中の近所の人たちらしい。このあたりの人たちにとって線量計を持ち歩くのはごく日常的な行為なのだ。

 

鳥も口にしない放射能まみれの柿

 

 但野秀二(ただの・ひでじ)さん(63)の家を訪ねた。

 

 窓から、オレンジ色の柿の木が見えた。枝いっぱいになっている。そういえば、ここへの道中もあちこちで柿が実をつけているのが見えた。枯れた色の農村に、鮮やかな茜色が青空に映えてきれいだ。そのことを告げると、但野さんは寂しそうに笑った。


 「いつもなら、もいで干し柿にするんだけどねえ・・・今年は誰も食わねえなあ・・・濃縮しちまうからね。トリだって食わねえんだよ」

 私ははっとした。放射性物質が降り積もり、柿を食べることができないのだ。そういえば、樹の根元には、熟して落ちた柿の実が散らばっている。だからあちこちで柿の実が木に実ったまま放置されていたのだ。


畑で育てていた牛の飼料用の牧草も、放射性物質のために出荷できなくなってしまったのだという。夏、玄関前の線量が毎時1.28マイクロSvあった。室内でも0.46だった。

 

 同じ地区に「避難勧奨地点」が広がって不安ではありませんか、と私は尋ねた。但野さんはだまってテレビをつけた。液晶画面の下に、市内の測定ポイントごとの線量が表示された。山沿いが高い。福島県内のデジタル地上波放送では、こんな数字を見ることができるのだ。

 

 「このあたりは、山からの風が強いからなあ」

 

 風が吹くと阿武隈山地に降り積もった放射性物質がこちらに流れてくる、ということだ。

 

 「山の方がずっと線量が高くなってきて、だんだん数値が上がってる。山の木を何とかしないといかん」

 

 「除染するなら、ウチだけじゃ済まねえっぺ。防風林から風が吹くたびに飛んでくるんじゃなあ。まわりの田んぼとかもやらんといけねえ」

 

「半減期で下がるのを待つしかねえ」

 

 ガラス窓の外に、丸坊主になった杉の林が見える。近所の家が、母屋を守っていた防風林を除染のために切ったのだ。

 

 「あれ切って運ぶだけで30万円かかったそうだ。後ろに山しょってる人や防風林しょってる人は大変だっぺよなあ」

 

 このあたりは江戸時代の藩の放牧地が払い下げられ、他町村からの入植者が開拓した農地だ。但野さんの家もそうだ。田畑はけっこう広い。3000坪くらいある。母屋や納屋の建坪は300坪ほどだ。



除染っていくらくらいかかるんだ? と但野さんは私の顔を見た。

 私は東大の児玉龍彦教授がNHKの番組で挙げていた「住宅1戸560万円」という見積額を伝えた。但野さんはため息をついた。

 

 「どうする? どうしようもねえ。半減期で下がるのを待つしかねえ。10年もすりゃあ線量下がるかもしれん」

 

 県や市は除染について何か連絡してきましたか。

 

 「行政も市も何も言ってこねえ。砂ぼこりの少ない街中(市の中心部)は大丈夫だって言うんだけどなあ」

 

 (この直後、南相馬市役所に取材に寄った。12月市議会にようやく除染の予算が計上されたばかりだった。動きがないのも当然である)

 

「安全」な場所に避難したつもりだったが・・・

 

 4年前に奥さんを亡くした。一人暮らしである。息子さん一家は山形県へ避難した。子供を連れて戻ってきたことはない。

 

 「やっぱり子供が心配だもんなあ。俺の子供だったら連れて逃げるよ。10年か20年後に何かあったらって、そりゃ心配だ」

 

 そういえば、このへんで見かける人たちはお年寄りばかりだった。子供のいる30~40代の家庭は6割が避難してしまって、いないのだ。

 

 但野さんは放射能に関して数奇な偶然を経験している。30年間働いた勤務先が福島第一、第二原発だった。海水が循環する2次冷却水のパイプを掃除。使用済み燃料棒をプールの中で容器に移す。そんな仕事だった。

 

 そして、第一原発が暴走したあと、避難した先がよりによって放射能汚染のために全村民退避になった飯舘村だった。

 

 2回目の水素爆発があった3月14日、避難する息子さん夫婦の車に乗せてもらい、毛布1枚と手提げ袋だけ持って隣の飯舘村に入った。妻の妹の家に 身を寄せた。飯舘村なら30キロラインからも外側だ。山の中に入ってしまえば、遮るものがあるから大丈夫だ。そう思った。しかも避難先はいちばん原発から は離れた側の集落だったので、ヤレヤレ安心だと思った。



すると翌日から、村内の線量が急上昇している、という話が駆け巡った。前回まで述べた通り、15日に高濃度の放射能雲が飯舘村に到達、雪と一緒に地表に降り注いだのだ。

 但野さんが避難した先を聞いてみると、そこは私が線量計で道端を測ったときに毎時10マイクロSvを表示した野田集落だった。後にプルトニウムまで検出されている。何のことはない、わざわざ放射能雲の下を逃げて、それが降り注いだ先に滞在していたのだ。

 

 結局17日に福島市に逃れ、27日には相馬市へ。避難先は遺体安置所だった高校の体育館だった。そしてまた線量の高い南相馬市の自宅に戻って暮らしている。

 

原発内で騒がれていた「身体汚染」が原発の外へ

 

 避難先の飯舘村でも被曝して、健康が心配ではないですか。私は恐る恐るそう尋ねた。

 

 「影響ねえって。原発で年間10ミリSv食って30年やってきたけど、おれ健康だから」

 

 但野さんはガハハと豪快に笑ってたばこをふかした。

 

 「まあ、オレはトシだからってのもあるしな」

 

 私もつられてあははと力なく笑った。

 

 但野さんはテレビの前でどっしりと構えていた。原発で長年仕事をしていたので、被曝に知識や経験があるからかもしれない。「慣れ」とでも言うのだろうか。

 

 但野さんの仕事は、原発の中でも放射線量の高い区域での作業を請け負っていた。報道でよく見る白い薄手の防護服ではない。雨合羽のようなビニール 製にフルフェイスのマスクをつける。靴下は2枚、手袋は3枚重ねる。長靴を履いて裾や袖はビニールテープで封印する。それでも、マスクを外していたとき に、上から放射線で汚染された水が落ちてくることがある。傷口があれば内部被曝する。そういう状態を「身体汚染」という。もちろん大騒ぎになり、除染する まで出してもらえない。

 

 そんな仕事をしてきた但野さんには、「あれほど原発の中で騒いでいた身体汚染が原発の外で一般化してしまった」ように思える。


「線で(規制)やったってダメだ。(放射性物質は)風に乗っから関係ねえっぺよ。20キロ規制とか解かなきゃなあ。ほんと情報出さねえし。何でもハンパなんだよなあ」

 私が冒頭で述べたような政府のゾーン割りの愚かさを、但野さんはきっちり理解していた。こちらから話を向けたわけでもないのに、である。

 

 「最初は(福島第一原発から)3キロ規制で、次は5キロ、10キロ、20キロと広がっていったんだ。携帯電話で『チェルノブイリ』って入れて(検索して)みりゃあ100キロくらいまでは危ないってすぐ分かるだろうに」

 

 「ここは『緊急時避難準備区域』だとかさんざん言っておいて、解除したあとになって実はメルトダウンした燃料が格納容器の下にめり込んでました、とか今ごろ出してきて、一体何なんだ。何考えてるんだ」

 

 但野さんは火がついたように話した。穏やかな語りに、凄みがあった。

 

 外では、山から吹き降ろす風がひゅうひゅうと鳴っていた。

 

日本軍と原発に土地を奪われた

 

 私は但野さんの家を辞した。

 

 夕日が阿武隈山地に沈んでいくところだった。山の稜線が白く輝いていた。頭上の濃紺の空に星が輝いていた。



ふと、薄闇の中に、のこぎりの歯のようなコンクリートの建築物が並んでいるのが目に入った。近づくと、碑があった。戦前、ここには陸軍の飛行場があったのだという。コンクリートの建築物は飛行機の格納庫の一部だった。

 入植のあと、貧苦のなか一帯を開拓した村人がようやく集落としての出発を祝った。昭和14年のことだ。そのわずか数年後、農地は軍の飛行場に接収されてしまった。そんな国策に翻弄された苦悶の歴史が、この地区にはある。

 

 そして66年後、国のエネルギー政策の失敗の果てに起きた原発事故で、その土地に放射性物質が降り注いだ。ある人は家を追われ、ある人は怯えながら暮らしている。

 

 格納庫の遺物の間から柿の木が生えていて、柿の実が熟れていた。夕日に染まった茜色の実は、抜けるような青空に映えて、それはそれは美しかった。

 

 そこに放射性物質が積もっているのは分かっていても、美しかった。


http://www.best-worst.net/news_SCSmHi61O.html


 
 2011年12月29日 12:00 


■30マイクロシーベルトの放射能汚染乗用車!
2011年12月28日、東京都武蔵野市は、市内駐車場に駐車中の乗用車から毎時30マイクロシーベルト以上の高放射線量が計測されていたことを発表した。

この放射能汚染乗用車の発見の経緯とその後の対応は以下のように説明されている。

中町2丁目の駐車場にあった乗用車について、12月21日(水)に市民から高放射線量の情報提供を受け、市で測定したところ、高放射線量が確認されたため、下記のとおり対応いたしました。

市は、現地で数値の確認を行い、安全を確保したうえで、武蔵野警察の協力を得て、立ち入り禁止措置を行いました。

その後、都ならびに国の指示をあおぎ、対応が決定するまでの間、車を市役所地下駐車場に移し、周辺の出入りを制限して保管しました。

市は、内閣府原子力災害対策本部に除染の支援を要請し、車の放射線量が毎時30マイクロシーベルトを超えているため、福島県の警戒区域内に戻すことが適当であると決定いたしました。

22日(木)午前に、内閣府と東京電力において、車を福島県に搬送し、除染と放射線量の再測定を実施します。線量が一定の基準を下回らなければ、警戒区域から持ち出し不可となります。

車の所有者である市内の男性は「7月に知人から譲り受けた」としており、福島第一原発事故前後に警戒区域内で使われていたものであったことが判明しました。

車を移動させた後の、近隣区域の放射線量は、市の基準値(毎時0.23マイクロシーベルト)を下回っていることを確認いたしました。


この乗用車は、「フロントグリル前」と「エンジンルーム内」から毎時30マイクロシーベルト以上を計測している。「以上」となっているので正確にはどの程度の数値であったのかは不明である。

この乗用車は福島第一原発事故前後に警戒区域内で使用されていたものを譲りうけしたものと説明されている。

10月頃には「毎時110マイクロシーベルト」を超える中古車が産地偽装され、国内で使用されている可能性があるというネット情報が流れたことがある。

おそらく、このような福島で放射能汚染された乗用車が国内のいたるとこころで走っているのだろうか?この武蔵野市の乗用車が最後の1台ということは考えづらい。

今後、第二第三の放射能汚染車が出現する可能性もある。ゴジラの最後のセリフではないが……

■首都圏放射線量ランキング(ホットスポット)
今までまとめてきた「首都圏放射線量ランキング」は側溝や雨どいなど雨水が溜まりやすい場所で出現したホットスポットであった。

(参考:【首都圏高放射線量計測ランキング】東京都杉並区、芝生シートから放射性セシウム9万6000ベクレル/kg!

今回の武蔵野市の件は、乗用車がホットスポットになってしまったという例である。今後もエンジンがセシウム汚染されたホコリを吸着することで、高い放射線量を計測する車が出てくるかもしれない。

これは雨水でセシウム濃度が高くなったことと、同じようなメカニズムと言えるのではないだろうか?

2011年12月28版:高放射線量計測ランキング(毎時3マイクロシーベルト以上の地点)
1位:柏市(10/21)57.5マイクロシーベルト
2位:武蔵野市(12/22)30マイクロシーベルト以上(新)
3位:柏市(12/1)21.9マイクロシーベルト
4位:我孫子市(11/01)16.1マイクロシーベルト
5位:我孫子市(9/07)11.3マイクロシーベルト
6位:我孫子市(10/26)10.1マイクロシーベルト
7位:土浦市(8月中)9.21マイクロシーベルト
8位:流山市(11/15)6.87マイクロシーベルト
9位:江戸川区(10/18)6.70マイクロシーベルト
10位:荒川区(11/21)6.46マイクロシーベルト
11位:船橋市(10/13)5.82マイクロシーベルト
12位:流山市(11/15)5.68マイクロシーベルト
13位:葛飾区(10/18)5.47マイクロシーベルト
14位:流山市(11/15)5.29マイクロシーベルト
15位:高萩市(12/09)4.657マイクロシーベルト
16位:流山市(11/15)4.44マイクロシーベルト
17位:石岡市(10/26)4.407マイクロシーベルト
18位:流山市(11/15)4.05マイクロシーベルト
19位:足立区(10/18)3.99マイクロシーベルト
20位:流山市(11/15)3.97マイクロシーベルト
21位:杉並区(11/02)3.95マイクロシーベルト
22位:流山市(11/15)3.90マイクロシーベルト
23位:流山市(11/15)3.90マイクロシーベルト
24位:行方市(12/09)3.850マイクロシーベルト
25位:流山市(11/15)3.73マイクロシーベルト
26位:流山市(11/15)3.65マイクロシーベルト
27位:八潮市(10/25)3.659マイクロシーベルト
28位:三郷市(9月中)3.65マイクロシーベルト
29位:足立区(10/19)3.61マイクロシーベルト
30位:杉並区(11/04)3.60マイクロシーベルト
31位:常総市(12/09)3.555マイクロシーベルト
32位:杉並区(11/04)3.55マイクロシーベルト
33位:流山市(11/15)3.42マイクロシーベルト
34位:流山市(11/15)3.39マイクロシーベルト
35位:流山市(11/15)3.37マイクロシーベルト
36位:流山市(11/15)3.35マイクロシーベルト
37位:ひたちなか市(12/09)3.246マイクロシーベルト
38位:流山市(11/15)3.23マイクロシーベルト
39位:松戸市(9月下旬)3.20マイクロシーベルト
40位:流山市(11/15)3.20マイクロシーベルト
41位:土浦市(10/25)3.13マイクロシーベルト
42位:流山市(11/15)3.12マイクロシーベルト
43位:日立市(12/09)3.050マイクロシーベルト(新)
44位:流山市(11/15)3.03マイクロシーベルト
(報道・自治体発表を独自調査)

もうガイガーカウンターは一家に一台の時代ですな。
ある日突然家の前に汚染車が止まっているかもしれないなんて。
防犯・防放射能。