「つらいのはあなただけじゃない」というメッセージをこめて、この記事を転載します。
http://mainichi.jp/area/akita/news/20120108ddlk05040003000c.html
◇「働きながら子育て」を決意 「できる限り秋田で」
「お子さんが熱を出したら面倒を見てくれる方はいますか」
就職面接で問われ、秋田市内のアパートで長女の杏ちゃん(3)と暮らす吉田真美子さん(30)は「いいえ」と答えるしかなかった。
母子2人の生活は昨年7月から始まった。それまで住んでいたのは、東京電力福島第1原発から約60キロの福島県郡山市。東日本大震災による原発事 故以降、同県の原乳の出荷制限に始まり、校庭や肉用牛など、放射能汚染の広がりは日を追うごとに明らかになり、郡山でも不安が広がった。
吉田さんもスーパーで買い物する時は産地に気を使い、杏ちゃんをなるべく外で遊ばせないようにした。地面に近いほど放射線量が高いと聞いてからは外では抱っこして歩いた。「こんな生活に疲れてしまった」と打ち明ける。
悩み抜いた末、自主避難を決めた。サラリーマンの夫は「経済的余裕がない」と消極的だったため、自分で働きながら子供を育てると決意。避難先は、問い合わせた時の対応が一番良かった秋田市にした。
当初はホテル暮らしだったが、家賃の公的負担制度を利用して9月から借り上げ住宅へ。9~12月は緊急雇用事業の一環で、秋田中央署で被災者の相談員として働いた。週5日で手取りは月10万円弱。電気やガス、灯油、ガソリン、車のローン、食費で、収入は瞬く間に消えた。
ハローワークに通って次の仕事を探しているが、見知らぬ土地で幼い子供を抱えてできる仕事は少ない。慣れない雪道でスリップ事故を起こしたり、杏ちゃんが水ぼうそうにかかるなど、出費もかさむ。幼稚園の費用も必要だ。
時折、杏ちゃんが郡山で通っていた保育園から電話があり「まだ秋田なんですか」と言われる。「福島から秋田に来た」と言うと「ご主人の転勤ですか」と、原発事故などなかったかのような質問をされたこともある。避難者の集まりにも行ったが、同世代の母親は少ない。
それでも吉田さんは「仕事をして、できる限り秋田で生活したい」と言う。「秋田の人の温かさには感謝している」と話す。
杏ちゃんのパジャマの袖は、少し短くなった。「子供の成長は早いんですよね」とほほ笑むが、季節ごとに買い替えてやれる暮らしのめどは立っていない。
◇ ◇
「ゆうちゃんは、秋田に来てスキーと餅つきが好きになったんだよね」。小野由紀子さん(39)がそう言うと、長女の佑月ちゃん(2)は傘をストックに見立てて、雪の上を滑る仕草をした。テレビで餅つきの映像が流れると、きねを振るうまねをするという。
小野さんは8月末、仕事のある夫を福島市に残し、佑月ちゃんと2人で秋田市の借り上げ住宅に自主避難した。親類や知人が福島県内で暮らす中、「夜逃げをするような後ろめたさ」もあったが、近所の人から自宅周辺の放射線量が高いと聞き、決断した。
「ママとゆうちゃんだけなの? パパは?」。佑月ちゃんは時々、父親について尋ねるという。4月から幼稚園に入る年齢だが、入園は経済的に厳しい。家賃補助も2年で終わる。
「今年はパパと一緒に住んで、当たり前のことを当たり前にできるような年になれば」。小野さんはそう願っている。【小林洋子】=つづく