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さるうさぎのブログ

原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

http://mainichi.jp/select/opinion/newsup/news/20120229ddn013040039000c.html

◇生き方、見直した日々

 東京電力福島第1原発事故を引き起こした東日本大震災から間もなく1年を迎える。処理が進まないがれきの山と見えない放射線の恐怖は、今も被災地に大きな影を落としている。それでも人々は生きていく努力を惜しまない。「それからの3・11」を3回にわたり掲載する。

 ■千葉から福山へ

 原発事故による放射能の影響を懸念し、千葉県八千代市から広島県福山市へ自主避難していた妻子の元へ昨年末、平野岳史さん(39)が1カ月遅れで 合流した。仕事などすべてを捨てることにためらいもあった。だが、避難先で、屋外を元気に駆け回る長女史記(しき)ちゃん(5)の笑顔が決断を促し、妻記 鮮(きそん)さん(33)を含めた家族3人の生活を取り戻した。関東地方からも多くの人々が避難しているが、仕事や家族の事情によって離ればなれの生活を 余儀なくされるケースも少なくない。平野さんの決断も簡単ではなかった。

 インターネット関連の研究者だった平野さんは今、同市の水産加工会社に就職しアンコウなどをさばいている。慣れない出刃包丁に腱鞘炎(けんしょう えん)になった。年末年始も三が日以外は仕事。現在のアパートは2月末が期限で、新居探しにも奔走、同県尾道市のアパートに入居が決まった。「これから暮 らしていく家がようやく決まった」。少しばかり、平野さんに安堵(あんど)の表情が浮かんだ。

 原発事故に家族は翻弄(ほんろう)された。昨年8月下旬、記鮮さんと史記ちゃんにぜんそくのような症状が始まった。次第に悪化し、せきこんで寝ら れない夜もあった。「環境を変えよう」と決め、2人は平野さんの実家がある尾道市にも近い福山市に、ボランティアの助けで移り住んだ。

 ■娘の笑顔で決断

 原発事故後、平野さん自身も体調が優れず、妻子のことも案じられた。しかし、東京都内の金属加工メーカーなどで研究を約10年続け、研究成果は欧米などでも活用されている。世界の情報網を支える仕事に誇りを持っていた。

 11月中旬、休日を利用して福山を訪れると、公園の芝生で史記ちゃんが楽しそうに走り回っていた。千葉ではほとんど外に出さず、屋内でもマスクを させた。楽しいか、と聞く平野さんに「気持ちいい」と答えた史記ちゃんだったが、時折「パパ、パパ」と寂しそうに泣くと聞いた。これ以上、離ればなれでい いのか。気持ちは固まった。

 千葉に帰ってすぐ会社に退職の意向を告げた。「そんなことで辞めてしまうのか」。理解は得られなかったが、娘の笑顔にはかなわなかった。

 記鮮さんと史記ちゃんの体調は大きく好転した。肌の吹き出物は治り、史記ちゃんのせきはやんだ。記鮮さんのせきや頭痛も格段に緩和した。

 それだけでなく、新しい土地での生活は、発見の連続だった。「飛び込んでみると、この年で新しいことを始められる楽しさがあった」。そう思わせて くれたのは、仕事を教えてくれる年下の先輩だ。上司も新生活になじめるよう何かと気にかけてくれた。会社外でも「きちんと生活できるまでは甘えなさい」と 言ってくれた支援者らに支えられた。自家製野菜をおすそわけしてくれる人もいた。史記ちゃんも野菜の収穫を体験させてもらった。土がついたままの野菜のお いしさに驚いた。都会育ちで、野菜は買うのが当たり前だった記鮮さんには、新鮮な経験だった。いつか農園で野菜を育ててみたいという、新しい夢もできた。 「人とのつながりや、生きていく上で本当に大切なことは何かを考えさせられた」。生き方を見つめ直せた2カ月だったと感じる。

 ■今度は恩返し

 平野さん夫婦は、多くの人に支えられて避難生活を送ってきた。その恩返しに、同じように避難してくる人たちの不安を和らげるため、地元の人たちを 含めたつながりをつくる活動に参加している。集まってくる家族の中には、妻子に続き夫も移住を決めて就職活動を始めたケースもある。一方で、移住したくて も仕事や自宅の問題、残る親類や友人、親の介護や反対などで、迷っている人や動けない人も多い。

 平野さんも前途洋々とはいえない。記鮮さんの家族や友人は千葉に残る。自宅マンションの売却はまだ済んでいない。「小さな子を持つ人は避難した方 がいいと個人的には思うが、事情もそれぞれだし関東が危ないという確たる証拠もない。絶対に避難するべきだとは言えない」と、問題の難しさを語る。

 夫を残して避難する母子は、二重生活による経済的負担の重さに加え、周囲の理解を得られず肩身の狭い思いを強いられることも多い。夫婦仲が悪化し て離婚に至ることもあるという。平野さんの重い決断に触れ、多くの家族に離散を強いる原発事故の過酷さを、改めて考えさせられた。

 避難と家族離散 原発事故に伴う避難が、家族離散を強いるケースは多い。関東地方と状況は異なるものの、福島県双葉郡内の住民を対象にした福島大 学の調査によると、昨秋時点で26・9%が離散していた。一方、放射能汚染を恐れて自主避難する人は、関東でも後を絶たない。岡山市の支援グループ「おい でんせぇ岡山」によると、半年を過ぎたころから事故の収束が見えないなどの要因で加速度的に増え、相談は増える一方という。岡山県内に受け入れた105家 族、269人(2月4日現在)のうち約9割が関東からだ。夫を残して避難する母子が目立つという。


http://mainichi.jp/area/saga/news/20120229ddlk41040369000c.html

◇九州野菜を関東へ

 佐賀市巨勢町の農産物直売所で、藤澤佳代子さん(44)は大根や白菜をカゴいっぱいに入れる。昨年5月中旬、千葉県柏市から佐賀市に子供2人と避 難した。「安くて大きいものばかりですね」と満足げだが、家族3人で食べるには不相応な量。「自分で食べるために買っているわけではないんですよ」

 自宅を出たのは5月16日未明。佐賀市の公営団地に入れるのは同月30日と決まっていたが、いても立ってもいられなくなった。たまたま市内に知人 の空き家があって一時借りられることになり、15日の晩から夫(46)を説得し、軽乗用車に高校1年の長女かのんさん(15)と小学6年の長男奏君 (12)を乗せて飛び出した。「放射能汚染から子供を守ることに必死で、衝動的だった」

 だが避難後には「申し訳ない気持ち」に襲われた。不安無く食材が手に入る状況に「私だけ九州の野菜を買える」と感じたからだ。

 そんな時、インターネット交流サイトで「誰か野菜を送ってくれないかな」という関東在住の女性の書き込みを見かけた。「私が関東にいたら、九州の野菜を送ってほしいと考えるはず」。そう思い立ち11年6月、サイトを通じ、会員制の「九州の食材宅配便」を始めた。

 登録者数は首都圏に住む幼い子供を持つ親を中心に238人。1カ月当たりの郵送は平均20~30回。野菜代や送料などほぼ実費のみを受け取り、一人で活動している。

 賛同企業も出てきた。大手運送会社「ヤマト運輸」は全国一律1050円で配達を約束し、佐賀市内のスーパーマーケット「フードウェイ」は、買い物 をしていなくても野菜を梱包(こんぽう)するための場所を提供してくれる。自宅がエレベーターのない団地の5階にあるため、助かっている。

 一つ一つの野菜を新聞紙に包み、段ボール箱に詰める。売り場にあるレシピを添え、調理法の助言も忘れない。主婦目線の気遣いが好評だ。

 「子供と段ボールを開いて、どんな野菜が届いたのか楽しんでいます」。そんな喜びの声も届く。「都会の野菜と違って大根やニンジンに葉が付いている。九州から安心と『ワクワク』を届けられているのかな」と笑う。

 野菜を送るだけではない。避難を検討する人の相談相手にもなり、これまで約60人に対応した。多いのは「親同士で放射能の話をしたら関係が気まずくなった」など、放射能不安と人間関係の悩みだ。登録者の悩みは「カルテ」にもまとめている。

 東北地方の住民ではないのになぜ避難したのか--。自身も、そんな視線が気になることがある。「避難してきたことが本当に正しいのか分からな い」。そう迷いを見せながらも「防げるものは防ぎたいのが親の思い。正しかったかどうかは後で分かるはずです」と、決意するように語った。【春田周平】


http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2861482/8516109

2012年02月29日 07:59 発信地:パリ/フランス

【2月29日 AFP】フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN )は28日、昨年3月の東京電力(TEPCO )福島第1原子力発電所事故について、放射能汚染レベルはこの1年間に急激に低下したものの、汚染は慢性化し、長期にわたって続くとの見解を示した。

 IRSNによると、主な放射能漏れは3月12~25日の計約15件の事故で発生したが、最大の放射能漏れは恐らく3月15日以前に発生した。


 セシウムの総放出量は推定で5万8000テラベクレル(テラは1兆)。これは1986年のチェルノブイリ(
Chernobyl )原発事故における放出量の3分の1弱にあたる。なお、セシウム137の総放出量は推定2万1000テラベクレル。

 セシウム137に汚染された約2万4000平方キロのうち、1平方メートルあたり60万ベクレルの安全基準を上回ったのは600平方キロに過ぎず、これもチェルノブイリ事故の場合を大きく下回る。


 ただし、福島第1原発から最大250キロ離れた場所でも、雨などにより放射性物質が蓄積された「ホットスポット」が依然として残っている。


 これまで、事故が直接的な原因となった死亡例や病気の報告はないが、市民や救急隊員や福島原発作業員への長期的な影響については不明だとIRSNは強調している。


 IRSN危機管理部門のディディエ・シャンピオン(
Didier Champion )氏は、慢性的な低線量の被曝が続く恐れがあり、注意しなければ累積被曝量は増えていくと指摘し、日本は果物、ミルク、キノコ類、狩猟した動物、魚介類の厳重な監視を継続することが死活的に重要だと述べた。(c)AFP/Laurent Banguet