支援頼みやめ 「自分たちも働く」
福島第一原発から1700キロ。2月の那覇市は、福島の遅い春を思わせる暖かさだ。市民会館の和室に19日、東日本大震災の被災地から沖縄県内に移った県外避難者ら約100人が集まった。避難者でつくる「つなごう命・沖縄と被災地をむすぶ会」が開いた交流会。有機野菜の即売会や楽器演奏が続く会場は、子ども連れの母親たちが目立った。
「沖縄に来てから、思う存分、外で遊ばせられるようになった」と、7歳と2歳の息子を連れて避難している久保田美奈穂さん(33)は喜ぶ。「ただ、仕事の都合で地元に残った夫とは、今後の話をすると、いつも口論になる。先の見通しが立たないのがつらい」
家計を支える夫は仕事のために被災地に残り、妻子だけが避難する――。こんなケースが県外避難者に目立つ。
「7割は母子避難ではないか」と、70世帯約200人の県内への避難を支援してきた社団法人「つなぐ光」の中川角司事務局長(49)は言う。高齢者が多かった1995年の阪神大震災当時の県外避難者とは、全く様相が異なる。
遠隔地にもかかわらず、沖縄への避難者数は、大阪、兵庫、京都に次ぐ西日本4番目の約1000人(復興庁調べ)。
原発から遠いため放射能汚染の心配が少ないことに加え、沖縄への交通費や住居が決まるまで1か月間のホテル滞在費、モノレールの無料乗車カード支給など、行政の支援の手厚さもあって、今も月約40人のペースで増えているという。
働き手も一緒に暮らすには避難先での就労支援が重要だが、受け入れ先の地方も雇用情勢は厳しい。
長引く避難生活のなか、自立に向けた動きもある。
福島県伊達市から札幌市の雇用促進住宅に家族で避難した宍戸隆子さん(39)は昨年7月、同じ住宅に住む避難者たちと自治会を結成した。約120世帯が加入する。お互いに顔もわからない避難者を結びつけ、知りたい情報を持ち寄る。
宍戸さんは「支援におんぶにだっこではなく、自分たちも動かなければいけない。自治会が行政との窓口にもなれる」と話す。
自治会で避難者向けの一時保育も始めた。保育士の資格をもつ避難者らが子どもを世話する。「母子避難の母親が仕事に出られるようになり、避難者の雇用創出にもなる」と言う。
2月11、12両日、小雪が舞う福島市に、各地で避難者支援を続ける約50団体が集まり、初めての全国集会を開いた。
「見通しのない避難生活をあきらめて、被災地に帰ってしまう避難者が目立つ」
限られた資金や人員で、手探りで活動を続ける団体が多い。抱える悩みは同じだ。「情報やノウハウを共有して、支援の課題解決につなげよう」と、今後、支援団体による全国協議会を結成する動きが加速した。
立命館大政策科学部の桜井政成准教授(NPO・ボランティア論)は「避難者の個別事情に合わせた、息の長い『伴走型』の支援が必要だ。そのためにはNPO・ボランティアだけでなく、企業や住民団体、行政など異業種的なネットワークづくりが重要になる」と指摘する。
県外避難者は、阪神大震災当時、支援の網から漏れ、「見えない被災者」とも呼ばれた。
避難者自治会代表の宍戸さんは昨年12月、参院復興特別委員会に参考人として出席し、平野復興相ら閣僚にこう呼びかけた。
「ここにいる皆さんに、私が、見えていますか」