私たちは普段通りの生活をしながら、放射線とずっと一緒にいなきゃいけない | さるうさぎのブログ

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原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

以下転載
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20110708ddlk34040478000c.html

東日本大震災:フクシマを行く/下 原発事故に「温度差」 /広島

 

 ◇見えぬ放射線、日常を一変

 福島県は東西約160キロ、南北約120キロ、広大な面積を誇る。事故を起こした東京電力福島第1原発付近から、県内の遠方の自治体に避難した人たちを「温度差」が悩ます。原発近くで長年暮らしてきた人たちが何を思うのか、聞き歩いた。

 福島第1原発から南に約7・5キロの富岡町に住んでいた河村勝男さん(49)。震災直後、放射能汚染を知らせる町の避難指示に従い、妻の里美さん (46)と両親の一家4人で車を走らせた。西に約45キロ離れた三春町の避難所で約1カ月過ごしたが、母親(79)の足腰が弱りだした。5月、原発から西 に約60キロの郡山市に移り、県の借り上げアパートに入居した。その月末、地震で被災した勤務先から解雇され、職探しを続けている。近くにある多目的ホー ルは富岡町民が多く避難しているが、避難が長期化し段ボールの間仕切りが並ぶ。河村さんは両親の知り合いを見つけては、連絡を取り合う生活を続けている。

 原発事故は日常を一変させた。3月11日まで、原発は安全と思っていたが、ウランの利用に疑問を持つようになった。「石油など他の自然物と違う。 一度こうなったら防ぐ方法はあるのか……」。震災から2カ月がたった5月半ば、20代のころに働いていた神奈川県に行き、かつての同僚たちと再会した。原 発事故の話題ではよそよそしくなり、「距離を感じた」と言う。「被災者でないと置かれた状況は分からないだろう」と話す。

 原発から約60キロ離れた福島市渡利(わたり)地区の中学3年、酒井花乃さん(14)は、生徒同士で意識の違いがあると教えてくれた。母隆子さん (38)は「いざというときは避難しよう」と言い、家の掃除や食事などにも気を配る。「学校には、長袖にマスク着用の子もいれば、半袖マスク無しの子もい る」。原発事故以後、学年約170人のうち、5人ほどが他県へ避難した。一人二人と抜けていけば、危機感が募る。海外メディアが取材に来たこともあり、半 袖マスク無しの子は減りつつある。

 花乃さんは吹奏楽部部長で、唯一のバスクラリネット奏者だ。7月末の中学最後のコンクールには出場したい。放射線を気にしない友人もいるが、「母が決めれば、私も逃げることにしました」と気丈に話してくれた。

 原発事故は収束せず、見えない放射線に脅かされ続ける福島の人たち。同じ渡利地区の主婦の言葉が忘れられない。「私たちは普段通りの生活をしながら、放射線とずっと一緒にいなきゃいけない」。原発事故の罪深さをかみしめている。【矢追健介】