3.11後の設計図<4> スローライフ求め 移住 | さるうさぎのブログ

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原発・放射能はもとより、環境に悪いものから子供たちを守るには・・・?!

過疎の村のみなさん、原発を誘致しなくても、原発難民を受け入れる事で村が活性化するかもしれませんよ。

以下転載
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news-spe/20080709-3275005/news/20110704-OYS1T00390.htm

3.11後の設計図<4> スローライフ求め 移住

緑の大地が広がる熊本県南阿蘇村。その一角に自力で新居を建て、共同生活を始めようとしている人たちがいる。神奈川県鎌倉市から移ってきた元障害者施設職員、豊田義信さん(31)とちひろさん(34)夫妻ら4人。3日は建材となる丸太の皮をはぐ作業に汗を流した。

 豊田さん夫妻は東日本大震災の直後、阿蘇に移住した。「将来産む赤ちゃんに、万一でも放射 能の影響がないよう考えた結果」とちひろさん。仲間が持つ土地があったという事情もあるが、何より澄んだわき水と大自然に魅了された。

 

 地元住民も温かく迎えてくれた。仮住まいの一軒家は安値で借りることができた。布団、食器、なべ、靴下に至るまで生活必需品をそろえてくれた。豊 田さんはNPO法人が運営する伝統工芸学校で事務職員の仕事を得た。月収約10万円が見込める。田んぼも年7万円で貸してもらった。

 

 2人は「今までと違い、生活の問題は人とのつながりが解決してくれる」と実感している。

 

 隣の高森町にも、震災後に東京から移ってきた6世帯16人が、会社の保養所を借りて住んでいる。

 

 スーパーに並ぶ野菜の産地を気にする必要はない。放射 能の線量に神経をすり減らすこともない。子ども2人がいる主婦久田善美さん(40)は「近くに救急病院がなく、子どものアレルギー発作が気がかり」としながらも、他の母親たちと「ここは安心できる」と口をそろえた。

 

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 物質的な豊かさと効率性を重視し、大量生産・大量消費社会をつくり上げてきた戦後日本。しかし、震災が価値観の変化をもたらし、多少不便でも環境 にやさしく、安心でゆったりした暮らしを求める人々が増えている。その人たちは、九州は自然に恵まれ、人の絆を大切にする社会が残されていると感じてい る。

 

 自治体も全体像を把握できていないが、熊本、大分両県には震災後に関東から移住もしくは自主避難してきた人が数人~十数人単位で点在している。熊本市で支援活動をする建築家坂口恭平さん(33)によると、市内だけで少なくとも50人以上いるという。

 

 過疎に悩み、住宅や仕事のあっせん、育児支援といった移住促進策を進めてきた自治体には、この状況は好機だ。しかし、震災を機に新しい価値観に目覚めた都会の人々を積極的に受け入れ、一緒に町おこしをする展望までは描けていない。

 

 南阿蘇村は今年度、村内の約100軒の空き家のうち、試験的に3軒を修繕し、移住希望者に貸し出す制度を始める。村企画観光課の担当者は「草刈りや道路清掃など集落の共同作業に参加することが条件。伝統的な農村社会に溶け込める覚悟が必要」と語った。

 

 観光客を相手にした飲食店や宿泊施設など、仕事先はある。だが、勤務が週末や休日に集中し、子どもとゆっくり過ごすことは難しい。村総務課の担当者は「スローライフを求めて来た人にぴったりの仕事はなかなかない。歓迎するが、長続きしてくれるかどうか」と話す。

 

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 豊田さんたちは、地元の人々と融合できると信じている。

 

 便を肥料に変えるコンポストトイレ。日光で温めたお湯を使うシャワー。新居は究極のエコ住宅にする。そこを拠点に農産物などを持ち寄り、現金やエネルギーをなるべく使わない緩やかな共同体をつくるつもりだ。

 

 「都会のノウハウを使い、農村社会に溶け込む姿を全国に発信し、移住者を増やす。それが阿蘇の人々への恩返しにもなる」。豊田さんたちは力を込める。

 

 長崎県・五島列島の北部に浮かぶ離島、小値賀町。人口2900人に満たない町は1997年以降、90人の移住に成功した。町は住居や職探しに便宜 を図り、移住者たちはインターネットを使って町のPRに一役買うなど、協力して町おこしに取り組んでいる。牧尾豊・総務課係長は「自治体は移住者と地元住 民の間に入り、互恵関係を築く役割が求められている」と指摘する。

 
(2011年7月4日 読売新聞)