サンタクルスでの悲劇 | 『俺達なりの南米突撃記』 ~西から昇ったお日さまが♪~

サンタクルスでの悲劇

ちょっと前の話ですが、コッチに来て最初の休暇でサンタクルス行ったときの話を。



ココでは14日働いて、7日休暇なのですが、最初の休暇を取得する時点ではボリビアでのビザ取得の為にまだパスポートを当局に預けてるので、国外に出ることが出来ず、ボリビア唯一の低地であるサンタクルスに行くしかないのです(休暇は低地で取らないといけないルール。サンタクルス以外は基本高地なので疲れが取れない)。



サンタクルスは標高400mのブラジル寄りの町。基本的にボリビアって茶色い高原がずーっと広がってるイメージだけど、サンタクルスは別。なんと背の高い木が生えてる(日本やと普通か。。。)!なので町全体が緑色。いつも荒廃した台地ばっかり見てるから、木の緑見るだけで目がダイブ癒される。


休暇初日の朝、俺は鉱山からラパスまで会社所有の飛行機で移動(70人くらい乗れる立派なもの。その昔はウガンダ航空が使用していた)。1時間くらい。


ラパスからはボリビアーナ航空(Boliviana de Aviacion)のフライトでサンタクルスまで移動。これも1時間半くらい。


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サンタクルスの空港は思ったよりも立派。そして何より空気が濃い。深呼吸するのが楽しい。体全体にジワジワ酸素が回ってる感覚がすごいある。

空港で荷物待ちしてたら日系人少年野球チームに遭遇。10歳くらいの小さい子供が日本語とスペイン語の両方をペラペラ喋ってるのを聞いて、かなりの劣等感。コイツらやるな。。。


今回の休暇は4日だけ。サンタクルスには3泊。一応サンタクルスでは一番良いとされているLos Tajibosにチェックイン。なかなか立派なホテル。でかいプールもあったけど、今は冬なので誰も泳いでない。夏来たら楽しいやろうな。


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初日の午後はサンタクルスの中心(セントロ)を一人でうろついてみることにした。南米の町の中心には必ず広場(プラザ・○○)が有って、その周りに教会とかが並んでる。どこ行ってもそう。サンタクルスも同じで、中央に広場(名前忘れた)があり、その横にあるカテドラル(教会)も見学してみた。カテドラルはでっかくて立派。


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けど、この広場ハトが多すぎてキモい。ホンマに多い。歩こうと思ってもハトおるから直進できひん。横でハトに餌やってる子供と老人!お前らのせいでますますハトの数増えちゃうやん!ハトの糞だらけで臭いねん!



夜はボリビアの日本人コミュニティの間でも名高い日本料理屋「けんちゃん」へ。どんな店かと思ったらプレハブというか屋台やん!日本人おるかと思ったけど、日本人誰もおらん、俺一人。


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けど、ココでは幸せなことが。それは漫画。日本の漫画がたくさんおいてある。数ある中で俺がチョイスしたのはMr.味っ子!(ドラえもんと最後まで迷った)味王さまとか懐かし過ぎた、これって年齢ばれますね。


料理は美味かった。スタミナラーメンに、チャーハンに、焼き鳥。もはや日本ですねココ。


二日目は地球の歩き方に乗ってたコロニア・オキナワ(沖縄移民の村)に行くことに。お前現地に住んでるくせに地球の歩き方かよ!って言われそうですが、こっちには気の利いたガイドなんてないし、やっぱり地球の歩き方の情報量はすごい。ボリビアまでよく調べに来たな。。。。



コロニア・オキナワまでは車で2時間くらい?今日は一日足が欲しかったので、タクシー運転手に一日丸々拘束したらいくらか交渉。6千円くらいで合意(けっこうぼられた)。そしてペラペラ話ながらコロニアオキナワへ。着くとホンマに田舎。そこらじゅうに放牧されてる牛が歩いてるし、町っていうより道沿いにある集落か。。。



ガイドに乗ってる歴史資料館に行こうとしたら、14時からだといわれ、時計を見ると13時。俺は町唯一の日本食屋で昼食を採ることに。これが悲劇の始まりとも知らずに。日本料理屋は薄暗くて怪しい雰囲気。ホコリっぽい。メニューはホワイトボードに汚い字で書いてあるのみ。取り合えず俺は生姜焼き定職をオーダー。しかし、これがまずい。ご飯も謎の汁物も冷たいし、肉も変な味する。。。。全部は食べれずお金を払い店を出た。


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14時になり沖縄移民歴史資料館へ。ここでは日本人の事務員が出迎えてくれ、全部日本語で説明してくれた。しかしすごい建物。そこらへんの家はボロボロなのに、ここだけ日本の公民館みたいなのが建ってる。戦後に貧しい沖縄の人たちが移民してきたけど、豪雨やインフラ不足でかなり厳しい生活だったみたい。けどそこで生き抜く力はすごいなぁと実感。俺はまだ楽なほうか。。。

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因みにココに住んでる日系人は一応みんな日本パスポートらしい。その方が後々便利だって。あと、ココで生まれ育った人たちは基本的にサンタクルスとかで働くらしいけど、日本に出稼ぎに行く人も多いらしい。俺に説明してくれた女の人も神奈川に住んでたって。日本の人の多さと技術の進み方ヤバイですねって言ってた。けどボリビアの方が住みやすいって。ホンマか?




その後俺は日本人小学校に突撃。勝手に職員室を訪問し、「色々話を聞かせてください」とお願いした。最初は何だコイツは?って目で見られたたけど、俺がボリビアに住んでる日本人であることを説明すると、色々教えてくれた。


ここでは日本語とスペイン語の授業が半々で行われているらしい。けど移民が来てから60年くらいが経って、かなりハーフが増えてきた。お母さんが日本人の場合は

子供は日本語ちゃんと喋れるけど、お父さんが日本人の場合は全然日本語喋れないケースが増えているらしい。だから日本語の授業もレベルの差があって難しいって。んんーなるほど。



そして俺が学校内をウロウロしていると、56年生のクラスの担任の先生に呼び止められ、折角だから仕事の話を子供に教えてやってくださいと頼まれた。いきなりだったけど、せっかくなので、俺が日本でどう育ったか、ボリビアの鉱山でどんなことしているのかを説明してあげた。鉱山でダイナマイト使って爆破する映像もiphoneで見えてあげた。ここの子供はホントに純粋なので、僕は鉱山で大きいトラック運転するとか言ってた。逆にこっちが癒された。がんばれボリビア少年!



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こうしてコロニア・オキナワを後にした俺だったが、本当の悲劇はこれから。ホテルに着くとなんか気持ち悪い。道も悪いし車酔いかと思ったが、なんか異常にしんどい。


部屋に戻るとなぜかリバース、そして下痢。一回で終わるかと思ったけど、何回も続く。吐き続けると脱水症状になるっていうから水飲んだけど、飲んだ瞬間から水もリバース。一晩で20回くらい吐いてた。一晩中吐いてた。もっというと二晩にかけてずっと。寝れないし苦しいしもう最悪。そうして俺はオキナワで食べたあの生姜焼きに当たっていわゆる食中毒になったことに気づいたのだった。確かに変だったもんなー。



せっかくの休暇も最後の3日はずっと吐いて、ずっと下痢。休むどころか体調最悪な状態で職場に戻ることとなった。


同僚には「変だと思ったら絶対食べちゃダメですよ。ちゃんと自分の身は自分で守らないと死にますよ」と注意された。


ごもっとも。まぁ何事も経験しないと痛みは分からないからな。いい経験だったと思うようにしよっと。



最初の休暇、終了。。。