放射線の人体への影響と専門家の倫理(その3) | お手伝いさんたちのブログ

お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

放射線の人体への影響と専門家の倫理(その3)



--------ここから音声内容--------


(音声4)
さていよいよ、本論のですね…中心的存在である、専門家の倫理について踏み込んでみたいと思います。この専門家の倫理ってのは、専門家の人の関係するんだなぁと皆さんお思いでしょうけど…これはこれを理解しないと、被曝っつうのは止まらないんですよ。被曝を我々は止めなきゃいけないんですね。いろんな責任もありますが、一番大切なのは、子供達の被曝を止めるってことですね。





これはですね、専門家の倫理に尽きるんですよ。これがしっかりすれば、子供達の被曝は相当止まると…私は思っているわけですね。そこで何回も専門家の倫理っていうのを話してる訳ですが。なんか…武田先生はいやに論理的なことを言ってるって…いやそうじゃなくて…どうしたら子供達を被曝から救うことができるか?という中心的なところが、実はこの専門家の倫理なんですね。





これをちょっと解説しますと、現代社会はきわめて複雑であります。そこでですね、適正にそれを運営する為には、特別な権限をもった人を置かなきゃいけないんですね。例えば…裁判官は死刑判決をします。死刑判決ってのは、殺人ですよね。それから、医師は足の切断手術をします。足を切れば傷害ですよ。それから、教師は思想教育をしますね。思想教育ってのはこれ、共産主義がいいとかそういうんじゃないんですよ。「これをこう考えなさい、あれはこう考えなさい」という訳ですから、これは思想の自由に違反しますね。





だけど、この職業的権利が与えられているわけです。裁判官は命をとり、医師は足を取り、そして教師は心に手を入れると、まぁこういう事ですね…その権利が与えられている。しかし、それはですね…一番上に何か別のものがなきゃいけないので、「国」の上にですね…裁判官は「正義」があり、医師は「命」があり、そして教師は「真理」があるわけですね。





これのことをよく私は例えば、ある医師が野戦病院で治療にあたっていた場合、敵国の戦士が運び込まれてきたらその命を助けるんだと。戦争中ですからね、何しろ隣で同胞が命を掛けて敵兵を殺してるっていう中で、国家とか上司とかの枠組みを越えて、医師は命令者…つまり「命」に忠実であるということが求められている訳ですね。これはホントに特異なんですね。だから従ってですね、裁判官とか医師とか教師は、時に反社会的なんですよ。反社会的っていうか、全体的には社会的なんですが、戦争してるときに敵兵助けちゃうわけですから、まぁ反社会的なんですが…しかし、それを許すというのがですね、国家の正常な姿な訳ですね。





例えば殺人犯っていうのがあります。これはまた、裁判官と医師の間は合わないってやつですね。裁判官が「死刑判決」した死刑囚を、医師は「治療」するんですよ、具合が悪いと。死刑裁判を受けて死刑を待つ人がですね、胃の具合が悪いっていったら、医者はそこに行って治療するんですよ。今から殺そうって人を治療するんですから、これは変なんですけど、裁判官は「正義」が一番上であり、医師は「命」が一番上なんですね。それぞれの職分を果たすってことなんですよ。





この時医師がですね、「だいたい殺人罪を犯した人なんかを…健康なんか助けるか!」って言っちゃいけないんですね。これは私が今、タバコで言っていることがそうなんですよ。病院でタバコを吸うのを禁止されたりですね…これはまぁ良いかもしれませんが…呼吸器の医師によっては、タバコを吸う人を治療しないって人がいるんですね。これは絶対駄目だと…こう私は言っているんですけども…まぁこの例でお分かりになったらありがたい、と思っておりますが。





ところがこの福島の事故においてですね…医師ばかりじゃないんですよ。私は医師ばかりを攻撃するって言いますけど、私は治療という医療の行為は、非常に大切だと思うんですね。これを今、壊そうとしているんで、私はそこを指摘している訳でありますが…。





被曝の4階建て。つまり医師がですね…権限を持っているのは、単に医療被曝の2.2ミリシーベルトの部分だけなんですよ。原発からの被曝の1ミリシーベルトを言っちゃいけないんですね。つまり、自分は患者さんの健康の為に足を切断しますが、だからといって、他人に足を切断していいって言っちゃいけないんですよ。





例えば、医師がこう言ったとしますよね。「我々はCTスキャンを使うから…CTスキャンを使ったら6ミリシーベルト被曝させると、だから1ミリシーベルトは大したこと無い」って言う医師が現実に居るんですよね。それは何を言ってるかっていうと、「我々は足を切断する手術をするのだから、指ぐらい切断しても良い」と…こんなこと言ってるのと一緒なんですね…切りつけても良いとかね。だめなんですよ。医師はなぜCTスキャンができるかというと、CTスキャンで被曝して損害する分だけは利益があるということで、医師が判断されているわけですね。ですから、決してここを間違ってはいけません。





もしも、ここんところをですね…原発からの被曝1ミリに医師が言及したらですね、医師は医療の自由を失います。私はですね、医師が医療の自由を失うのは非常にいけないと思っているんですよ。この頃、医師の誤診などに対する、非常に激しいパッシングなどがあります。私はそれは反対なんですね。まぁひどいのは別にしましてね、やっぱり医師も人間ですから、診察する上で多少の誤診はある。しかしそれを承知で専門家の医師というのを信用して、医療を任せるというのが、現代の複雑な社会で最も大切なことなんですよ。





まぁそういうことで、これについては…医師は今後一切「原発の1年1ミリ」については言及しないで欲しいと。これが非常に大きく、多くの人に被曝の原因をつくりました。ですから、まぁそれに対して医師は大きな責任がありますね。東電からの被曝は何のメリットも無いわけですよ。お医者さんがCTスキャンをするのはなぜかといえば、それによって、内臓なら内臓の疾患が分かり、その人の命を助けられるから「6ミリシーベルトの被曝」よりかは「益」があるということな訳ですからね。





医師が1年何ミリの被曝まで医師会のほうで認めるかは別にして、住民にですね…やや半強制的に違法な被曝をさせている、福島の医師が居られますから。私はある会議でこういった医師については、医師免許の返納を勧告するべきだという質問をいたしましたが、まぁ質問された医者の方はですね、まぁ日本に住んでおられますから、そんな過激なことはちょっと…っていう顔をされていますけど…それは無理ないと思いますが。しかし、そこはしっかりと考えなければいけないという風に思います。





それからもうひとつはですね…一応ですね、日本の法律というのは、「被曝が健康に害する」という前提に立ってなされているわけですね…。今までもお医者さんはそういうに普通の人を指導してきましたが、それが「政府の方針があるから、健康を害して良いんだ」と、こういう政治的判断をしているということですね。





これは福島から大量の避難者が出ると日本が混乱するという政治的判断があります。この政治的判断に、医者が加わってはいけないんですよ。それでさっき言いました様に医者っていうのは、野戦病院に居てもですね…敵兵を助ける、つまり政治的判断の中に居ちゃいけないんですよ。なぜ政治的判断の中に居ちゃいけないかというと、医師の命令者は「命」だからですね。「命」だから、政治的判断は、その下位にあるわけですね。だからそこのところをですね…しっかり分からないとですね…両足を切断する手術ができないということなりますので、非常に大きな問題であるというわけですね。





それから第3はですね、医師は独自の治療はできないっていうことですね。裁判官は自分で法律を作らないんですよ。「社会に認められた法律」に基づくわけです。これどうしてかっていうと、裁判官も法律家ですから、「この法律はこうあるべきだ」という思想があると思うんですよ。しかし、裁判官が自分で勝手に考えた思想に基づく法令で、判決するわけにはいかないんですね。





たとえばある裁判官が「窃盗ってのは非常に良くないんだと、これを許してくと社会が乱れるから死刑に値する」というんで、窃盗で死刑を判決するってこといけないんですよ。「1個のパンを盗んだから、死刑だ」というのは、やっぱり社会正義に反するんです。これとほとんど似たようなことを、今度医師の方が言ってっておられますね、ええ。「私は100ミリが正しいと思うから、100ミリだ」と、これ駄目なんですよね。





安楽死は医療だ…というのは確かかもしれませんね。お医者さんとしては…一生懸命治療されているお医者さんとしては、こんなに苦しんでいる人を、まだ無理やり生かすのかと…本人の為には安楽死させた方がいいんじゃないかと思うこともあると思いますね。だけどしかし、これは駄目なわけであります。





だから、「現在のところの規定ってのは、きちっと守る」ってことが必要だと思います。えっとですね、これはですね…実は今までお医者さんのことばかり厳しくいってまいりました。しかしこれは、お医者さんがこういう例では非常に良くはっきりするんですね。私はですね…くれぐれも間違えないで欲しいんですが、お医者さんを尊敬し…社会がですよ、そして医療はお医者さんに任せる…お医者さんとか看護婦さんに任せる、ということが、本当に大切だと思っているんですよ。





そうしますとね、これは社会としては、お医者さんに絶対の信頼を置くということが必要ですし、お医者さんの方は、それに応えてきちっとした医療の倫理ですね。つまり我々は「命」を命令者として動くんだと、政治だとかそういうことをやらないんだっていうことで(音声がここで切れていました)





(音声5)
えー先ほどの録音の時にちょっと時間を間違えましてですね、途中で切れちゃったんですが…えーっと医療は非常に大切であるってことですね。それでまぁ、ここに例を主に出しているわけですが、これは教師であれですね、他のところでも全く同じですね。例えば高速道路の運転をしている運転手にですね、「この道路の制限速度は80km/hだけど、私は専門家で危険性が分かるから、140km/hまで大丈夫だから、それで違反しなさい」というアドバイスをしたらいけないんですね。




だからといって、変更しちゃいけないってことじゃないんですね。制限速度検討委員会で学術的根拠を述べて「80km/hから140km/hにする」という進言することができるわけであります。また、実際に運転してない場合ですね、たとえば、今度の場合、放射線が漏れてない場合にですね、放射線の被曝限度を議論するのは適当なんですね。これはTPOがあるって事ですよ。




やっぱりね、火事が起こっているときに、やけどの限界はどうだってことを議論するんじゃなくて、火事が起こっているときはまず逃がすと、もしそこに基準があれば、基準をとりあえず守ると、火事が収まってですね…鎮火したら、これまでの規則をここでちょっとまずいんじゃないかってことを見直すと…これはですね、常識中の常識じゃないかと思いますね。




まぁこういった問題はですね…実は私が倫理問題として、大きく取り上げているのは、このグラフですね。このグラフは電力会社が自らの従業員に対して、自主規制してたんですね。この平均線量が驚くべきことに、1年1ミリなんですよ。これは平均ですからね、人によってはまぁ2ミリの人もいたでしょうけども、現実に自分達が従業員を「1年1ミリ」に今から20年前からやっていたにもかかわらず、自分達が事故を起こすと「20ミリまでいい」とか「100ミリまでいい」という、国の方針に文句をつけない、と。





これは本当に…こう産業人の堕落なんでしょうね。もちろん専門家もそうですですが。やっぱりそれはひどいですよね。自分は「1年1ミリ」だと、自分が起こした事故で、「あなたは20ミリまでいい」と。「それはないよ」という感じで、これは論評することも無いと思いますが、日本の専門家が実にぼろいということですね。






私この前、食品安全衛星委員会に関する…専門家の、国の宣伝ビデオの中で、ある専門家が出てまいりまして、もう本当はね…顔も出したい、名前も出したいっていう感じなんですがね。その方がですね「被曝を怖がるのは科学的じゃない」って言うんですよ。これはまぁ書きましたけどね。





被曝を怖がるのが科学的じゃなかったら、いったいこういうのって全部どうなってたの?と。科学者って居ないんですか?、1年1ミリっていうことを決めた…この自主規制ですね、これは。電力会社の従業員が本当は20ミリまで浴びてもいいのに、1年1ミリシーベルトに制限して、従業員3万5000を8万人ぐらいまで増やした。これは科学に基づいてなかったんですかね? 何にこれは基づいてたんでしょうか? そういうことをですね、国から金をもらったからって、もしくは自分の信念だからといって、作る国の方も国だし、専門家のほうも専門家ですねぇ。




これはイタリアで地震が起こった第一審判決で、「地震は来ない」と言ったことに対して、過失致死罪で禁固刑が言い渡されましたが、これはまぁまともなことですね。これはですね、仕方が無いことなんですよ。これは言論の自由でもなんでもないんです。これは学問じゃありませんからね。学問というのは、純粋に学会なんかで、利害関係の無いところで発表されるもの、もしくは議論を戦わせるものであり、あの図で示すですね「裁判官・医師・教師」というような専門職は、これは学問の領域からもう一歩社会に近づいておりますから、だから違うわけですね。





委員会でもですね、委員の一員ではなくて、権限無くですね、意見を求められて、学問のことを言うのはそりゃ良いんですが…委員の一員で決定権を持つ場合とか、社会的な影響を持つ場合、だめですね。例えば、中央教育審議会の委員として参加し、ゆとりの教育を指示したけれども、それがすぐ失敗して駄目になった場合は、教育関係者は絶対責任を取る必要があります。子供の(子供に)被害を与えたって意味で、やっぱり何かの、例えば辞職であるとか…大学の先生辞職するとか、そういうことは必要あるでしょうね、ええ。









ですから今回の一連の被曝・原発の事故に関して、公的な地位にあり、また公的な委員会にあり、もしくは広く国民に呼びかけて、1年1ミリ以上の被曝の増加を進めた場合ですね、被曝による患者さんが1名でも発生したら、これはやっぱり過失傷害罪で逮捕しないと、やっぱりこの…子供の被曝は止まらないという風に思いますね。えーまぁ以上ですね。福島原発の事故を1年半たったところで、主に被曝について整理をいたしました。








被曝についてはですね、その…私が先に言いましたように、原発事故は原発自身の問題も非常に重要なんですが、なんといってもまずは子供を助けることだってのが、私の主たる論調なんですね。火事が起こったとき、火事の原因とかそういうものを探るよりか、まず火事場からやけどしないように子供を救うのが先だと。それでまず、やけどを治すのが先だ、っていうのが私の考え方で、それが終わったらじっくりと家の建て方とか、そういうのを検討しようじゃないかと、こういうことですね。







なお、私はですね、あまり文章の中に、引用文献を引くのがあまり好きではありません。これはもちろん私の論文ですね…学術論文は、1つの論文でも20とか40とか…参考文献を引いている訳でありますが、一般的な場合はですね、まず参考文献が掲げられていてもですね、それをいちいち見るってことが非常に難しいって事でですね。









もうひとつはですね、その人の著作物が、必ず署名がいるって私は言ってるんですよ。誰が言った?って。なぜかっていうと、その人の責任だからですね。そこに書いてあることが、引用文献があるから信用できるんじゃないんですよ。書いた人が信用できるかどうかによって決まるんですね。ですから私はですね、あまり引用文献書きません。









リサイクル関係でもあんまり言われましたので、1個ですね、環境関係で「科学者から見る環境問題」という本を書きまして、そこにですね200か300ぐらいの引用文献を書きました。それで代表しました。つまりですね、私の著作をみれば、全体としては必ず引用文献があるのですが、個別については、あまり引くようなことをしてません。









しかし今度はややまとめましたので、関連法律はありますよってことですね。たとえばここでいっている「電離放射性障害防止規則」それから「放射性同位元素等による放射線障害防止に関する法律ならびに施行令、施行規則」、これは文部科学省の書簡ですけどね。それから原子力安全委員会の指針類ってのはですね、これはもうちょっと、ここにかけないくらい多いんですよ。しかし、それはネットで大半は手に入れることができます。それから国会の事故報告などがありますが、これはあまり参考にしておりません。一応ある程度の評価ができるものはありますが、ちょっと学術的ですね。









それから、事故後のまぁ報告としては、有名な「広島原爆の追跡調査1950年~2003年まで」のものはあります。それから沖縄琉球大学のほうでやりました蝶の研究などがあります。私の著書にもですね、いろんなところから放射線に関するものを出させて頂きました。これらはですね、特に新しいものが書いてあるというよりかは、全体をまとめております。全体をまとめた考えを持つということは非常に重要ですので、時間がありましたら私の本もちょっと見てですね、いろいろ全体像というものを形成していただければと思います。







いずれにしてもですね、我々は原子力発電所を動かせば、核廃棄物が出るって分かってる。赤ちゃんを産めば、オシメを変えなきゃならないの分かっている。物事は、良い事があるし悪いこともあるってことが分かってる。しかし、大人という存在はですね、良いことだけを望むんではなくて、良い事と悪い事を両方受け取るというのが大人であります。









そういう点ではですね、原子力発電所については、何しろですね、我々は核廃棄物の処理設備ももっていない。現在130万本ありますが、200万本ぐらいまでいきますね。そして、そのときやっぱり原発はやっててもやってなくても同じなんですが…仮にやってないとしますよ。そうしますと、我々の子供達はですね、親父の使った電気をもらうわけにはいかず、廃棄物だけを片付ける。親父はですね、廃棄物を片付けずに、電気だけもらってクーラーの中で休むと、こういう風になりますのでね。やっぱりここはですね、日本人らしく「子供の為に」という視点にもう一回立ち返らないといけないと、私はそう考えています。


(文字起こし by ちゃりだー)