「著作権と人命」 (10/7)
このブログで私が著作権のことを書き始めたのは、福島事故の直後、おそらく福島中央テレビかNHKが撮影したこの動画が「著作権」を理由に公開されなくなった時でした。
私の疑問は「人の命に直接、関係のある情報で、大手マスコミが入手した情報に著作権が及ぶのか?」ということです。
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1)著作権とは「創作意欲の継続による社会の発展」による権利です、
2)もともと文学、芸術などの「のんびりとした分野」でのことです、
3)科学技術では特許権がそれに相当しますが、これものんびりしています、
4)報道、映像などにも著作権を認めた方が商売がしやすくなるのは確かです、
5)しかし、報道に特権を与え、独占し、その報道が人の命に関係することに著作権を主張できるとは考えられません、
6)直ちにNHKや福島中央テレビなどが震災や原発事故の報道内容に関する著作権を放棄することを求めます。
(平成24年10月7日)
--------ここから音声内容--------
私が著作権のことをこのブログに書き始めましたのは、福島事故の直後ですね、2011年3月の終わりですけども、福島中央テレビか、NHKが撮影した30キロ定点地点の映像といわれる、ここの切り取った写真の動画ですね。これが著作権を理由に公開されなくなったわけですね。これはものすごく大きな事件で、新聞社も、テレビ局もこれについてのコメントを展開するべきだと思うんですね。
私の疑問はですね、「人の命に直接関係ある報道で、大手マスコミが入手した情報に著作権が及ぶか?」とこういう問題ですね。二つ条件がありまして、一つは「人の命に直接関係ある情報である」ということですね。もうひとつは「大手マスコミが入手した情報である」ということ。この二つの条件がある時に、著作権がそれに及ぶかっていうことですね。
福島中央テレビかなんかが、「著作権は自分にある、もし違反したら法的措置をとる」というようなコメントも、私、見たことがあります。ただこれはネット上で見たのでですね、ネット上ってのは必ずしも書いてあることが100%信用できませんが、福島中央テレビがもし本当にですね、この3号機の爆発映像を著作権が及ぶと主張し、かつ、もしそれに違反した人がいたらですね、法的措置をとるというふうに言われたのかどうか、これは福島中央テレビなりNHKなりが、相当、何回も報道し、検討しなきゃいけない問題だと思います。
なぜ私がそういうふうに思うのかというのかということをお話したいと思うんですが。著作権とは、実はそれほど本来的な権利ではないんです。人間が生まれてからとかですね、ハンムラビ法典とか、聖徳太子の十七条とか、そういう原理的なものではなくて、近代社会が出来ていく時にですね、イギリスで「著作したものを少し保護してあげないと、創作意欲に欠けるだろう」ということで、創作意欲が続くということがですね…個人の創作意欲ですね、個人の創作意欲が続くことによって社会が発展するんだ、ということで、認めようじゃないかとなった権利ですね。
入会権(いりあいけん→村落共同体等が、一定の主として山林原野において土地を総有などし、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習的な物権であり、民法が定める用益物権)なんかとちょっと似たところもあります。全然性質は違うんですけどね。
で、そういう対象物はですね、もともとは報道なんてのはなかったんですよ。文学とか芸術なわけで、ややのんびりとした分野であり、かつ、自分の頭で創造したものですね。3号機の爆発は、福島中央テレビが創造したのか?ということになるんです。創造はしてないわけです。
そうすると自ずとその使用には制限があるわけですね。それから科学技術とか特許権なんかもそれに相当するわけですけども、これもやや、のんびりとしております。それからのんびりとしていない報道とか映像なんかにも著作権を認めた方がですね、著作権をとるために一生懸命やると言う人も出てくるので、これも一概には、全面的に認めないということにはならないと思います。
しかしですね、実は今日本では、報道に特権を与えているんです。よく話になる記者クラブもそうですけども、記者の腕章をすると、割合とあちこちまで入っていける。これはですね、何のために入って行けるのかっつったら、著作権をとるためという個人の…個人のってのは会社ですね、それ利益のためじゃないんですよ。国民の知る権利を守るために、報道は報道のバッジをつけたら中に入れるんですよね。だから、そこで得られた情報というのは、報道の独占ではないんですよね。
それから今大手マスコミは現実的にですよ、資金面だとか読者の数だとかでそういう面で、特にNHKなんかは独占してますね。だからこの独占している状態で、人の命に関係することの著作権を主張できるか?ということがありますね。私今日これ話しとりましてね、人の命に関係する情報であり、かつですね、大手マスコミであり、もうひとつ条件があるようですね。
これはですね、私がよく科学論文を書く時に、私の科学論文には著作権は主張しないと言っているわけですね。それはどうしてかっていいますと、科学っていうのは、事実を明らかにすることですから、その事実は私の創造物じゃないんですよ。だから私の創造物ではない限りはですね、私はそこに著作権がないと今までも言ってきたんですね。それで、見やすいグラフとかですね、映像の角度っていうのをですね、あまり強調しすぎる傾向があるんですけども、グラフもですね、大学生が普通に描けるようなグラフを描いたからと言って、それは創造性があるっていうふうには言えないと思いますね。
それから今度の30キロ定点カメラであればですね、私は定点カメラに創造性はないと思います。それから福島第一の爆発の映像の角度ですね。これなんか特殊な角度で、非常にこう迫力があるとか、そういうもんだったら別ですけど、この写真でわかりますように、この爆発映像はですね、普通の角度から普通のようにとってるんですね。むしろ創造性がないですよ、これは。だからこういうものに著作権があるのか? つまり創造性のないものですね、事実報道に著作権があるのか?というのは非常に疑問ですね。
で、まずですね、NHKとか福島中央テレビなどがですね、もしもこの報道に関して著作権を主張するとしたらですね、まずは人の命に関係することであり、情報を独占できる立場にある報道がですね、まず著作権を放棄するということが非常に重要だと思います。
またこの議論を深めてですね、我々の社会が健全に働くためには、これほど巨大になった報道がですね、事実報道について著作権をどのくらい主張できるかっていうのは大いに議論する必要があると思います。
私はまぁ非常にそういう点では硬派といいますか、「事実には著作権がない」と、それからグラフとか映像もですね、誰が見てもそれは創造的、芸術的であるというものは著作権がありますけども、グラフを描いただけで頑張る人がいるんですよ。「このグラフは俺が描いたグラフだ」…いやまぁそれはそうだけど、パソコンで処理したら同じようなグラフになるのに、パソコンで創造性があるんですか?と、まぁこんなことになるんですね。例えば線を赤くしたとか、黒くしたとか。
こういうふうになるのは、裁判所がですね、判定の時に、やや著作者に有利なように判定するってことあるし、それから著作権協会という非常に強力な協会があると。片方は、著作権を利用する人は弱い人ばかりだということもあるしですね。それから最高裁の判決なんかを充分に読みますと、必ずしも著作権をそんなに拡大して解釈しているわけじゃないんですけども、今度の報道みたいに「法的措置をとるぞ」と脅すとかですね、そういうことを通じて、著作権がですね、極めて過剰に守られているっていうことがあるんですね。
私も著作権を主張したい著者・作者の方なんですけども、私はですね、自分の創造性の乏しいものを著作権主張するのは恥だと思っていますね。やっぱり自分だけしか書けないこと、自分だけしかなんかこう…表現できないことだったらば、それは主張できますが、私の書いている文章なんか事実を集めてるだけでね、ちょっとした論理がくっついているだけですから。まぁ言ってみれば説明するための道具なんですよ。
説明にはちょっと創造性はありませんからね。んなの説明…わかりやすく説明したっていうことはありますよ。わかりやすく説明したという意味での著作権は少しはあるにしてもですね、そんな人の命に関わることとか、まして、今度の放送みたいに、テレビ局とかNHKに我々は特殊な権利を与えて、そして我々の代わりに取材してもらってるんですよ。我々の代わりに取材してもらってる者が、翻って、我々に牙をむいてですね、「この映像を使ったら法的措置をとるぞ」っていうことになりますとね、これはちょっと行きすぎかというふうに考えます。
(文字起こし by Y.R)