節電利権(1) 電気だけ?不思議な現象 | お手伝いさんたちのブログ

お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

節電利権(1) 電気だけ?不思議な現象 (7/10)




ある人が自動車を買い換えようと思ってトヨタの販売店に行き、「そろそろ古くなったので、新しい車が欲しいのですが」と言うと、セールスマンの反応として論理的には次の二つがあります。


1)「最近のクラウンはとても良くなりました。是非、お買い求めください」

2)「トヨタの車は長く乗れますから、もう少し乗られたらいかがでしょうか? 人間にとって我慢も大切です。それにトヨタの生産計画が少し遅れていまして、トヨタとしてはお買い求めいただかない方が良いのです。」



この2つのセールスマンの反応を聞いて、2)の方で納得する人はいるでしょうか? 普通の人はセールスマンが「買わない方がよい。生産計画が遅れている」などと言ったら、「なんて自分勝手な会社だ!どんな車に乗りたいかは乗る方が決めるのだ。我慢も大切だと! お節介も甚だしい! こんな会社から二度と買うか!」と腹を立てたり、気持ちが悪い思いをするでしょう。



・・・・・・・・・



でも、電力会社は2)のようなことを白昼堂々と言っています。それを政府、自治体、マスコミが後押しをしているのですから、実に奇妙です。



日本では電力を供給する会社は「サービス業」に分類されています。この分類はおそらく「目に見える物」を供給するのが製造業(第二次産業)で、「目に見えないこと」をサービス業(第三次産業)という感覚があったからでしょう。また、経済学的にはクラークの定義(無形材)などがありますが、やや定義は曖昧です。



おそらく、普通の人にとって電気は見えないものと感じるのでしょうが、科学者の私にとっては電子の運動そのものですから、ハッキリとした製造業です。製造工程としても、石炭を溶鉱炉で焚けば鉄ができ、石炭を発電所で焚けば電気ができるのですから、まったく同じです。



しかし一般の人は、「鉄と電気」というとかなり違うように感じます。この間隙を突き、マスコミを見方につければ(もう一つ・・・日本なんかどうなっても良い。自分だけ良ければ良いと踏ん切ることができれば)電気というものを特別なものにすることができるのです。



ところで、エネルギーというのはこの世のあらゆるところで消費されます。自動車を作るときには、鉄鉱石を地下から掘り出すエネルギー、外国から日本に運ぶエネルギー、溶鉱炉で使う膨大なエネルギー(鉄鋼業はエネルギー多消費型の素材産業と呼ばれます)、圧延のエネルギー、鋳造、鍛造のエネルギー、石油を使ってプラスチックやガラスを作るエネルギーなどエネルギーの塊です。



だから、「新車を買う」というのと「電気を使う」というのは「エネルギー消費」という点では、使うお金に比例してほぼ同じ事をするということです。それでもなぜ「自動車を買うのは買う本人の意思」であり、「自動車会社は競争してできるだけ買ってもらうように努力する」ことによって社会が正常になるのに、電気の場合は逆なのでしょうか?



それは日本の電力会社が戦後になって地域独占になり「少なく売った方が労力はいらないし、もうけは変わらない」という奇妙な会社になったからです。



アメリカがほぼ日本の2倍の国なのに、電力生産量は8億キロワット、それに対して日本は1.8億キロワットと4分の1にも達しません。電気は日本人の活動の源ですから、全体的に見ると、電力関係のわずかな人の利権のために日本全体の活動力が低下しているということがわかります。



このような錯覚が生まれるには利権に絡む現代日本の闇があるからですが、でも、こんな大きな間違いをしていては日本がダメになるのは間違いありません。


(平成24年7月10日)




--------ここから音声内容--------




世の中には不思議な現象が時々あるわけですね。その一つに節電というのがあります。節電と聞いてもですね、みなさん「そんなの当たり前じゃないか」と。「電気を節約するのはいいことだ」と思っておられるかもしれませんが、とても変な現象なんですね。例えばですね、ある人が自動車を買い替えようと思ってトヨタの販売店に行く…トヨタじゃなくてもいいんですがね。「そろそろ車も古くなったので、新しい車が欲しいのですが」と言うとですね、セールスマンの反応としては一応論理的には二つ考えられます、ええ。





まず一つは「最近のクラウンはとても良くなりました。ぜひお買い求め下さい」っていうのが一つありますね。これは普通ですね。もう一つはですね「いやぁ、トヨタの車長く乗れますから、もう少しあなた乗ったらどうでしょうか」と。「人間にとって我慢は大切ですよ。もったいないっていう心も大切ですし。第一ちょっと今トヨタの生産計画が遅れておりますので、トヨタとしてはお買い求め頂かない方がいいんですけど」と、こういうふうに言われたとしますね。そうしますと例えばこのセールスマンがですね、トヨタの車を買わない方がいいなんて言ったらですね、やっぱりちょっとおかしな感じがしますね。僕だったら気持ち悪くなる。普通の人だったらちょっと腹立てるでしょうね。だってお客さんに向かってですね、「人間にとって我慢が大切だ」とかですね「自分の会社の生産計画が遅れたから少し我慢しろ」というのはひどいもんですよね。





で、こんな会社って普通ないんですよ。トヨタっていう会社はとても立派な会社で、若干下請けに厳しいっていうようなことはありますが、生産もしっかりしとりますし、それから車の性能もしっかりしてるし、それから値段も比較的に安いし、会社も比較的誠意があるっていうことでですね、巨大会社にしては見るところが多いんですけども、そういうトヨタ自動車でもこんなこと言いませんよね。「トヨタはどうせ自動車のほとんどを作ってんだから、お前ら乗るんだったら乗せてやるぞ」なんていうですね、そんな態度だったらとうてい納得できませんね。特に「節約は大切なんだから車買い換えるな」なんて言うとですね、ますます何言ってるかわからないわけですね。





ところが、これが電気になると全然違うんですね。電力会社ってのはわりあい立派な人がいるのに「電気を節電してください」っていうようなことをですね、今度の原発事故が起こってから前に、前も言ってたんですよ、ええ。「節電しましょう」って呼びかけたわけですね。で、この奇妙なことを政府とか自治体とかマスコミが後押ししてるのもまたおかしいわけですね。これだけおかしいことがある、つまり道理に反することがあるっていうのは、どこかに無理があるわけですね。何が我々がこう奇妙に感じるのかってことです。





これには色んな理由があるんですが、一つ人を錯覚させるのは電力がサービス業に日本では分類されてるわけです。これはですね、目に見えるものを製造するのを、まぁ例えば第二次産業、目に見えないものをサービスするのが第三次産業という感覚があったからです。これについては経済学的にはクラークの定義っていうのがありましてですね、それで色々議論もあるんですが、一応分けられてるわけですね。





普通の人にとっては確かに電気ってのは見えにくいもんですが、私なんかは科学者ですから、電気ってのは自動車とおんなじようなものだと思いますし、それから例えばですね、製造業と比べても石炭を溶鉱炉で焚けば鉄ができますけども、石炭を発電所で焚けば電気が出るわけで、コストとかそういうことを考えてもですね、ほとんど同じですね。もちろん技術者がやりますし、業種も似てるんで、片方が…電気がサービス産業ってのはおかしいなぁと思うんですが、そういうふうに感じる方もおられるんでしょう。





ところで、そのもう一つの錯覚はですね、エネルギーというものが例えば直接的に石油ストーブを焚くとかですね、電気を使うっていうことだけのように思ってる方も多いということもあるんでしょうね。だけども自動車を作る時…例えば頭に描いてもらうといいんですが、例えば自動車の形を作る鉄板ですね、鉄板ってのは鉄鉱石が地下にある時にはなんにもエネルギーかかってないんですが、それを地下から掘り出して、外国から日本に運んで、さらに溶鉱炉で膨大な石炭を燃やして…コークスですよね、それを燃やして作るわけですから、鉄鋼業はエネルギー多消費型の素材産業と呼ばれてるように、猛烈かかるんです。これにさらに加工段階では圧延、鋳造とか鍛造、それから自動車にはもちろんプラスチックもガラスも使いますが、自動車ってのはエネルギーの塊なんですよ。





まぁどんなものもある意味ではエネルギーの塊なんですね。っていうのは、例えば山に生えてる木だとか、それから地中に眠ってる石油とか鉄とか、どれをとっても別にそのままの状態ではエネルギーはいらないんです。それを人間が使う形にする時に膨大なエネルギーを使うわけですね。ある意味では例えばガラスもですね、そこらへんの石ころと同じSiO2(二酸化ケイ素)というものを使ってるわけですから、タダって言えばタダなんですね。それが値段がかかるってのは主にエネルギーなんですよ。人件費ってのもあることはあるんですが、それもある程度エネルギーなんですね、エネルギーの消費。だからだいたい値段とエネルギーの消費量っていうのは比例してるんですね。





ただ、新車を買うっていうのと電気を使うってのとほとんど同じなんですよ。だいたい新車100万円であれば、電気100万円か…電気じゃなくても石油でも石炭でもみんな同じですけどね…100万円って言っていいし、80万円と言ってもいいんですが、いずれにしてもエネルギー消費という点では、だいたい同じようなものなんですね。





ところが「自動車を買うのは本人の自由に買えばいいじゃないか」と。ほいで「自動車はどんどん作っていいんじゃないか」と。「競争してどんどんできるだけ作るのが当然である。その方が社会が正常になるんだ」と。実は自動車とかほかの製品と、電気が圧倒的に違うのは、戦後にですね電力会社が地域独占になって、少なく売った方が労力はいらないし儲けは変わらないようにできるという、この日本の自由競争の社会では非常に奇妙な会社になったわけですね。この理由についてはですね、また別の機会にお話をしたいと思うんです。





ってはいうのは、この地域独占の電力会社だけがですね、少なく売った方がいいという…そうなるために、また別にもう一つ大きな規則といいますかですね、背景っていいますか、そういうものが入ってるので、非常に難しいわけですが、ここではですね、私たちが行っている節電というのがいかに奇妙なものかと、いかに常識に外れるものかということをですね、お話をしたいと思いますね。





節約という意味で一番いいのはですね、「日本の発展に関係のないところのもったいないものを減らす」というのが一番いいわけですね。例えば、これも私はあまりオススメしませんが、例えば家の大きさを小さくする、最近でもですね「20畳のリビングルームでゆったりとした生活」なんて言ってるんですけれども、いや、これはね、あんまり言っちゃいけないというか、もし節電を言うなら言っちゃいけないんですね。





っていうのは、10畳でも6畳でもあまり活動に関係ないかもしれません。それからもちろん6畳の方が冷暖房費も減るし、いろんなものが節約できますね。20畳のが(値段が)高いというのはもちろんそれだけエネルギーを使って家を建てるからですね。コンクリートなんかはエネルギーの塊ですから。木材も山に生えてる木材はエネルギーいりませんが、それをトラックで切り取ってきて製材して運んで…っていうのがエネルギーかかるわけですからね。ですからそういう意味では例えば、家屋を少し小さめに作るとか…これいいことではありませんよ、ただ、エネルギーを節約するっていうことでは、そういうものとか、それから自動車を大きめから小さめにするということは、活動にはあまり関係のないものなんですね。





ところが、エネルギーを節約するっていったら、活動量に関係してしまいますから、日本の力が失われて我々の子どもたちはかなり大変な思いをするってことになるんです。その中で最もやってはいけないのが、実は節電なんですね。電気ってのは非常に大切なエネルギーで、一番貴重なものですから、これを節約すると普通はですね、その分だけ活動量が落ちます。だから大きなビルを建てたり、大きな家に住んでて、電気を節約して「暑い、暑い」って言ってフーフー言ってるってのは、最もバカらしい方法なんですね。





じゃあこのバカらしさに日本国民がトリックにかかってしまうのはなぜか? なぜそれを新聞なんかが指摘しないのか? これをですね、機会があったら書こうと思いますし、みなさんも一つ考えてみてほしいと思います。