男女の深い関係(1)・・・不要となった男性 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

男女の深い関係(1)・・・不要となった男性 (6/9)




私がテレビで良く「男性は生きている価値がない」とか「50才以上の男性は意味が無い」と言うのですが、もちろん世の男性から批判を受けます。でも、私は私なりにある意味をもってメッセージを送っているつもりです。



もともと生物がオスとメスに分かれたのは、自分自身より優れた子孫を作り、自分の遺伝子の傷を残さないためですが、その後、メスが子どもを生むようになり、オスがエサを獲得したり外敵と戦うという役割分担ができます。



男女平等議論が起こってから男女の役割分担を言うのは禁止されるようになりましたが、女性が子どもを産むという役割分担を持っている以上、それを止めないで男女の役割分担論を批判するのは間違っています。



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オスとメスの関係も霊長類、つまりサルになると「一夫多妻制」に変わっていきます。ゴリラのように一夫一妻制のサルもいますが、一夫多妻制は発展した生物のもっとも合理的な夫婦関係なのです。



「メスが子どもを産む」という役割分担を固定した場合、「集団の数をできるだけ少なくして、子どもの数を最大にするシステム」を追求すると一夫多妻制になります。つまり、メスは子どもを2,3匹しか生めませんし、オスの精子は付近にいるオスのうち、もっとも知力体力が強いオスの精子が望ましいのですから、結局、1匹のオスが10匹程度のメスとの一夫多妻の生活がベストということになります。



これに対して10匹のオスと10匹のメスが一夫一妻制を取ると、約2倍の食料が必要で、子ども数は同じ、そして子どもの平均能力は一夫多妻制より低いということになります。



そうすると、1匹のオスと10匹のメスの集団と、10匹ずつの集団とでは勝ち負けがハッキリしますから、淘汰の原理で一夫多妻になるのです。



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ところがサルが地上に降りて2本足で歩くようになり人間が登場すると、また一夫一妻制が復活します。その理由には諸説ありますが、人間が地上に降りたので、エサをとるのが難しくなり、さらに外敵との厳しい戦いが始まったからと考えられます。



つまり「子育て」と「防衛と狩猟や農耕」を一人ですることができなくなったので、子育てを女、防衛と狩猟・農耕を男という役割分担をして子孫を増やすことに成功してきました。



人類全体ではそうですが、たとえば日本列島という地域を見ますと、四面を海に囲まれていますので、防衛はそれほど重要では無かった時代があり、その時代は卑弥呼から持統天皇まで、女性が国家を治めることが多かったのです.



でも奈良時代あたりから内戦が始まり、それは20世紀の第2次世界大戦まで続いたので、この間は男の時代になりました。でも戦争がなくなるとともに、狩猟や農耕などの力仕事もなくなり、男女の役割分担は大きく変わりつつあります.



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たとえば「女性の社会進出」は男性の時代の役割分担のうち、男性の領域に女性が進出しようとするものですし、「男性の育児分担」は女性の役割をやることが亡くなった男性が分担するというものです。

戦争と狩猟などがなくなって、人間がすることは「子どもを産む」ことと「子どもを育てること」の2つになりました。こんなことは人類始まって以来なので、いろいろな社会問題が起きています.



私が「50才以上の男性は意味が無い」とか「男性は生きる価値がない」と言っているのは、平和と家電製品、自動生産設備、コンピュータ(頭脳)が誕生した現在、男性は「何のために生きているのか」をもっと自問自答する必要があると考えているからです。

今のところ、シッカリした回答はありません。次回、私の考えを書きたいと思います.


(平成24年6月9日)




--------ここから音声内容--------




ええと、私がですね、テレビなんかでですね、「男性は生きてる価値が無い」とかですね、「50才以上の男性は意味が無いんだ」というようなことを言いますとですね、ま、かなりバッシングはあるんですね。「何でそんなこと言うんだ」と「けしからないじゃないか」っていうお叱りを受けるのですが、まぁ私は私なりにある意味を持ってメッセージを送っているわけで、それをちょっとですね、ここで解説したくなりました、ええ。少し長くなりますが、ちょうど土曜日でもありますので、お聞きいただければと思います。





元々あの、生物がオスとメスに分かれたのは理由があってのことですね。自分自身より優れた子孫ができるとか、自分の遺伝子に傷が残るんでですね、それを消すとかですね、そういうことで起こりました。最初はあの、オスとメスが単に分かれただけだったんですが、そのうちですね、メスが子供を産むということはもうこれ、体の仕組みがそうなんで、それが産むわけですから、オスはエサを獲得したり、外敵と戦うという役割分担ができるんですね。で、オスはやることが元々無いんですよ。ですからまぁ、エサを獲得するとか、外敵と戦うっていうことを分担するわけですね。





この役割分担ていうのをしっかり言わないと、なかなかこの新しい時代を切り開いていくことができないんですけど。ところが男女平等議論が起きてからですね、どうもね、役割分担て言うとですね、すぐ怒られちゃうんです、今度また。もうあっち行っても怒られ、こっち行っても怒られるんでですね、新しいことを考えることが少し難しいんですけどね。まぁあの、ここではその事実をそのまま話していきたいと思います。





ええっと、ところでオスとメスの関係も、ずっと生物の歴史を話すとなかなか面白いんですけども、一気にサルまで行きますとですね、サルでは「一夫多妻制」がまぁ多いんですね。ま、ゴリラのような違う場合もあるんですけど、大体はまぁ一夫多妻制。一夫多妻制っていうのは非常に合理的なんです、ですからまぁ競争に勝ってきたわけですね。「メスが子供を産む」っていうのはもうしょうがないんです、これは体上。そうするとですね、「集団の数をできるだけ少なくして、子供の数を最大にする」っていうのが繁栄しますからね。





それを追求しますと一夫多妻になっちゃうんですよ。メスは子供を2、3匹しか産めませんね、メスのサルは。オスは、例えば10匹いるオスのうち、一番優れた精子を持ってるオスの子供が望ましいわけですから、結局1匹のオスで10匹程度のメスとのハーレムを作るという、こういうことになるわけですね。食料は11匹分で良い、と。子供は例えば10匹のメスが2匹ずつ産みますと20匹できるということで、これが最高ですね。





ところが、10匹のオスと10匹のメスで一夫一妻制を取りますと、食料が2倍必要で、子供の数が同じになって、子供の平均能力は一夫多妻制より低いという状態になりますから、これどっちが道徳的に良いとかじゃないんですよ。生物は道徳的なことでは決まりませんので、例えば一夫一妻制のサルと一夫多妻制のサルがいると、一夫多妻制のサルが勝っちゃうっていうだけなんですよね。どんどんどんどん優秀になりますから、筋肉も強くなるし。ということで結局のところ、一夫多妻制になってたということなんですね。





ところが、サルが地上に降りましてですね、二本足で歩くようになりますと、また一夫一妻制になるんです。これについての諸説があるんですが、普通に考えられてんのは、エサを取るのが難しくなります。木の上ですとですね、木の実なんかを簡単に取れるんですが、なかなか難しいですね、狩猟つっても難しいんです。それから外敵との戦いはもちろん厳しくなるわけですね。木に登って逃げるっちゅうわけにいかないし、木の上で寝るってこともしませんのでね。





そこでどうするかというと、子育てと、防衛や食料を取るというのを1人じゃできなくなったので、「子育て」が女、「防衛や狩猟、農耕」は男という役割分担をして子孫を増やす、これが成功したわけですね。人間はこれが成功したので繁栄してるわけです。





まぁ例えば、人間全体ではずーっとそれできたんですが、日本列島っていう地域で見ますと、これは割合と他の原因と違って四面を海で囲まれておりますので、防衛はそれほど重要じゃなかったこともあって、その時代は卑弥呼とか持統天皇(じとうてんのう)ぐらいまで、女性が国家を治める場合が多かったんですね。日本はあの、男女平等なんですよ、前から。別にそれはその、四面を海で囲まれてたってことがあってですね、激しい戦いが無かったもんですから女性の力が伸びたんですね。





ところが、奈良時代から今度はあの、外との戦争はそれほど無かったんですけど、内戦があったわけですね。内戦っていうのは、例えば「源平の合戦」、あれ内戦ですよね。それからもうずーっと戦国時代、徳川家康もずーっと内戦ばっかやってたわけですよ。内戦の時代と、それから内戦が終わると、今度は明治になりましてですね、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争ってやりますので、この戦争の時代はやっぱり男の時代になるんですね。





ええと、日本の場合はヨーロッパと違いますから男女平等だったんですが、千年間ぐらい男子の方が優位にあったんですね。「千年っていうと長いじゃないか」って言う人いるんですけども、まぁ広い目で見なきゃいけません。





ところが、戦争が無くなっちゃいましてコンピュータなんかできてですね、そいからあの、動力が電気モーターなんかが進んで…アクチュエータ(能動的に作動または駆動するもの)が進んでですね、男性の仕事が無くなっちゃったんですよね。今それにまだ、男性気が付いておりません。





ええと、現象のうち、「女性の社会進出」っていうのは私は錯覚だと思ってるんですけど、男性の時代の役割分担のうち、男性の領域に女性が進出しようとしてるんです。これはね“無いところ”に進出しようとしてるんですよ。現在の女性の社会進出が難しいのは、男性すらやることが無くなってる時に、“まだ男性の仕事があるだろう”と思って女性が入ってきたってやつなんで、これはまぁなかなか難しい問題あるんですね。





それから、次は「男性の育児分担」ってやつですね。これはまぁ、育児ありますからまだ残ってるわけです。つまりですね、現代の日本っていうのは戦争と狩猟が無くなってしまったので、人間がすることは子供を産むことと、子供を育てることの二つだけになっちゃったんですよ。こんなことは人類始まって以来ですね。





もちろんまだ残骸が残ってんですよ。あの・・・残骸って言うとなんですが、社会的な仕事は残ってるんですけども、本当は要らないんですよ。もう今日本でですね、実際の生産活動に携わってる人って2割ぐらいしかいないでしょうね。あとはまぁ、2回目、3回目によく書いていきますけども、架空の仕事をやってるんですよ、もう。





で、私が実は「50才以上の男性は意味が無い」とか「男性は生きる価値が無い」と言ってるのはですね、平和が訪れて戦争が無くなり、家電製品ができて家事労働が減り、自動生産設備ができてコンピュータができてですね、今まで男性がやっていた仕事、つまり「戦争と生産」ですね、これが無くなった時にですね、男性はまだちゃんと考えてないんですよ。「何のために自分が生きてるのか」と。もちろんなんか「家族の相談に乗るため」とかね、あるかもしれませんけど、それは考えなきゃいけないんですよ。





で、今、男性がまだ会社に行って仕事をしてるのは、今から60年前までの時代のまだ名残を受けてるだけなんですね。あと100年経ちますと男性は全く要らなくなります。じゃ男性が要らなくなった時に、どういうように我々男性はするのか?ということは、やはりですね、人間であれば今から考えといた方が良いと思うんですね。それを私が言ってるのが、「男性は生きる意味が無い」と言ってることなんですね。まぁ、もう少し正しく言えば「男性は生きる意味を失ってしまったんだ」ということですね。





50才以上の男性はもっと問題があるんですね。年金の問題を少し話しましたけども、それ以外に生殖年齢を過ぎて子育てとか終わったあとの男性は、一体何をするんだ、と。今はですね、「いじめ」とかやってるんですよ、例えばありもしない地球温暖化の問題持ち出したりですね、原発を造って爆発さしたりですね、そういうこうマッチポンプって言うんですかね、自分の仕事がもう無いもんですから、自分でトラブルを作ってはそれを解消するっていう仕事を、ほとんど50才以上の男性がしてるので、「これはやっぱり意味が無いんじゃないですか?」とこう言ってるわけですね。





この問題について、次回以降少し書いていきたいという風に思ってますが、なかなか面白くて深い問題なので、男女関係の感情の問題も含めて、少しこれを踏み込んでですね、一体、現在の家庭の不和だとか、離婚が多いという問題の本当の奥底に何があるのか、これを探っていきたいと思っています。


(文字起こし by danielle)