子どもに贈る国土(2) 年金のつけを贈る (5/24)
私たちはどのような日本国を子どもに贈ろうとしているのか? その第一回目は「原発の電気はもらうけれど、核廃棄物は子どもに贈る」ということをしている現状を示しました。このように「自分たちがしたこと」を正面から見てみると、先回、保安院が2006年に「原発を安全にする」という作業を必死に妨害したことを非難しましたが、自分たちも同じようなものかも知れません
第2回目の今回は、「年金」というものを始めた私たちの世代が、次の世代にそのツケを回そうとして必死になっていることを整理しました。
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1961年以前は「公務員や軍人恩給」のような特殊な年金はありましたが、国民全体を対象とした年金はありませんでした。でも、社会が「大家族、家長制度」から「小家族」に変化していく中、それまでのように「家族で老人を見る」というのがだんだん困難になり、社会制度としての年金が必要となり、「揺りかごから墓場まで」というコピーが使われるようになります。
でも、この言葉は「年金をもらう人」の立場を表現したもので、「年金を取り扱う人」のものではありませんでした。厚生省の年金課長の回顧録が話題になっているように、年金を取り扱う方の役人から見ると、年金とは次のようなものだったのです。
1) 国民から膨大なお金が集まる、
2) お金は金庫に入れておくことはできない、
3) 誰かに貸し出すことになる、
4) それは考えられないほどの権力(利権)である、
5) 社会保険庁の長官は日銀総裁と同じような権限を持つ、
6) 年金のお金があれば天下り団体はいくらでも作れる、
7) 年金を納めている人に40年後の返すときには、お金の価値がなくなっているから、運用は失敗しても成功しても同じになるから真剣にやる必要は無い、
年金制度を始めた当時の厚生省がこのように考えていたのは、回顧録をはじめとして多くの証拠がありますし、このように考えなければならない理由もあったのです(相手の立場に立つ)。
厚生省は、当時、日本国民は次のように思っていると推察していました。
1) 嫁姑などの関係から国民は大家族を望んでいない、
2) 夫婦単位の小家族なら国が年金を用意するしかない、
3) 年金制度を整えず、個人に老後の預金を呼びかけても、実際にはやらない人が多く、行き倒れの老人が増えて社会が混乱する、
4) 40年の間にはインフレや社会情勢の変化があるから、「自分で積み立てた年金を自分がもらう」というシステム(積立型)は破綻するけれど、国民は「今の老人のために、今の若者がお金を出す(賦課型)」ことには抵抗があるだろう、
5) 政治的にも国民の票を失うから賦課型は採用されない、
6) いったん、積立型でスタートし、それが破綻したら賦課型に変える。でも賦課型も若者が減るので破綻するから、最後は消費税のようなもので年金を運営せざるを得ない、
7) 従って1960年から2000年までの第一期は、「年金というものを日本社会に導入する」、「年金の支給を開始する」、「年金が破綻する」、「家族の形態が大家族から小家族に変わる」、「老人問題が顕在化する」ことを覚悟しよう。
年金という問題だけでも、「受け取る側」と「事務をする側」ではずいぶん違って見えることがわかります。でも、このような矛盾を1950年代(年金が始まったのは1961年)に十分にしておかなかったので、私たちの子どもから見た年金は次のようになったのです。
1) 親の世代が年金制度を始めた、
2) 親の世代が自分たちで年金を払い、自分たちで受け取ると言っていた、
3) でも最初からその気は無く、800兆円積み立てるといって30兆円しか残っていない、
4) そこでこれまでの50年間(1960年から2010年まで)をチャラにして、我々子ども達が大勢の親の世代を養うことになった、
5) それでも足りなければ消費税を充てると言い出しているが、消費が多い子どもの世代に頼るということだ。
私たち大人の世代が、800兆円(試算によってはもう少し少ないという人もいるが本質は同じ)を食いつぶし、次世代に養ってもらおうとしている事実を直視し、年金受給年齢を上げ、これまでの罪を何らかの方法で購う必要があると思う。それが社会保険庁の犯罪であっても私たちの世代がしたことには違いが無いからだ。
(平成24年5月24日)
--------ここから音声内容--------
原発とか地震の問題、またタバコの問題などじっくり考えてみますと、確かに原発にはもの凄く、まあマズイ事がいっぱいあった訳ですが、その他にですね、私たちの世代っていうのは確かに高度成長あり、日本も凄く繁栄はしたんですけども、そうかと言ってもですね、やっぱり原発のあんな事故を起こして、廃棄物そのままにして、今原発を再開しようとしていると、まあいう事のようにですね、どうも私たちはあの、子どもたちに悪い日本列島を贈ろうとしてるんじゃないかっていう気がしてきたんですね。
今回「年金」なんですが、まぁあの年金問題は1回も2回も書いてる訳ですけども、それをちょっとですね、別の角度から見てみます。1961年以前はですね、公務員とか軍人恩給のようなものはあったんですけども、やっぱり全体的には大家族で、えー、おじいちゃんおばあちゃんの面倒は息子が看るというのが基本でした。まあそれが小家族になり、また女性の進出ありですね、家族で老人を看るっていうか、むしろ社会で看るんだっていう事で、『揺り篭から墓場まで』って事になりましたね。ただこれはですね、年金を貰う人、我々の国民側ですね。
じゃあ厚生省の方、つまり年金を取り扱う事務の方はどう考えたかって言うと、ここに7つ書きました。国民から膨大なお金が集まるわけですよ。そのお金は金庫に入れておく事はできない訳ですね。まあ勿論、実際上も出来ないし、それから運用もしなきゃいけませんからね。利子がゼロってわけにはいかないので、どうしても貸し出す訳です。誰かに貸し出すんですね。
そうするとお金を貸し出す人っていうのは非常に大きな権限ができるんですよ。利権ですね。つまり社会保険庁の長官っていうのは、その金額から言ってですね、100兆、200兆というお金ですから、これはもう日銀総裁と同じような権限を持つようになりますね。そうすると年金のその僅かな、その内の10兆ぐらいをちょっとですね、天下り団体ぐらい作ればですね、もう厚生省はもう楽々なんですね。そう思ったかどうかは別ですよ。だけどそういう事になります。
えー、しかもですね、年金を納めてる人に、まあ40年後にその年金を返す時はもう、お金の価値は無くなってるし、まあ運用は成功しても失敗してもですね、無駄使いしても全部同じだから、まあ、真剣にやる必要は無いな、と。まあこういう事になりますね。だって何れ無くなっちゃうんですから、どうやったって。
じゃあそれ国民に言えば良いじゃないかって事になるとですね、えー当時、今から1960年ぐらいって言いますとね、まだ、あの、家族主義の時代なんですよ。家族主義の時代に年金をスタートせざるを得なかった、って事ですよね。その時に説明をよくしなかったって事ですね。説明すると大混乱に陥ると思ってたのかも知れませんね。
えー、まあ、嫁姑などの問題から国民は大家族を望んでいない、若しくはそうなる。小家族になる。そうすると夫婦単位になりますから、夫婦が一緒に歳(を)取りますから、国が年金を用意するしか無い、と。国が年金を用意せずにですね、もしも、『あなた方老人になったら、もう今後は子どもが面倒看ませんから預金してくださいね』って呼びかけても、実際にはやらない人が多くて、行き倒れの老人が増えるって、社会が混乱するから、これもう国がやらざるを得ない。
ところが積み立ててもらって40年間積み立てたって、どうせ駄目だと…いう事になるんですが、つまり積み立て型はですね、駄目になるんですけども、そうかと言って1960年当時ですね、今の老人の為に今の若者がお金を出すという賦課型ではですね、国民が抵抗してどうせ票を失うから、賦課型は政治家も採用しないだろうと、こうなりますね。
そうするとまあ、しょうがないと、一旦積み立て型でスタートして、破綻するけど、これは破綻したら賦課型に変える、と。えー、それで賦課型だと今度はまた更に若者が減るので、最後は消費税のようなもので、えー、やるしか無いだろうな、と。そういう議論があったと思いますね。仕方が無い、と。
そこでまず、こう考えたでしょうね。1960年から2000年ぐらいまでの40年間は第1期として、年金というものを日本社会に導入するんだ、と。それから年金の支給も最後の2000年ぐらいで開始するんだ、と。年金は破綻するんだ、と。家族の形態は大家族から小家族に、その内変わるんだ、と。で、まあ老人の介護問題とか、そういうのが顕在化するだろうと覚悟しておこう、という事になったんではないかと推定します。
えーつまり年金という問題はですね、受け取る側、つまり国民側と、事務側…つまり厚生省側とを見ると、随分違って見えますね。えー、この矛盾をですね、年金が始まった1961年よりか10年ぐらい前の1950年代に、私たちの社会が十分に議論したかというと全然議論してませんでしたね。まだねえ、みんなあの、おじいちゃんおばあちゃんいたんですよ、家に。だからそんな議論してもですね、『何言ってんの?』って感じでしたね。やっぱり50年後を見るって事は難しいって事です。今でもそうですよ。議論は殆ど50年後、見てません。えーまあそう言うことでした、と。
で、子どもから見たらどうなるか…私たちのですね。親の世代が年金制度を始めたと、こういう事ですね。親の世代は、自分たちで年金払って自分たちで受け取ると言っていた訳です。親はね。ところが最初から実はその気は無く、その気は無くって国民とか厚労省とかじゃないですよ。えー、子どもから見たら、あの、親もですね、厚労省も同じですからね。800兆円積み立てるって言ってたけども30兆しか残ってないじゃないか。だからそれはもう失敗したからチャラにして、子どもたちに被せるんだ、と。こう言ってる訳ですね。それが今の賦課型ですね。
例えば、若い人が何人で年取りがだから支えなきゃなんて、こんな話はかつて無かったんですよ。かつてはピラミッド型の人口分布で若い人が多かったからじゃ無いんですよ。その当時は積み立て型だったんですね。ところが途中で賦課型に変えたんですよ。変えたから若い人が支えるっていう話になった訳ですね。まあ簡単に言えばですよ。紆余曲折、非常に細かい所あるんですけど、それ全部言ってると面倒くさくなっちゃうんでですね、話がこんがらがって来ます。
それでも足りなけりゃ消費税を当てると言い出してるけども、消費税っていうのは、まあ子どもの世代ですよ。老人はあんまり消費しませんからね。結局、私たち大人の世代が800兆円、もっと、500兆円とかですね、300兆円って話ありますけど、まあ本質は同じですから…を食い潰して、我々は自分たちのお金を食い潰して次世代に養ってもらおうとしてるんです。やっぱこれはねえ、私はちょっとどうかなと思いますね。
だから我々の世代が話し合ってですね、年金は失敗した、と。自分たちの責任もある、と。厚生労働省も責任あるし、社会保険庁はまあ、少し槍玉に上げるけども、年金受給年齢を上げてですね、70歳少し上にするとか、何かですね、『我々の罪』を子どもに被せないように、した方が良いんじゃないんですかね。
社会保険庁が犯罪したからと言っても、社会保険庁の、あの、長官だとかそこら辺全部吊し上げにしてもですね、えー何しろ何百兆ですからね。購(あがな)えないんですよ。だから私たちの世代が、年金問題は未来に禍根を残さない、という風にしたいですね。
えーっとこの原発の問題のように、「原発の電気は受け取るけども、廃棄物は子どもに任せる」、「年金をやると言ってお金を全部食い潰したけども、我々の世話は子どもにやってもらう」って言うのはちょっと考えものですね。私はそういう風に思います。どういう社会を子どもたちに贈ろうとしているのか。子どもたちがヒーヒー言っちゃうんですね、これだと。これはちょっと可哀相だなという気がします。
(文字起こし by まあ)