人災としての震災・事故(2) 東海原発と石橋委員の退席事件 | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

人災としての震災・事故(2) 東海原発と石橋委員の退席事件 (5/6)





東海地震が明日にも来る!と言って社会の注目を浴びた東大地震研助手だった石橋先生は、原子力安全委員会検討分科会委員つとめ、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改正作業に携わった。



しかし、1)科学的な検証をしていない、2)多くの人の懸念が示されているのに考慮しない、ということを主たる理由に、委員を辞任したのは2006年8月のことだった。地震が頻発する日本で杜撰な地震指針を作るわけにはいかないと石橋先生は主張したが、それは通らなかった。



翌年、新地震指針は私が委員を務めていた基準部会に上がってきた。報告した東大名授は地震指針の成立にあたって強い異論があり、石橋先生が辞任したなどと言うことは一切触れず、通り一遍の説明をした。この部会で私は最初に発言し、「地震指針の目的は何なのかハッキリしない」と質問したところ、分科会でも学問的な審議を妨害した水間課長が約2分の質問に20分の訳のわからない回答をして時間つぶしをした。



分科会の議事録を見てもこの水間という官僚などが同じようにのらりくらりとした答弁をして実質的な議論を妨げていたが、これが委員長の方針だったのか、それとも周りをぐるっと官僚に縛られていたのか、それは不明だが、どんな状態にしろ委員や委員長になった限りは公の場所でハッキリと自らの意見を述べるべきである。


・・・・・・・・・


分科会委員を辞任した石橋先生は1976年、東海地震が起こるという研究結果を日本地震学会では発表し、マスコミが大々的に取り上げたことで、膨大な国家予算をつかって東海地域の地震観測網が敷かれ、注目が東海だけに行き、その後の阪神淡路大震災と東北大震災の26000人に及ぶ犠牲者を生む原因を作った。



石橋先生自体は、建設省の研究所を経て神戸大学に移動しているが、石橋先生が地震学会で「東海地震がまもなく来る。それは来るべき時に来なかった空白期間があるから」と発表したのは問題が無い。学問の自由があり、私がこのブログで示す「専門家の柱」でも、知―学者―啓蒙家―社会、の列の中で学者に当たるからだ。



でも、この石橋発表に従って、当時の東大教授と官僚が「東海地震しか地震予知はできない」などとして「東海地域の地震予知網」を作った過程をよく考えてみなければならない。それは、同じく石橋先生が原発の耐震分科会で辞任に至ったように、「学問」と「政策」の区別が良くついていなかったことによると考えられる。



学問は現状を否定することから始まり、それが正しければ徐々に納得する人が増え、やがて社会の通念となるものだが、石橋先生の学説は1970年代から始まった日本の地震予知の研究結果の一つであり、それを政策にまでする時に問題があったと考えられる。



この問題はおろそかに出来ない。それはこの時の石橋発表を利用した東大教授と官僚のために、阪神地域と東北の観測がおろそかになり、それが26000名の犠牲につながったからである。石橋発表があってから36年後にあたる2012年4月、ゲラー東大(地震)教授が「地震予知はできないと政府は宣言するべきだ」という論文をだしている。



ゲラー教授の論旨は次の通りである。


1) 予知の根拠とされる地震の前兆現象については学問的に測定技術では見つかっていない、

2) 国内で1979年以降10人以上の死者が出た地震は、予知で起こる確率が低いとされていた地域で発生した、
3) マグニチュード8クラスの東海・東南海・南海地震を想定した地震予知は方法論に欠陥がある、
4) 地震研究は官僚主導ではなく、科学的根拠に基づいて研究者主導で進められるべきだ、
5) 政策の根拠法令となっている大規模地震対策特別措置法の廃止。


つまり、1976年当時、地震学の進歩のレベルから言って、地震予知が「できないこと」はほぼわかっていた。でも、国の予算を使い、膨大な研究費を東大に出すためには「地震予知ができる」という宣伝を行う必要があり、メディアはそれに追従した。それが26000人もの犠牲者をだしたことを私たちは厳格に考えるべきでしょう。



ところで石橋先生は静岡のマスコミで、一種の懺悔をさせられていますが、このような社会的な動きも慎重でなければなりません。石橋先生が学問的見地から「東海地震が近い」という発表をされることについて、それが的中しなかったからといって社会的な批判を受ける必要はありません。学問は道のものを探求していくのですから、社会の責任追及は及ばないのです。



でも、もし石橋先生が学問の領域を超えて政策として東海地震対策をするように働きかけたり、積極的に国民に呼びかけたりしたら、それは学者ではなく、啓蒙家としての動きですから社会との関係が発生し、責任も取らなければなりません。



原発事故以来の、「大丈夫医師、大丈夫専門家」の問題点は、社会に直接、語りかけていることで、そうなると「大丈夫」と言ったことに対して、被曝による患者さんが出たら個人の責任で補償する必要を生じます。



東海地震、石橋先生、そして石橋先生が原発の耐震指針に反対されて委員会を退席されたことなど、一連の事件は科学と政策という未来的な課題に大きな教訓と研究の余地を残すものでしょう。

(平成24年5月6日)




--------ここから音声内容--------




ええとあの、「東海地震が明日にも来る!」というようなことを言ってですね、ある意味では若干悪者になったって言いますか注目を浴びた、石橋先生(石橋克彦。 当時、東大地震研究所助手。)がおられるんですけども。この先生は地震がご専門なんで、原子力安全委員会の、地震の検討分科委員会に務めておられまして、日本の「原子力発電所の耐震指針」の素案を作った人なんですね、ま、委員の1人なんですね。





しかし、この石橋先生はこの地震委員会でですね、「科学的な検証をしていないんだ」と、「多くの人が懸念を示してるのにそれに考慮していないんだ」っていう、まぁ二つのことを主に理由にですね、2006年8月に委員を辞任されております。ええまぁ石橋先生はですね、「地震が頻発するんだから、こんな杜撰(ずさん)な地震指針を通すわけにはいかない」ということと、そいからこの地震指針には反対がずいぶん多かったですからね、「そういった反対をちゃんと聞くべきなんだ」ということが基本でした。





この地震指針はやがて、私もですね委員を務めておりました日本原子力安全委員会の基準部会に上がってくるわけですね。このときに東大の先生がですね、「色んな異論があったんだ」というようなことは全く触れずに、ま、通り一遍の説明をしました。私はまぁ、この地震指針を見てですね、私が一番思ったのは“目的がハッキリしないな”と思いましたですね。地震指針だから地震に対してってことなんですけども、原子炉を守るのか、発電所を守るのか、そいとも(それとも)この付近に住んでおられる人の被曝をしないようにするのかと、全然分かんない変な指針でした。





で、これはあの、分科会でも石橋先生が何か言っておられますけども、私の場合も質問するとですね、文科省の課長がですね、グズグズグズグズと話すんですよ、答弁するわけですね。私が2分質問すると、20分ぐらい訳の分かんない回答をして時間潰しをするっていう、ま、そういうことだったんですね。それに対して委員とか委員長は黙ってましたね。





やっぱり、まぁ、これは官僚にぐるっと周りを囲まれて身動きが取れないとも言うんですが、本人は首相に任命された委員ですから、言うべきことはもし自分の意見と違えば言うべきであって、あの時に委員長始め言わなかったということはですね、肝心な事は言わなかったっていうのは、やっぱりこれは権力を傘に着た私物化であろうと、委員会の私物化だろうと思いますね。それが今度の原発事故に結び付いたんですから、非常に責任は重いと思います。





えーところで、この石橋先生ですけども、ま、今から30年ぐらい前の1976年、「東海地震が起こる」ということを地震学会で発表し(「駿河湾地震説」)、それを大々的にマスコミが取り上げて、これで実は東海地震の大きな観測網っていうのはできたわけですね。ところが、その後はまぁ阪神淡路大震災と東北大震災の2万6千人に及ぶ犠牲者を生む原因を作ったわけでもあります。





石橋先生はその後、建設省の研究所を終わって・・・東大から建設省、それから神戸大学の方に移動されております。ええまぁ、これはですね、まぁ学問としての考え方ですから別に構わない、全然構わないわけですね。で、あのそれよりかむしろ石橋先生の発表の後、東大の教授とか官僚が中心になって「東海地震しか予測できない」というようなことを言って、それで「東海地震の地震網を作る」という、ま、そういうことになります。





えーこれはですね、やっぱり「学問」というものと「政策」っていうものがですね、まぁ“遊びの手段”になっている、お金を獲るための遊びの手段になっている。この遊びの手段になってる事が非常に多くの犠牲を生んだということなので、ここのところはですね、しっかりと今度の地震の予知ができなかったことに対して考えてみなきゃいけないし、特に地震学会を中心としてよく反省をし、原因を追究し・・・これはあの学問的に分かんなかったって全然構わないんですよね。





石橋先生がそういう予知をしたけども、実際地震起こんなかった。これに対してですね、ええと、あの批判もありますけど、それは良いんじゃないか、それは自由な学説をどんどん言うっつうのは非常に重要なことですけども、それに対してですね、社会が取り上げるときの問題を大きく問題にしなきゃいけないと思います。





まぁあの、東北大震災起こって、地震予知ができないということが判りますと、地震学会はゲラー教授(東大、ロバート・ゲラー教授。〈地震学〉)を呼んでですね、地震予知ができないということを言います。ゲラー先生の要旨は「地震予兆現象が見えないんだ」と、そいから「1979年以来、10人以上の死者が出た地震を予知できたという事はなかった」、それからまぁ「方法論に欠陥がある」 「地震指針(地震研究)は官僚主導ではなくて、科学的根拠に基づいた研究者主導で進められるべきである」、





それからまぁ「こういったものの根拠になってる悪法がある」と、それは、「大規模地震対策特別措置法というのを廃止せないかん」と。つまり1976年当時、「地震予知ができないって判ってた」のに、地震予知をできるというようなことを言って、2万6千人もの犠牲者を出したんだということがまぁポイントなんですね。





ま、これに対してマスコミはですね、石橋先生を少し叩いて「石橋先生が何で東海地震が近いと言ったのか」とこういうことですが、これは石橋先生の責任ではなくて、社会がですね、『学問的に色々な学説が出るのに対して、どうそれを捉えるか?』っていう方にあるわけですね。えー、今度の原発もそうですね、被曝の研究をするってのも良いし、色々ご意見を言うのは良いんですが、社会に対して「大丈夫だ」とかそういうことを言うっていうのはこれ全く違うわけですね。





そこのところ、私が『専門家の倫理』ということで言っとりますが、「学問の自由」と「専門家の倫理」っていうのはどうするかっていうのは、もう非常にハッキリした事なんですね。「学問の自由は学者が言う、しかしそれはあやふやなもんである」。「そこで専門家っていうのは社会に対して直接呼び掛ける、それはもう確実なことじゃないといけない」。この二つの調和をですね、考えなきゃいけません。




この石橋先生の一連の報道はですね、大変高く評価されますし、またそれが誤解となって世の中に流布されないようにしなきゃいけない、とまぁいう風に思いましてこの一文を書きました。


(文字起こし by danielle)