形式論・・・日本は原発先進国? (5/6) | お手伝いさんたちのブログ

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中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

形式論・・・日本は原発先進国? (5/6)



第2次世界大戦の前に、「鬼畜米英」、「大東亜共栄圏」などの「言葉」が先行し、冷静な国力や国際情勢の分析がおろそかになったことも先の大戦の敗北の原因になったとされています。戦争は敗戦に終わり、310万人の日本人が犠牲になったのですから、戦争がやむを得なかった可能性はありますが、やはり政策として失敗だったことも明らかです。



日本の政策のように高度で複雑なことを考える時、言葉の遊びのような形式論で話を進めることもできますし、それなりに相手を説得できるように論理展開も可能です。事実、日本の論壇では「形式論で論旨を構築し、それにあった事実を集める」という手法を使う人がかなり多くテレビ解説や新聞、雑誌に登場しています。



その一つが「日本は原発先進国で原発の技術は世界一だから、それを守るべきだ」という「形式論」です。かなり地位も高く、論理性もある立派な方がこのような形式論を述べておられることに危惧を感じます。



この論理は「原発の技術が世界一」ということを根拠なしに前提にしているのです。日本の原発が世界一の技術力を持っているなら、もちろん福島原発事故などは起こっていません。いくら大きな地震と言っても「震度6,津波15メートル」というのは日本の海岸線ではそれほど珍しくありません。



震度6などは日本では普通のことで、高層マンションを建てるときでも「耐震設計」をしますし、地震の少ない国の設計をそのまま日本の高層マンションに応用することなど出来るはずもありません。地震や津波に強い建物の設計は、地震や津波がある国で発達するものだからです。



震度6の地震・津波のある国で原発を持っているのはほぼ日本だけですから、もし日本の原発技術が世界一なら、日本は独自の技術で原発、再処理施設などを設計しなければなりませんが、両方ともまったく出来ていません。



つまり、基本設計能力も安全保持設計もできないし、事故が起こったときの現場の対応(地元に連絡)や緊急体制(避難、ヨウ素剤など)もまったくダメなのに、単に「原発を(ややだまして)発展途上国に売る力」だけを「技術力」と言っているようです。



「日本の原発技術は世界一だから、これを温存しなければならない」などと言う形式論が堂々と議論されることに大きな違和感を覚えます。そろそろ形式論から実体論に、空気的事実から科学的事実に変わっていかなければならないとかんがえます。



日本が原子力発電を利用するためには「日本には基本的な原子炉技術はない。一から再スタートだ。再処理技術もフランスのもので日本にはない。だから核廃棄物の処理や格納もできない」という事実を認識して、議論をやり直す必要があります。

(平成24年5月6日)




--------ここから音声内容--------




ええと、少し専門的になりますけれども、あの「原発先進国」というような「形式論」がかなり識者の方の間にですね、広まっておりまして、これに対して私は非常に危惧を感じます。私も実はその、原子力をやってたわけで、昔はですね、そのように考えていた事もあります。





で、これはですね、その後、私が勉強して色々変わってきたわけですが。その一つにですね、やっぱり第二次世界大戦の前に、「鬼畜米英」・・・“アメリカとイギリスは鬼と畜生である”とかですね、「大東亜共栄圏」って非常に良い言葉だったんですが、ま、そういった言葉の中身とか影響をよく吟味せずにですね、戦争に突入してしまった。





で、現在でも戦争はやむを得なかったかもしれないんですが、やはり310万人の日本人が犠牲になったことをですね、どのようにやむを得なかったのかと、どのような政策が失敗したのかと、いうことを明らかにするってことは非常に重要ではないかと思います。





ええまぁあの、こういった非常に難しい事になりますとですね、日本の政策の今までの手順を見てますと・・・歴史的にですよ、明治以来の手順を見ておりますと、言葉遊びのような形式論があの始まるんですね。この“形式論が始まって、あと「黙れっ!」と言う”、この組み合わせですね、ええまぁ、そういうようなことがあります。





それで、これはあの例えばですね、環境関係では「環境ホルモン」というのが正にこれだったんですけども、まず『形式論で論旨を構築してしまう』んです。例えば、あの場合は「人工的に作られた物質は有毒である」というのを作ってしまうんですね。これはその可能性もありますけども、「それは私の直感だ」って言うんですけどね、「それはそれで良い」と。そうすると、『それに合った世の中の事実を集める』わけですね、因果関係をよく考えるわけではないんです。





例えば、自然界にはですね、雄雌(オスメス)がよく変わるものがあります。で、えーっと、「人工的に作ったものは、性的な、セックス(性別)的なですね、異常が起こるんだ」ということをまず『仮定』して、そして自然界を探すと自然界には雄雌が変わるものが多いんで、ま、『それを集めてくる』っていう非常に初歩的なものでしたですね。





ところが、世の中の人は、動物がですね、雄雌が結構変わるんだってこと知らなかったもんですから、それに乗って・・・ま、成功したっていうかですね、「騙しが成功した」ってことですから、ほんとに成功したとは言えないんですが・・・ま、そういうことになりましたですね。





で、これに非常に似てるんですね。えー、「日本は原発先進国で原発の技術が世界一だから、それを守るべきだ」っていうのは正に『形式論』なんですね。で、何故日本の原発の技術が世界一なのか?ということなんですね。まず一つは安全技術が世界一じゃない事は明らかです。何故かったら、「震度6とか津波15メートルで爆発する」わけですから、ま、このような設計しか出来ないということは、例えば高層マンションを建てて震度6が来たら倒れるという事ですから、これはもう到底ダメですね。





そいから地下1階に発電機から…ディーゼル発電機から全部入れて、えー「塩水被っちゃったから、爆発しました」って言うのも、情けない話なんですね。ですから、もちろん日本に原発があるわけですから、震度6の地震が来たり、津波が来てもですね、大丈夫であるという技術を持っていれば、それはある程度の地位は築けるでしょう。そいから再処理施設なんか、全然無いんですね。日本にあるやつはあれ、フランスの技術ですから、だからダメなんですね。





つまり、基本設計能力が無いんですね。安全保持設計も出来ないんですよ。これは、何故出来ないのか?っていうことは非常に専門的になりますが、まぁ「東大の先生がバカだった」と言うしかないんですけどね、簡単に言うと。だけど、まぁもう少し詳しく、「何故日本が基本設計能力を持たなかったのか」、「安全保持設計も出来なかったのか」、「耐震性すらやらなかったのか」、ってことについては、ま、かなり詳しく説明しないといけませんが。ま、事実だったんですね。





そいからもう一つは、もちろん事故の起こった時の現場の対応ですね、つまり、私が言う「大型客船にも救命ボートを付ける」、それから「救命ボートをどう下ろすか」とか、「救命ボートを下ろす手順はどうするか」と決めとかないけないですね。「地元にどうやって連絡するか」、「緊急避難体制をどうするか」ってことも全く無いんですよ。





だから、まぁ日本の原発技術ってのは何か?つったらですね、会社が原発を、他国を“やや騙して”売る力はある、と。ま、これを“技術力”と言ってるようですね。えー、実は「原発の技術力あるんだ」って言う人の文章を、この前読んでみたんですよ。そうしましたらですね、その人が言う技術力っていうのは、技術力じゃないんですよ。セールスマンみたいなもんですね。





えー「日本の原子力発電の技術は素晴らしいですよ」と、アメリカのGEとかウェスティングハウスを買い取って、そして自分のものとして、「非常に効率よく運転してますよ」って、そういうことなんですよ。これは全然技術力じゃ何でもないんですね。あの、技術力って言うんですかね、何て言うんですかね、“人を騙す力”みたいなもんなんですね。





そこからですね、飛躍して、「日本の原発技術は世界一だから、これを温存しなければならない」という形式論が出てきて、議論が進むわけですね。私は、これはまぁ「形式論」から「実体論」に進まないけませんし、「空気的事実」から「科学的事実」に変わってかなきゃならないと思います。





ええまぁ、日本が原子力発電をですね、これから利用するためには、私はですね、技術者が、「日本には基本的な、残念ながら原子力技術は無いんだ」と、「だから一から再スタートしなきゃいけないんだ」と、「再処理技術を持ってないし、最終的に格納するところも持ってないんだ」と、ま、いうようなですね、現実を見るってことなんですよね。現実を見て・・・もちろん「福島第一が爆発した」とか、「震度6で日本の発電所が全部壊れた」とか、そいから「青森の東通原発に至っては震度4で全電源を失ったんだ」と。





一つ一つについて、言い訳はできますよ、えー「何か、こうして、こうなってるときに、起こってしまったから・・・」とかですね、東通原発なんかでも「最初の一撃でこうこうなってるときに、震度4が来ました」、だけどですね、震度6の地震が来るっつうのは、普通の事ですね。それから、そのあと余震として震度4の地震が来るのも当然ですよ。じゃ、震度6の本震が来て、震度4の地震が来たら、それを「想定外」って言うんですから。これはね、『技術が無い』ってことなんですね。





そういう、ほんとは言い訳はしちゃいけないんですね。現場っていうのは、それは言い訳しちゃいけなくて、「震度6の本震である程度壊れて、そのあとの震度4の余震で電源が全部切れちゃった」と、「これは設計のミスだ」と、「技術力の不足だ」と言わなきゃいけないんですね。





そういう事実が山ほどありながら、日本の相当まぁ知識の高い、論理的で指導的な方が、「日本の原発技術は世界一だ」というようなことを言うつうのは、僕はもうほんとに・・・「鬼畜米英」とかそういった時代を思い出しますね。偉い人が「形式論」を言う、それによって空気が作られる。空気が作られると、事実を述べるとバッシングされるっていうね。昔だったら憲兵にしょっぴかれるという、ま、そういう社会構造を非常に見る思いがします。





ま、これ、もし技術の方が聞いておられたらですね、「やっぱり技術ってのはそうじゃないんだ」 「技術っていうのは、事実を見る事なんだ」と、まぁいうことを是非ですね、声を上げてもらいたいと思います。


(文字起こし by danielle)