2011現代倫理論9 除染と補償の関係に関する倫理
この倫理シリーズの最初のところで簡単に触れたように、フォードピント事件で示されたように、なにか事件や事故が起こったとき、「かたづける」前に「お金で処理する」ということをしてはいけないのが現代の鉄則です。「一時見舞金」は良いのですが、それは緊急時の処理で、詳しい書類を書くようなものは、かたづけてから実施しないと倫理に反するのです。
(平成23年12月30日(金))
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「フォード・ピント事件」ってのがありましてですね。これは実は、この事件のことをよく知らないので起こったんじゃないかと思うんですが、東電の補償問題ですね。これ、マスコミも平気で放送してましたけども。これダメなんですよ。
フォード・ピント事件っていうのはどういう事件かといいますと、ちょっと説明しましたが、1970年の初めにですね、フォードが初めてピントって名前の小型自動車を作ります。小型自動車をとにかく作った経験があまりないものですから、後ろのトランクのところにガソリンタンクを置いたんですね。で、その後ろにボルトがあったんですよ。
で、まぁ普通に走ってればそれでいいんですけども、後ろから追突されたときですね、そのボルトがガソリンタンクに食い込むんです。で、ガソリンタンクが割れて、そっからガソリンが漏れて火がついて、亡くなる人が出てきたんですね。で、これについてどうしようかっていうのが、フォードの社内で議論されます。私のこのブログにも書いてありますので、具体的な数字についてはそっちを見ていただくことにして。
議論された挙句どうなったかといいますと、このままにしておけば、お金は安い、と。保証金だけ払えばいい。死ぬ人が180人だとして20万ドルずつ支払い、損害賠償や車両損失で合計約40億円になる。もしも全車両をリコールすれば、販売台数1250万台の改修費用、1台あたり11ドルで、約100億円となる。ずいぶん掛かるからリコール止めて、このまま売ろうってことになって、売ったんですよ。
そしたら、もちろん事故が起こって死ぬ人が増えるわけですね。こういうのはお金の問題じゃないってことになったんですよ、その後。要するに不良品があって、それで事故が起こるようなことがあれば、その保障にいくら掛かるからっていうんじゃなくて、それは絶対ダメだということになったんですね。つまり、ある事件とか事故が起こったときに、片付けるということをしないで、お金で処理するということをしちゃいけないってのが原則なんです。
だけどまぁ、当面困った人がいるので一時見舞金を払うっていうのはいいんですけど、これはね、緊急時の処置で。ま、詳しい書類を書いて申請するという類のものじゃなくて、一律被害に遭った人に100万とか200万とか配るっていう、そういう生活を保つためのものなんですね。これはお役所から配ってもいいんです。これは緊急ですからね。
今度のことで、実は東電は除染に行ってないんですよ。除染に出てないって事は、片付けてない、ってことなんです。片付けてないときにそれをやろうと言わないで、お金で処理することを進めちゃいけないんですよ。これについてマスコミはね、相当厳しく言うべきだったんですけど、多分言わなかったのはこの「フォード・ピント事件」みたいな、過去の経験を知らなかったんでしょうね。これは必ずやらなきゃいけないわけです。
例えば水俣病としますね、水銀をたれ流して患者さんが出てくる、と。で、患者さんに金払えばいいだろう、水銀は流していいだろうって、これダメなんですよ。何でもそうなんですけどね。
例えば、毒の入った粉ミルクを売る、と。いや、粉ミルクを売って子供たちが何か障害が起きたら、その子供たちを保障すりゃいいじゃないか、と。この粉ミルクの新しいタイプのやつを開発するのに金かかるから、10人子供が変になったら、その子供たちの保障するよ、ってダメなんです。全部ダメなんですね。
フォード・ピント事件っていう大きな事件が起こるまで、ややいい加減だったんですけどね。考えてみりゃ当たり前だから、それは絶対そうしなきゃいけないということになったんですよね。
だから今度の東電は、やっぱり片付けることが第一なんですよ。汚染を片付ける。これも私がいつも言ってるように、法律の「電離放射線障害防止規則」。これは電離放射線、つまり放射線で被害を受ける人をどうやって防ぐかということですね。ここには28条にはっきり書いてあるわけですね。「放射性物質をこぼした人はただちに駆け付けて、ロープを張り、標識を立てて、できるだけ早い時期に除けなきゃいけない」と決まってるわけですよ。
これはね、あまりに広すぎて片付けらんないとかいう、そういう理屈は通らないんです。まず片付けることをやんなきゃいけないですね。つまり誠意を見せなきゃいけないんですよ。
交通事故が起こることは仕方がない。だけどひき逃げはダメなんですね。要するに、そこに放置して行っちゃう、と。それはやっぱりその人を病院に連れて行かなきゃいけないですよ。これもやっぱ片付ける前にお金を処理しちゃいけない、っていうのと同じ思想なんですよね。
汚いものを流しちゃいけない。火事を見たら通報しなきゃいけない。これ全てについてそういうことなんです。
ところが、これに対して東電がやらないのは、東電が悪辣(あくらつ)だったと言えるんですけど。なぜマスコミがね、この当たり前のことを追求しなかったか?ってことなんです。
これ実は、放射線の被曝が大丈夫だって、関係ないんです。もしも1年20ミリでも1年100ミリでも、安全でも、ダメなんです。要するに何でダメかっていうと、片付けるってことは、元々他人のとこにあってはいけないものがあったら、それは毒物であるとか、そういうこととは関係なく、片付けなきゃいけないんですね。見掛けが汚いだけでもダメなんですよ。心配なだけでもダメなんです。
だからゴルフ場の訴訟がありましてね。あれは私のブログのちょっと一部、書き方が不正確だったんですけども、判決が出たわけじゃなくて、一時的なものがゴルフ場に不利になったんですね。ですけども、ゴルフ場としてはですね、とにかく一刻も早く片付けてくれなきゃいけないんだから、あの判決はどっちかといったらもう、東電にいいという判決なんですね。
あのゴルフ場には放射性物質が降った。それによってゴルフ場が被害を受けた。それはもちろん片付けなきゃいけないですよ。お金の問題じゃないんですね。これは実は法律の問題じゃないんです。倫理の問題なんですね。もちろん法律的にも罰せられますが、倫理的にやっちゃいけないことだ、ってことが確定してるんですよ、この世の中で。
つまり善良で誠意のある社会ではですね、人に迷惑掛けたときには、迷惑を片付けないと、片付けないでそのままでお金を払えばいいだろうというのはダメだって言うことになってるんですね。
この除染と保障の問題について、マスコミが書かなかったのはおそらく、フォード・ピント事件を知らなかったからじゃないか、と。だけどまぁ、常識的に考えてですね。工場が事故を起こして毒物が流れてる、と。毒物が流れてるのをそのままにして、そしてお金の問題を出すっていうのはダメなんです。やっぱり毒物片付けないといけないんですね。
私はね、これはね、日本社会が倫理について良く知らないなぁと思いましたね。こういう原理原則をよく知らないんじゃないか?と。悪意はないんだけど、こんなことになっちゃったんじゃないか、というふうに思います。
(文字起こし by danielle)