2011原発危険論3 原発は安全か(御札(おふだ)と現実)(12/29) | お手伝いさんたちのブログ

お手伝いさんたちのブログ

中部大学 武田邦彦先生のブログの中で、音声収録のみのものをテキスト化して掲載しています。
テキスト化及び掲載にあたっては先生から許可を頂いています。

(文字起こしをお手伝いして下さった方からの投稿です。danielle(ダニエル)様、ありがとうございました)


2011原発危険論3 原発は安全か(御札(おふだ)と現実)(12/29)


--------ここからブログ記事--------


日本の原発は安全でしょうか? フランスと日本を比較すると原発に対する考え方の違いに驚きます。またそれが日本の原発を危険にした一因でもあります。クリスマス、お正月の時期ですが、日本人もそろそろ「日本文化と巨大技術」について考えなければならないところでしょう。(フランスの原発図をお借りしました)。




--------ここから音声内容--------


えーと、原発が危険であるというもののもう一つの理由としてですね、まぁ日本固有の機関である、と。日本の特徴というのがあるんですね。



日本はですね、日本人ってのは非常に面白いんですね。12月25日になるとキリスト教徒になって、1月1日になると神徒になって、もう少したつと仏教徒となる、と。「あなた、イエス・キリストを信じてるんですか?八百万の神を信じてるんですか?それともお釈迦さんですか?」と言うと、「ま、皆偉い人だから、まぁいいじゃないですか」と。まぁ、これが日本人なんですね。


この日本人の性質っていうのは良い面は非常にあるんですよ。ですから、それが悪いっていうわけじゃないんですけど、原発のときにはこれが裏目に出ましたね。
床の間にですね、原子力発電所が安全だっていう御札(おふだ)を貼るんですよ。日本人らしくてですね、御札を貼ればですね、もうとにかく原子力発電所が安全だっていうことを首相も、大臣も、知事も、市長さんも、専門家も何も全部、同じことを言うんです。マスコミもね。「原子力発電所は安全だ」と。




じゃあ東京の電気をですね、新潟県柏崎市に作って、こから延々山を越えて300キロも送電線で送る、と。
「何であんなへき地に作ってんですか?東京の横に作りゃいいじゃないですか」って言うと、「原子力発電所は危険だからだ」って言うんですね。

「さっき安全だと言ったじゃないですか?」と。

「いや、原子力発電所は危険で安全なんです」と。



ま、これ普通は統合失調症っていう病気なんですけどね、こういうのは。つまり同時に違うことを平気で言うっていうのは、統合失調症なんですよ。これについては、
日本人の統合失調症については岸田先生ですね、岸田秀さんが詳しく何回も本を書いておられますけども。
明治維新以来ですね、日本人っていうのはやや統合失調気味になった、と。



ただ、日本人の性格自体が統合失調症的なんですよ。
もう…すごく昔、卑弥呼の時代からやや統合失調症の嫌いがあるんですね。それがまた異文化を受け入れる非常に良い素地にもなったんですけど。とにかく原子力発電所は安全で危険である、と。こういうふうな二様を使うわけですね。従って、東京のそばに原子力発電所を作るんのはとんでもないっていう話になるんですよ。



例えば、京都の人が使う電気の原子力発電所を作るんだったら、琵琶湖が一番いいんですよね。でも多分、琵琶湖のほとりに原子力発電所を作るとね、反対運動が起きると思うんですよ。じゃ「何で反対してんですか?」っつったら、「いや、琵琶湖なんかが汚れちゃうじゃないか」っていうわけですよ。
「だったら若狭湾にずいぶんあるじゃないですか」と。若狭湾に15基ぐらいの原子力発電所あるわけですよ。
「あれは若狭湾は汚れないんですか?」って言うと、「いや若狭湾は人が泳がないから汚れてもいいよ」って。
いや、そんなことはないんですよね。原子力発電所っていうのは、やっぱり一定の基準でちゃんとやんなきゃいけないわけですね。




フランスはどうかっていうのを、フランスの地図をちょっとお借りしてここに貼りましたけども。フランスはですね、
原子力発電所を推進してるわけですね。日本人と違って、技術に関してフランス人は違うことを言わない民族なんですよね。そういうことで、フランスはまず内陸にありますね。川沿いにあります。


特に注目しなきゃなんないのは、パリを流れてるセーヌ川、これの上流に原子力発電所が2つある。日本ですとね、東京の中を流れていく荒川とか多摩川の上流に原子力発電所を作るっていうとね、日本人反対すんじゃないですかね。



それからロワール川っていうのがあるんですけども、この川の上流にもやっぱりあるんですよね。ですからこの水は下流までずっと皆が利用するわけですね。国際河川ではありませんが、フランスで一番長い川ですよね。それから海岸淵にはフランスは3つぐらい発電所あるんですけども、主力は川の水で冷やしてるんですよ。


私はトリカスタンって所に何回も行ったんですが、そこもですね、原子力発電所が4基ありましたね。川沿いに建っておりましてね。そっから冷却水をばんばん流すんですよ。そうしますと、下流はもう温かくなってだいぶ環境が違うんですけど、フランス人全然構わないんですよ。


なぜかというと、「原子力発電所、こんなとこに建てていいんですか?」と例えば質問しましたらね、フランス人は絶対こう言うんですよ。「え、何言ってるんですか?原子力発電所は安全だから建ててるんですよ。危険だったら建てませんよ」と。「排水でも冷却水でもね、爆発もしないから建ててるんですよ。」こう言われて終わりなんですね。


実際上、日本はもんじゅっていう高速増殖炉やってます。とても危険なんですけども。フランスはですね、フェニックスって炉を最初作りまして、それから比較的大きなスーパーフェニックスってのを作ったんですよ。日本と同じように確か、ナトリウム冷却だったと思うんですけどね。これ途中で止めちゃいました。っていうのは、危険だから、っていうことですね。つまり「危険なものは止め、安全なものはやる」という、まぁ考え方なんですね。


ところが日本は違うんですよ。日本もんじゅもやってるし、軽水炉もやってて、爆発してもやってんですけど、
「日本は安全だという御札を貼ればいいんだ」という、ことですね。これについて、もちろん日本はボロいんだ(たやすい)と言えないことないんですけども。まぁ、日本文化っていうのは大切なんですね。融通性のある日本文化。そうなりますとね、巨大技術と相容れないところがあるんです。


そこでですね、やっぱりこの際ですね、原発のような巨大技術をやるときは、論理主義でいかなきゃいけない。
つまり、まぁまぁ、なぁなぁではなくて、また御札主義でもなくて、やっぱり科学的にですね、論理的にやる。そうしますとね、日本の原発は危険だっていうことになります。



これからちょうど暮れ(年末)なので、今、考えをまとめてるとこなんですが、「日本の原発はなぜ危険か?」っていうのを先回やりましたね。430基の原発のうち、日本の54基ですけども、こればかりが壊れる、と。なぜか?と。

なぜかという文化的な面でみますと、この御札主義だと私は思うんですね。フランスであれば大都市の横に原発を作る。日本は僻地に作る。それは日本のですね、「ダブルスタンダード」がですね、それを招いているということは確かですね。じゃ日本人はこの日本文化、融通無碍(ゆうずうむげ)な日本文化をとるのか、それとも原発という巨大技術を取るのかという選択をしなきゃなんない。



私はまぁ、日本文化も巨大技術も活かすとなればね。日本文化は巨大技術には適応しないと。これをちゃんと日本のなかで認識をしてですね、原発の会議があったら、
「ダメですよ。原発は巨大技術だから論理的に行きましょうや。科学的にいきましょう」と、こういうふうにしなきゃいけないと思うんですね。


私が思い起こせば、地球温暖化なんかもそうなんですが、これもやっぱり世界で日本だけが今CO2を減らそうとしてますけどね。これはなぜかって言ったら地球温暖化という大きなことに対して、日本文化の融通性を発揮しちゃうんですよ。わけが分かんなくなっちゃうんですね。皆で「地球に優しく」なんて、なっちゃうわけですね。
こんなのは論理的な国では成立しませんから。


こういうことをですね、この際考えなきゃいけないし、今度、福島で被曝した子供たちは、日本人の、いい加減・融通無碍な文化の犠牲になった、とも言えるんですね。