最近読んだ本で、はたと気がついたことがあった。
これは人間のサガなのかも知れないが、
「人は悪いことは信じるが、良いことは信じない」
ということ。
私たちは生まれてからずっと危険回避の話しを刷り込まれている。
ああすれば危険、ああすれば失敗する、不幸になる、よくないことになる。
さらに、実際に失敗すると、ほらやっぱり悪くなった。悪いことは必ず起きる、間違いないのだ、
と、
信じる。
逆に良くなるは、偶然だ、たまたまだ、こんなことは二度と起きない、と思い、良くなることは
信じない。
現代の知識人であれば、幸か不幸かは、
50%の確率であることは容易に理解できるだろう。これはコインが裏か表かの出る確率と同じなのだ。
間違いなく、どうなるかは半々なのだ。
しかし、私も含めて、不幸になるなる確率を多く見積もっているはずだ。
ここに一番の問題がある。
私たちは幸福が来ることを根本的に信じていないのだ。
信じるということはどう言うことなのか。
例として、連想思考について説明する。
例えば、雨、ということを聞いて、どのように感じるのか。
私のようなネガティヴ思考だと、雨、薄暗い、ジメジメしてる、憂鬱、などなど、すべてがネガティヴ、悪い方向に連想思考していく。
逆に、良いイメージを連想していくことはなかなか難しい。
このように、人間は連想思考をする動物なのだ。
さらにこの連想思考は様々な事象を見ると、さらに連想ゲームよろしく、色々な思考を展開する。
さて、この連想ゲームをするとき、ほとんどが危険回避、ネガティヴ側に傾倒していないだろうか。
こんなことがあったらどうしよう、こんな辛い目にあったらどうしよう。
さらに、この連想思考は世の中の事象を捉えるとき、大きなポイントがある。
良く悪いものは悪いことを引き寄せるというが、これは引き寄せているのではなく、悪いものに反応しているだけなのである。
目に見える事象をそちらと結びつける、そう連想ゲームで紐付けるのである。
朝起きて、あぁ、雨だ会社行きたくない、ほらズボンも濡れて、電車も蒸し蒸しだし、こんな日は外回りも嫌だし、こんなときに限って、携帯が雨に濡れて壊れちゃったし、、、
と悪いことの連鎖を見事に連想思考する。
さて、これらのことを見事に良いことだと考えられるだろうか。
私たちは親から、またはマスコミなどから、悪い方に思考する特訓を毎日受けている。
これを打開することはとても困難なことだろう。
ネガティヴな連想思考は生きる為に必要な危機管理能力でもある。だからなんでも楽観して油断しろという意味ではない。
どうなるかわからないことに関しては良くなるのだ、ということを信じることが大事だ、ということだ。
どんな人でも、自分の幸福は願っている筈だ。
しかし、心配ばかりして、不幸を信じ、
幸福は信じていないのではないのか。
病は気から、という言葉があるが、
気とは感情のことだ。
良い感情、安定した感情こそが、重要なのだ。
私は大丈夫、私には幸福が来る、
私は強くて、沢山の方々に護られている。
不幸などは来ない、むしろとてもラッキーなのだ。
何せ、何万という精子と卵子の軌跡の結合からあなた達は生まれたのだ。
生きていれば一時的に不幸だと思うことは沢山ある。しかし、一時的に人生をみては行けない。人間万事塞翁が馬、これが上手くいかないのは、とっと良いことが起きるための必要なことなのだ。
さて、ここまで色々書いてきたが、とても難しいことがある。
それは、簡単にそうは
「信じられない」
ということだ。
なので、これを真に理解するには思考法の訓練が必要なのだ。
長年のネガティヴ信仰をポジティブ信仰にするには訓練が大事になる。
本質を理解し、掴むには、お箸を使えるようになるように、文字が書けるようになるように、
繰り返しの練習と訓練が必要なのだ。
私はこれを極めたわけでもない。
しかし、本質への道筋が見えたようである。
さらに、どのようにすべきかもわかってきた。
さらに私よりも、もっと素晴らしい方もいるだろう。
私としては、辛い思いをしている方や、指導して下さる方と出会いたい。そしてこの思考法、感情制御を身につけて、少しでも楽しい日々を過ごせれば幸いなのだ。
仲間が欲しい、そう願い、よい仲間が集まることを信じることにしよう。
