
Yまん「こんばんは、産業心理カウンセラーのYまんです」

「むしウマ」

「めしウマみたいに言うな、ニンゲンにはキモいらしいよ」

「ニンゲンは先生なの?」

「いえ、わたしはカウンセラーを本業にしていませんので」

「やはり、仕事にすると逃れられない、稼ぐ必要性の部分に、非常にジレンマを感じていますね」

「じれんまってどんなたべもの?」

「違うよ、人助けと金儲けの両立に板挟みになってるってことだな」

「例えばレスキュー隊なんかでも、二次災害を避けるために救助活動を中断することがよくありますね」

「なんで、たすけてあげてよ」

「その結果、要救助者が助からなかったとしても、二次災害を避けるというルールの中で活動しなければ、組織の存続すら危ぶまれていきます」

「ニンゲンたちは面倒くさよな」

「我々カウンセラーもそれが職業になると、生きるためにお金を稼がなくてはなりません」

「むし買ってきて」

「そーいうことだね、人助けするニンゲンもお金が必要なんだ」

「人助けとお金に関することはいずれ話すとして」

「なぜ働くのか、これもいずれ話すとして」

「最近“心理学”が盛り込まれたドラマなどが多くないですか?」

「そうですね、統計したわけじゃありませんが、気のせい、偶然でしょう」

「この“偶然”というもの、産業心理では“偶然は引き寄せる”とします」

「ぐうぜんはおいしい?」

「予想外の出来事っていうやつだよ」

「予想外の出来事を引き寄せる?無理じゃん」

「かはは、そう思うでしょう、かはは」

「おい、バカにしてんのか」

「ばか」

「おい、バカにすんな」

「ごめんなさい、勿論偶然というのは偶然です」

「わたしが最近“心理学”に影響をうけた作品を多いと感じるのは偶然ですね」

「だから何」

「では、わたしが偶然にもそう感じたのはなぜでしょうか」

「ばかだから」

「そりゃあニンゲンがカウンセラーだからじゃないの」

「それじゃ、わたしがカウンセラーじゃなかったら、どう感じたと思いますか?」

「なんとも感じない、偶然は起きなかった」

「そうです、この偶然に出会ったのは、わたしの行動が起点になっていますね」

「他にも、わたしは自分のデスクにカウンセラーの資格証を掲げていますが、それを見て最近胃腸の調子が…と話してくれる方がいたり、悩みはYまんさんに話すべきだと、後輩に言ってくれる方もおります」

「二つ目なんか非常にわかりやすい(無理矢理?)ですが、わたしは偶然悩んでいる人を引き寄せていますね」

「じゃあオレたちも偶然に大好きな虫を引き寄せてるのか?」

「むしウマ」

「勿論、あなたたちが虫を美味しそうに食べるから買ってくるんですよ」

「じゃあ仕事から帰ってきたニンゲンを見に行った時にさ、ニンゲンもオレたちを見に来るのは偶然?」

「偶然みたら夕方なのに起きてたから、早いけど餌あげてみたんですよ」

「むしもらった」

「ナイスタイミングだった」

「互いの偶然が互いの偶然を引き寄せたんですね」

「帰ったら見に行くようになったのは、その偶然があったからですよ」
自分自身が何か行動を起こすと、周囲に何か影響を与えます。
その結果変化が起こり、自分が得る一つの結末にも変化が起こります。
人生とはその連続なのです。
偶然おきたことは、自ら引き寄せたある意味必然的なことです。
良いことも悪いことも、引き寄せたのです。
運も実力のうちというのは、偶然は引き寄せるものだから、そういうのです。
この現実をもとにわたしが思うのは、興味のあること、好きなことは一生懸命行動するべきです。
その分野の偶然をたくさん引き寄せる可能性が生まれると思います。
興味がない、嫌いなことは自由に避けるべきです。
その分野の悪い偶然と不要に出会わず済む可能性がうまれます。
勿論、健全に生きるために必要なことからは逃れられません。勉強、働くこと、人と関わること。
それらがなぜ必要なのか、理解できるように教えてくれる人がいない、そういったことが多いと思います。
わたしはセルフカウンセリング(自立)に希望を抱き、推奨・拡散していきたいと考えていますが、きっかけがなければ、気付きを得ることすらできません。
わたし自身人生に悩み続けて33年、ようやく気付けました。
無駄だったとは思いませんが、不必要に辛すぎました。今思えば。
ヒト(自分)への理解も、人生への理解も、いきる上で必須なのに一切が行き当たりばったりで、単に失敗しながら学ぶものだとか、あまりに稚拙ではないでしょうか。
公式を知らない数学問題は天才にしか解けません。
それではまた
