今の日本じゃ考えられない好景気だった80年代後半。

 

就職活動も引く手あまたで、企業見学ツアーご招待!!なんてあったのよ。

 

学校に企業が観光バスで迎えに来てくれて、お茶や豪華なお弁当はもちろん、お土産まで持たせてくれて。

 

地元の企業はもちろん、関東に本社がある日本人なら誰でも知ってる企業なんかも、内定出しまくり。

 

関西ではそこそこ有名大学だったからということもあるんだろうけど、希望した企業からは全部内定もらえるような時代だったのよ。

 

私なんて、「体が丈夫で実家から通える」ってだけで、数社内定もらったんだからね(笑)

実家に帰る気なんてさらさらなかったけど、内定多く持ってるもんカーストみたいな様相を呈してたから、もらえるところからは片っ端からもらってた。企業の方も、それ見込んでた気もするな・・・。

 

今じゃ考えられないよね。マジであったんですよ、そんな時代が。

 

マジで、こんなスーツで就職活動してたわ・・・。

黒い方ね。さすがに金チェーンはないけど。

 

就職も決まったし、寮から出たいと我ママ言って、学生の間だけ家賃を払ってもらう約束で、街中のワンルームにも引っ越した。

 

自由と自分勝手をはき違える若者って、今見たらヘドが出る。

でも、わが身を振り返ると、私はヘドそのものだった。

 

繁華街から歩いて帰れる自宅。

すっかり遊び慣れてしまって、夜な夜な飲みに出てはオールでカラオケ、たまにクラブ(当時はディスコ)。

派手なスーツや化粧品にバイト代つぎ込んでしまい、家から仕送りされる家賃に手を出したことも1度ではない。

 

相変わらず喫茶店のバイトは続けてたけど、自転車操業で奨学金返すための貯金なんて出来るはずもなく。

 

まぁ、それでも就職すればマトモな給料もらえるし。なんとかなるわ、なんて気楽に構えてた。

 

 

ところが。

 

あれは、なんだったのかしらね。

私らの一つ上の先輩の代からかしら、就職氷河期が突然来たの。

 

当時は早々と3年生になったら内々定なんていうよくわからないものもらってたりして、あとは卒業まで余裕~♪

なはずだったんだけど、それがいきなり軒並み取り消し。

 

日本全国の就職活動期の学生がどよめいたよね。

そう。かの悪名高き、バブルの崩壊。

 

あんなに直接自分の身に降りかかってくる問題だなんて、ちっとも考えてなかった。

 

そんな状態で、再度探そうにも満足な就職先があるわけもなく。

 

実家に帰ろうにも、就職はとっくに決めて、あとは選ぶだけだから、なんて言っちゃってたし。

 

寮では友達だった人たちとは、すでに世界が違ってて、私はいつの間にか落ちこぼれてた。

 

気が付くと卒業するにも単位はギリギリ、お金もなくて、家賃も払えるかどうか。

 

バイトしたくても、単位のためのレポートしなきゃで、どうにもならなかった。

 

 

どうしよう・・・と、そのころには週末はウチで過ごしていた、

喫茶店で知り合ったイケメン彼氏のケイゴに相談したのが運の尽きだった。

 

いや、地獄の入り口か・・・。

 

 

ケイゴのことは、1ミリも疑ってなんてなかったし、連れて行ってくれてたお店も高級そうなところばかりだったし。

夜のお店、と言われても、煌びやかさだけしか知らなかった私には、未知との遭遇感でワクワクドキドキしかなかった。

 

 

紹介されたのは、そこそこ大きなキャバクラだった。