学のないオヤジが、いつも言ってたなぁ。

 

私は物心ついたときから本が好きで、

 

幼稚園から帰ってきたら、わき目もふらずに子供部屋に走って、アニキの小学校の教科書読みふけってたわ。

 

末っ子で女一人、可愛がってくれてもよかったものの、オヤジはアニキばっかり可愛がって。

 

アニキたちを引き連れて、野球やら柔道やら楽しんでたわ。

 

母親の記憶は薄いなぁ・・・。

 

2度目の結婚で、孫が出来てからはよく面倒見てもらってたけど。

 

 

夜中に思い出すと、なんだか暗くなるね。

子どもの頃のことなんて、ほとんど記憶にないだけで、

そこまでブラックではないはずだけど。

 

愛情かけてもらってなかったとは思わないけど、進学のことについては激しくぶつかったっけ。

 

女にゃ学なんて必要ねぇわ!

さっさと嫁に行け!

ちょっと器量がいいくらいしか、

てめぇにゃ得意がねぇんだから!

 

静岡出身の父の方言?クセ?は、ず~っとなじめなかったのよ。

ちょっとしゃべるときも、がなってばっかりいたし。

私は生まれたときから奈良県だしね。関西弁。

 

高校行きたいって言ったら、県立行けないなら行かなくていい、だったし、

古典文学勉強したくて大学行きたいっつったら猛反対。

 

だからさ、奨学金かりたのよ。頭と運が良かったから無利子でね。

 

でも、ここから私の借金堕落人生始まったのよね。

 

親のせいとは言いたくないけど、

生まれって、あるわよね。ちょっと辛いもんが。

 

だってさ、19歳で400万って、なんで借りれるの?

今考えても不思議だわ。

 

ヨメさんに大反対されても保証人になってくれた叔父さんのおかげ。

両親より早く亡くなっちゃったけど。

オバさんは嫌いだけど、叔父さんは好きだったなぁ。

跳ねっかえりの姪っ子をよく可愛がってくれたよね。

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いらぬ回顧録になってしまった。

 

400万も借りたんだから、しっかり勉強しないと!とプレッシャーを感じつつ、

寮暮らしとはいえ親元離れて一人暮らしをすることへの期待感でいっぱいだった19歳の春。

 

・・・もう、30年以上も前なのかぁ(遠い目)