墓参りのあとは…
すぐ近くにあったのに
しらなかった穴場スポットへ…
タダだと思って財布持っていかなかったら
入場料500円だった(^_^;)
それに、撮影禁止です
足尾銅山は1610年備前楯山で二人の農民「治部(じぶ)と内蔵(くら)」によって発見され、江戸幕府直轄の銅山として栄え、その銅は東照宮、芝増上寺や江戸城の屋根や、銅銭「寛永通宝」にも使われました。
1877年に廃山同様になっていた足尾銅山を古河市兵衛が経営するようになり、日本の鉱山としては最先端の技術を取り入れ、日本の産銅の約半分を生産するに至り、東洋一の銅山と呼ばれるようになりました。
明治・大正・昭和期に足尾銅山で使用していた電話機を展示しています。1876年、ベルが発明した電話器は1877年に日本へ輸入され、1886年に民間で最初の電話機として足尾銅山の坑内外で使用され始めました。1890年には、ドイツのシーメンス社より坑内電話機を購入し、電話網を整備しました。1965年には、富士通信機株式会社の自動交換機を導入。その後、携帯電話などの発達により、2000年にその役目を終え、2016年には栃木県指定有形文化財となっています。
ちょ~最先端!!
有線式携帯電話
手動電話交換機
自動電話交換機
足尾銅山の隆盛期に貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館です。
大正初期に改築され、外観は洋風、内部は和洋、それぞれの様式を用いた2階建ての建造物で、鹿鳴館や古河庭園などを設計したジョサイア・コンドルの影響を受けたといわれています。
館内には国産で最も古いとされるビリヤード台のある撞球場や日本間など、貴賓客をもてなす設備が揃っています。
当倶楽部は2006年に国の登録有形文化財として登録されました。
畳なのに窓は洋風
大正時代も(・∀・)イイネ!!
掛水重役役宅
足尾鉱業事務所の掛水移転をきっかけに、所長や副所長などの役宅として建設されました。銅山住宅群やその敷地を含め、ほぼ建設当時の状態で現存しており、全国的に極めて珍しいとされています。特に所長宅の敷地は約100坪あり、接客部分と居住部分が分かれた造りで、当時としては最先端の住宅建築でした。2010年には掛水重役役宅6棟と付属の変電施設建屋1棟、倉庫2棟が栃木県指定有形文化財となりました。
戸を収納するやつ
玄関
役職の違いによって社宅グレードは
めっちゃ変わります
意外と広い施設で500円の価値あります
でも…
防空壕あったのに見てくるの忘れた(^_^;)