去年 何度か見かけた野良犬を 

引き取ろうとして 結局 殺処分された

 

赤毛のワン

 

その時 怒り心頭で調べていたら

ある記事にたどり着きました…

 

 

それを今書きます(というか転載です( ̄▽ ̄;))

  



 

 

 

 

栃木県動物愛護指導センターに勤務する男性職員(50)が4月中旬に自殺していたことが22日、県への取材で分かった。県は、男性がパワーハラスメントを受けたことが自殺の原因とする外部の指摘を受け、近く内部調査することを決めた。
 県によると、男性は4月15日から出勤せず、20日に宇都宮市の河川敷に止めた車内で、遺体で発見された。県警は練炭を使った自殺とみている。
 
男性を知る動物愛護団体がパワハラを受けていたとインターネットのサイトに書き込むなどしているほか、5月21日までに同様の指摘、意見が電話とメールで県に50件ほど寄せられていた。
 
県は「指摘を受け、事実関係を確認する必要があると判断した。調査して(自殺が)二度と起こらないようにしたい」と話している。

2014.5.22 13:51 ニュース

 

 

 

動物のことをやりたいなら他へ行け 
~栃木県動物愛護指導センター・栃木県生活衛生課~
 

長年、栃木県の動物行政の中で、動物たちのために孤軍奮闘されていた山崎 重寿さんが職場のパワハラで自殺されました。享年 50歳・・・
以前から、栃木県動物愛護指導センターの上部組織でもある栃木県生活衛生課の現課長には他の人もいる席でだったり、また、センターの上層部から事あるごとに呼び出されてはパワハラを受けていました。

でも、センター犬で唯一の家族でもある「花子」が生きている間は頑張るというのが山崎さんの口グセだったのですが・・・

4月14日 山崎さんは職場のお休みの日でした。
午前中にいつも通り、犬のお散歩ボランティアを終え、お帰りになったそうです。

4月14日の 午後、突然、各方面の携帯に着信やメールなど、山崎さんから連絡が入りました。

長年、レスキューで頑張ってきたある方へのメールには、「急遽ここを離れることになりました○○さんには、ワンコのことで大変お世話になり、いつも感謝していました。どうかこれからもワンコの達のために頑張って下さいありがとうございました」

家族同然のお付き合いをしていた方へは感情が高ぶった様子で、電話があり・・・
職場に急に呼び出されて行ったら(栃木県動物愛護指導センター)センター長と総括から携帯を見せろ、(塩谷町の現場の)
団体に情報を流したのはお前だろうと言われたこと。
もう動愛は辞める。お散歩にはもう行けない。花子(センター犬で山崎さんの愛犬)のことをよろしく頼む。と電話が切れたそう・・・

こちらにも何回か着信が入ってただ事ではないのが分かったのですが、電話でお話しできたのは夜でした。

山崎さんは携帯を見せるように言われたこと。塩谷町の現場について、公務員しか知りえない数字を団体に横流ししたのはお前だろうと濡れ衣を着せられたこと。反論はしたけれど信じてもらえなかったこと。

そして・・・動物たちの置かれた環境改善のために頑張っていた山崎さんを普段から煙たがっていたセンター長と総括たちに・・・

「ここは動物のためじゃなく、人間のための職場だ。そんなに動物のことがやりたいなら他へ行ってやれ」と言われたそうです。

この日、山崎さんは職場を辞める決断をし、とりあえず、明日から休むと言ってセンターを出ました。
死ぬ覚悟をして・・・

その塩谷町の数字は、町役場の職員2名と栃木県動物愛護指導センターの係長が団体に話した数字でした。
そして、隠すような秘密の数字でもありません。

栃木県生活衛生課と、栃木県動物愛護指導センターは、自分たちにとって「ヤバい現場」を外部に知られたくなかった一心でいつも情報隠しをしていました。

そして、団体側や報道が動くたびに、情報を漏らした人間を探す犯人捜し・・・
そして、ついに現場を解決する努力もせずに自分たちの保身のために・・・
濡れ衣を着せて、人を一人殺したのです。

私も現センター長が栃木県生活衛生課にいたころその情報をどこで知ったのかと聞かれたことがあります。
どこで知ったかなんてそんなに大事ですか?
山崎さんのことは全く存じ上げない頃でしたが・・・

前センター長も問題解決に尽力してくださっている先生方との人間関係を詮索したり。
そんなことが何かに役立ちますか?

山崎さんに身寄りがないのは知っていたから自殺に追い込んでも公務労災にもならないことは生活衛生課課長もセンター長も計算していたでしょう。

居場所とやりがいを奪い、自分を否定され、唯一の家族である花子との時間も奪われて山崎さんは生きていけるわけなんてなかったのも栃木県動物愛護指導センターのみんなが知っていたはずです・・・

だからこそ、14日、山崎さんがいなくなった後、センターの職員が朝と夕と山崎さんの自宅を見に行っていたのでしょう。
センターは山崎さんを追いこんだら「何かが起きる」ということを知っていたのです。



山崎さんは身寄りがいないばかりに、火葬は宇都宮市生活福祉課が担当しました。
そして、その火葬の立ち合いには追い込んだ側の栃木県生活衛生課、栃木県動物愛護指導センターの職員ばかり・・・
もちろん職員の中には心ある人はいたでしょう・・・

しかし、追い込んだ側の栃木県生活衛生課課長と動物愛護指導センターのセンター長の「こいつ面倒くさいことしやがって」という逆に被害者面をはっきり見ることができました。

葬祭場に団体側の人間がいるのを見つけて固まっていた上層部。
騒ぎになる前にと会葬時間よりも早く、さっさと火葬を開始しようと、上層部の判断で山崎さんを窯に入れるような対応をしました。

駆け付けた団体側が会葬開始時間よりかなり早く火葬がはじまっていることを抗議すると栃木県動物愛護指導センター長
「会葬案内を出していないお前らが何で来るんだ!帰れ!」と怒鳴ったこと。


殺した人間が、山崎さんがお別れの挨拶を言っていた側の人間に言うことですか?

団体側に会葬案内は来ませんでした。
山崎さんの死を闇から闇へ葬るために。
山崎さんももしかしたら覚悟していたかもしれません。
私たちに迷惑をかけないように、負担をかけないようにそういうことを気にしていた人だったので。

今回のことで、各団体は情報や話を集めました。

山崎さんは不遇な育ちで、身寄りがありませんでした。

自分のことをかたくなまでに語らない人でしたが、幼いころに親戚に預けられ、悪いことをすると犬小屋に閉じ込められていたこと。
きっと、ここで犬たちと仲良くなったのだと思います。

そして、自分も不遇な育ちで身寄りがなかったからでしょう・・・
心から・・・本当に心から・・・センターに収容された動物たちに心から寄り添える人でした。

動物たちの適性判断は職員の誰よりも正確。
そして、いい子だから助けてやってほしいというお気持ちの中で、団体側やレスキューされている個人の方との交流がありました。

譲渡されてセンターを出る犬や猫には、抱っこして、頭を撫でてやって「おまえ、良かったな~幸せになれよ」と。

そして、私達には深々と頭を下げて「助けてくださって、本当にありがとうございました。この子のこと、どうかよろしくお願い致します。」とても丁寧で、優しく、お人柄がにじみ出る対応でした。

それだけのお付き合いでしたが・・・
でもそれが上層部に疑われる結果となり・・・
事件が起きました。

私たちはかけがえのない人材を失ってしまったのです。

だからこそ、県内の団体全部、そして個人的にでも助けてもらったいのちとご縁があった方たちがここまで山崎さんの死を悼んで、動いているのです。




おそらく皆様も目にされたことがある栃木県動物愛護指導センターの収容動物情報。
そこにも小さないのちのための山崎さんの細やかな配慮がありました。

センターに行った時に、私たちがわんこを出すときの判断材料で、抱っこされていたり、素手で触っている収容動物情報の画像を見て、この子は大丈夫そうだと思って選んだと話したら、山崎さんはにっこり笑って、「ワンコは汚くない、それに素手で触っている写真だと噛まないとか分かるでしょう?
俺が抱っこしていれば、噛まないとか可愛いとかいい子だってみんなに分かるじゃないですか!」と・・・

聞けば、職場の申し合わせなどではなく、山崎さんの想いで自分がやっているだけとのこと。

その時に初めて、収容動物情報ひとつとっても動物たちのために少しでもチャンスを広げようと私達でも気が付かないようなことまで気を配って努力していることを知りました。

ちなみに彼が抱っこしていた犬は私たち団体側が手を出す前に一般市民から希望が出て、一般譲渡で決まっていました。
彼は本当にたくさんのいのちをつないできていたのです。

上三川の犬達は共食いばかりがクローズアップされ、なかなか譲渡先が見つからず、山崎さんがいつか処分されてしまうのではないかと恐れていた上三川の虐待犬。
新聞社からの取材で犬を抱っこして見せていたのもそんな想いがあったからでしょう。
いい子ですよ、抱っこできるし、可愛いよって・・・

上三川の虐待犬達は、劣悪な環境下で糞尿のヨロイが体表面にガッチリ付いていて、シャンプーどころかバリカンも入らない状態の犬達でした。
シャンプーも何もしていないのにここまできれいにしたのは山崎さんだったそうです。
本当に汚い状態の犬達でしたが抱っこして、触って、そして自然にヨロイが取れてキレイになって・・・
犬達の心のヨロイも取れて改善していったのは山崎さんだからこそできたことです。

収容施設に勤めていた時は、せめて殺処分場に送られる前まで、自分のところにいる間はと、自分のポケットマネーで動物たちのベッドを購入し、特別においしいおやつやフードをあげていたそうです。
私も県南ドッグセンターは環境がいいと話は聞いたことがありました。

もしこういった配慮がなければ、度々皆様がご覧になる栃木県ドッグセンターのように濡れた冷たくて固いコンクリート床に
死ぬまで置かれるだけの犬達だったに違いありません。
体を休めたくてもぬれた固い床の上だけ。
寒くても寒さをしのぐことさえできない環境・・・
彼はどうしてもその環境を見過ごすことができず、個人的にできる限りのことをしていました。
「俺のところにいる間はせめて不自由させない」と。

でもこの件でさえ、上層部からは特別なことをするな!とことあるごとに注意されていたそうで、そのころから俺は職場の厄介者だからと言っていたそうです。

彼は、私たちでさえなかなかできないくらいのぜいたくおやつなどをたくさん準備し、動物たちのために自分のポケットマネーをはたく割には自分は質素な生活で・・・

朝早くにセンターに行って、身寄りのない彼の唯一の家族でもあるセンター犬の花子との時間を取ってお世話をしてから通常業務。お仕事が終わったら、自分がお願いして助けてもらったわんこさんたちのお散歩のボランティア。
帰りにスーパーやコンビニでおつまみを買ってビールを飲む。

唯一の家族でもある花子との時間を何よりも楽しみに大切にしていました。
二人でいるのを見ただけでも、誰が見ても分かるくらいの特別な絆だったそうで・・・

小さないのちに寄り添い動物たちのためにと頑張り続け、組織がいい方向になるようにと働きかけを続けていた職員に対しての仕打ちが彼から、やりがいや居場所を奪い、否定し、身寄りのない彼の唯一の家族を奪うことだったのです・・・

山崎さんは最後の電話の中で、「中から変えようと思って頑張ってきた。中から変える必要があると思っていた。中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。でもダメだった・・・もうダメだ・・・俺は負けたんだ・・・もう二度とセンターの門はくぐりたくもない。あんなところ二度と行きたくない。」と・・・

濡れ衣を着せられたことを怒りもしなかった山崎さん。

それよりも何よりも職場に対して常々持っていた疑問、捨てられて収容された動物や、悲惨な現場に向き合わず、情報が漏れたのではないかと犯人捜しをしたり、動物たちのためにと何かやれば、余計なことはするなと潰されていく職員たち・・・

俺は負けたんだと繰り返す中には、職場のあり方にただただ絶望していることしか伝わらなかったです・・・

職場を辞めるということは唯一の家族でもある花子と別れるということ。
今までは、花子が生きている間はここで頑張ると言っていた山崎さん。
ついに心が折れた時でした・・・

居場所ややりがいを奪われて、自分を否定されて、身寄りのない山崎さんにとって唯一の家族でもある花子と離れて生きていけるわけがなかったのにこちらもその時点で気が付くべきでした。

栃木県の動物行政の上層部はそのことを知った上で、そして・・・
身寄りがないことをいいことに追い込んだのです。
身寄りがなければ、労災にもならず、おとがめなしです。

そして私たちに知らさなければ彼を闇から闇へ葬ることができました。

山崎さんは自殺する直前の最後の電話で遺言ともいうべきお願いをしました。

山崎さんが家族同然だったお付き合いをしていた人その動物たちを守るような配慮をすること

上三川の虐待事件現場からレスキューされた犬たちで自分がトレーニングしていた犬達が殺処分されたりしないようにすること、譲渡先の確保

これからもできる限り動物たちを助けてほしいこと。

栃木県の動物行政は変わって行ってほしいこと。
いのちや現場に向き合ってほしいこと。

そして最後に一つだけ・・・。彼のわがままなお願い。
唯一の家族でもある花子のことをお願いしますと・・・


本当に最後の最後まで、自分のことより小さないのちに寄り添う人でした。

センター犬でもある花子ちゃんは今14歳くらい。
花子が子犬のころから山崎さんがハンドラーとしてついた犬だそうです。
身寄りのない彼にとって唯一の家族で、花子のことをよく娘だと言っていました。
びびりな子で山崎さんをはじめとするごくわずかな人にしか心を許さないわんこさん。

私は花子のことお願いしますって言われても無理だよ、会ったことがないし、びびりな子なのだから山崎さんがいないとダメだよ、大体、山崎さんだって花子がいないとダメでしょうって言ったら・・・

山崎さんは、穏やかにやさしく一言。「大丈夫だよ。どこにいてもいつか虹の橋で会えるから・・・」

絶望の淵でも忘れることがなかった花子のこと。
でももう会えないとなったときの「いつか会える」は彼のわずかな希望でした・・・

彼の引っ越しはいつも一時間で済む荷物だったそう。
ご自宅にはテレビとお布団だけが残っていたそうで着替えやタオル歯ブラシなどの日用品もなかったようで・・・ごみに捨てたのでしょうか。

あちこちにご連絡をしてお別れのあいさつをしながら大きなものだけを残し、部屋の後片付けをして、車に乗って最後の場所へ向かった山崎さん。

きっと、家族同然だった人のおうちを通って、いつも犬達とお散歩していたルートをたどってから最後の場所へ向かったはずです。

最後の場所も私たちの知っている場所でした・・・

 

 

 

 

 

 

【終】

 

 

さすがは栃木県

 

愛護は表面だけな腐れ外道ですね(≧▽≦)

 

 

 

 

 

ネット拡散だけでは物足りないと

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次回は いずれまた…