666
〇自称グノーシス一味が「初期のフリーメイソンはよかった」論を主張するのは彼らが英国系フリーメイソンの系列なので予防線を張っているつもりかもしれない。例えばミスターX666氏の主張はMKウルトラ計画との関係も指摘される米軍の心理戦専門家で「セト寺院」創設者のマイケル・アキノと酷似している。
〇マイケル・アキノはアントン・ラヴェイの悪魔教会のメンバーだったが、無神論的なラヴェイの思想に飽き足らずに「セトの寺院」という有神論的な団体を作った。アキノはアレイスター・クロウリーの思想の影響を受けている。クロウリーは英国の黄金の夜明け団出身。ミスターX666氏は明らかにこの系統。
〇この系列の典型的思想パターンを記述する。①人格神(サタン、エイワス、セト等)を設定。②その人格神が人間を作り人間に知恵を与えたという設定(古代シュメール神話に由来する人間観。聖書宗教と共通)。③知恵を授けられた人間こそ神である。④神たる人間は自らの力で万物を支配する事が出来る。
〇大体こんな所である。ミスターX666氏は自称「反基督教」だが、「ゴッドヘッド」なる基督教用語を使う。「ゴッドヘッド」とは基督教の「父、子、聖霊」なる三位一体説に由来する、実体論的な「神性」を表す用語らしい。猶太教にも使われる。日本語の検索では出てこない。「Godhead」で検索すると出た。
〇「Godhead」という基督教用語を使う時点で彼らの「基督教批判」が両建マッチポンプだと分かる。666氏は「西洋の方々」に教えてもらった(もうこの時点で欧化主義の異様な西洋被れ。掲げる「聖者」は白人ばかり)みたいな事を書いていたので、おそらく前述のような人脈から思想を注入されたと見ている。
〇自称グノの自称「反基督教」はアレイスター・クロウリーの焼き増し。クロウリーは基督教が支配する「オシリスの時代」から人間が神となる「ホルスの時代」になると主張。自称グノは「神」とは「宇宙のエネルギーを支配する者」と主張するが、これもクロウリーの「意志の強制」という魔術思想のパクリ。
〇クロウリー系の「グノーシス・カトリック教会」なる組織がある。オカルト界隈の「グノーシス」の強調はこの辺の影響と見る。マイケル・アキノはクロウリーの「エイワス」を「セト」に変えたくらいで思想教義の骨格はクロウリーを受け継いでいる。ミスターX666氏はこの系統の教義を盲信している訳だ。
〇666氏は「反基督教」と称しながら「ゴッドヘッド」なる基督教用語を使うように♨批判と称しながらカバラの「生命の樹(セフィロトの樹)」のシンボルを平気で使う。「知恵(コクマー)」に目覚め「ゴッドヘッド」に到達せよとの主張。彼らの猶太基督教“批判”は両建抗争以外の何物でもないと分かろう。
〇西洋魔術は基督教圏以外では広まらないらしい。西洋魔術が基督教文化と密接だからだろう。また英国系近代魔術結社はカバラを中心教義に据えている。猶太のカバラ抜きでは近代西洋魔術は成り立たない。となると、英国系の魔術思想に依拠する猶太教・基督教“批判”は両建マッチポンプであると結論される。
〇自称グノ一味のネタ元は英国系石屋、西洋近代魔術、神智学、それらの大衆普及版のニューエイジや精神世界。「アッパラパー・クロウリー」とでも呼ぶべきパチモノ集団に過ぎない。チープな連中だが、「西洋の方々」に直接仕込まれている可能性があると見る。うっかり信じて両建に嵌められないよう注意。
〇シュメール粘土板を解釈して「アヌンナキ(シュメールの神々の集団)とは宇宙人であり、その宇宙人が人間を作った」という「説」を唱えたゼカリア・シッチンの影響も見られる。シッチンは確かアゼルバイジャンのバクー出身の猶太人。バクー油田があるので、ロスチャイルドと深い関係がある土地である。
〇「人格的存在が人間を作った」という思想はシュメール神話に由来する人間観だと考える。聖書がそうだし、シッチンは「神」を「宇宙人」と言い換えた訳である。自称グノが主張する「サタンが人間を作り知恵を与えた」という世界観はこの系列。オリエントが起源。だから何度も「両建同根」と言っている。
〇自称グノ派の直接的なネタ元は古代のグノーシス主義ですらなく、地中海・オリエント地域の古代宗教を元ネタにして近代以降の欧米で製造されたオカルト思想(近代魔術や神智学など)や、その大衆普及版であるニューエイジや精神世界である。裏権力製思想を盲信しつつ裏権力批判という両建マッチポンプ。
〇ブロックされているので記憶で書いたが、ログアウトして確認してみたら当該ツイでは「知恵(コクマー)に目覚めよ」ではなく「知識(ダアト)を完成させよ」と書いていた。印度思想モドキですらなく余計にカバラ的である。猶太思想の影響下で猶太批判という両建マッチポンプ。
「666氏は「反基督教」と称しながら「ゴッドヘッド」なる基督教用語を使うように♨批判と称しながらカバラの「生命の樹(セフィロトの樹)」のシンボルを平気で使う。「知恵(コクマー)」に目覚め「ゴッドヘッド」に到達せよとの主張。彼らの猶太基督教“批判”は両建抗争以外の何物でもないと分かろう。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1267531365337059328
〇猶太人哲学者のフィロンが旧約聖書の解釈にプラトン哲学を導入し、それが基督教思想や新プラトン主義に影響を与えたとされる。また、プロティヌスの師匠のアンモニオス・サッカスは基督教徒の家庭に生まれた由。西洋神秘主義の源流たる新プラトン主義は最初から聖書宗教と近い関係にあったと言える。
〇アンモニオス・サッカスの弟子の一人に初期の基督教神学者のオリゲネスがいた。基督教の代表的な神学者と新プラトン主義のプロティノスは兄弟弟子だった事になる。新プラトン主義は後の西洋神秘主義の源流。その影響下にある自称グノ派の基督教批判は両建。それは思想史を辿ると明確に分かる事である。
〇666氏が執着している神智学は「至高の実在から光の如く放射された存在が人間である」という基本的教義を持っている。これは明らかに新プラトン主義の流出説に基づいている。神智学の源流の新プラトン主義は最初から基督教と深い関係にあるので「神智学は反基督教」という666氏の主張は間違いである。
〇新プラトン主義と基督教の関係を整理する。①猶太人哲学者フィロンの説が両者に影響を与えた(同根)。②アンモニウス・サッカスの両親は基督教徒。③プロティヌスとオリゲネスはアンモニウス・サッカス門下の兄弟弟子。結論:新プラトン主義を源流とする西洋神秘主義は「反基督教」ではあり得ない。
〇カバラは新プラトン主義の流出説抜きにしてはあり得ない。西洋近代魔術は新プラトン主義やカバラ無しにはあり得ない。このような西洋神秘主義の潮流を大衆化させたものがニューエイジや精神世界である。この潮流の影響下にあるのが自称グノ派。だから彼らの「基督教批判」は両建。順を追って証明した。
〇英国が発祥の西洋近代魔術は西洋神秘主義の流れから出たもの。西洋神秘主義の源流は新プラトン主義。新プラトン主義は基督教と密接な関係。これが先述した西洋魔術が基督教文化圏にしか普及しない理由だろう。黄金の夜明け団系の魔術思想の影響下にある自称グノ一味は基督教の思想圏内にいる事が明白。
〇自称グノ一味は一見ちんけな連中に見えるが、彼らの分析を通して裏権力の思想史の非常に重要な部分を分析する事が出来る。あのようなパチモノ的な思想的末端分子が出てくるのにも、その背後に深い思想史的文脈がある。裏権力の思想分析上は実はグノーシス主義より新プラトン主義の方がより重要である。
〇これは西洋人にありがちな仏教理解の典型。「空」と「無」の混同。実体論に執着する西洋脳には確かに「空」の理解は難しいだろう。「チベット」連呼する割に中論読んでないらしい。「空」は「縁起」即ち「関係的成立」。「理解できない」のは自分の勉強不足が原因とは思わないのかな?まぁ、頑張って。
〇666氏が言う「チベット」はあくまで神智学の幻想としてのそれである。中論を読んだ事があればあのようなア〇な発言をしないだろう。自分の理解不足、勉強不足を棚に上げて「中身のない、偉そうな!」と決めつけるとは。。中世の基督教の反知性主義そのものではないか(笑)とんだ「グノーシス」である。
〇666氏のように西洋の実体論に執着する者は「実体の否定=存在の否定=虚無」と思いがちである(ニーチェは実体論を批判しているが?)。実体の否定は存在の否定に非ず。むしろ逆。実体の否定は存在する事物について言われる。ある事物が存在し、その事物が「それ自体では成立しない」という事である。
〇老荘の「無」も「虚無」ではない。「道」という事である。存在が生成し、存在を成り立たしめる道理をそう名付けたのみ。易経には「一陰一陽これを道という」とあり。事物事象が生滅する生成の作用を「道」と名付けている。老荘の「無」はそれ。「玄」とも言う。だから老荘の学を「玄学」とも言った。
〇自称グノ一味は西洋被れ・欧化主義。それを証する特徴がその我欲主義・自己拡大志向である。これは西洋近代に著しい傾向で、紛れもなく基督教文明から出てきたものである。近代資本主義、帝国主義、新自由主義、グローバリズムなどの精神と同じ。ひたすら我欲を追求し、どこまでも自己拡大を図る志向。
〇我欲を張り、自己拡大に執着する事が「強い」とは限らない。老子は「天は長く、地は久しい。故意に生きようとしないから長生なのだ」と言っている。退くから進む。謙虚故に天下の先となる。無欲なら物事の本質を見抜ける。という老子の東洋的な叡智は自称グノ一味の如き欧化主義者には理解不能だろう。
〇我欲を張り自己拡大に執着するのはかえって死に近いと老子なら言うはずである。血気に頼る勇猛さは脆い。真の強さは木鶏にあり。力は必ず衰える時節あり。力に執着する者は力を失う事に怯える。現象が生起し消滅するという流れに一々執着しない平静さに真の強さを見出すのが東洋の伝統思想のあり方。
〇欲望を解放しろ、力を漲らせよ、ひたすら自己拡大を図れ!と執着する興奮状態は薬物で高揚した状態に似ている。実際、ニューエイジの教祖的存在であるティモシー・リアリーはLSDを重視した。「アヤワスカ」なども定番。興奮状態を「覚醒」として執着する神秘主義は元々薬物と親和性があり危険である。
〇儒家は陽剛の強さを重んじる。孟子は「至大至剛の浩然之気」を養い仁義を身に付ける為の修養法として「寡欲」を説いた。欲を少なくして身を修め、正しき行いを積み重ねる事で「至大至剛の浩然之気」が備わると説いた。欲望の解放ではなく節度に適う欲の制御によって強さ、剛の極みに至るという教え。
〇孟子は「放心を求めよ」とも説く。学問の道では外に心を放つのではなく内に収める事が重要であるとの教えである。我欲主義と自己拡大欲求で外物に心を引きずり回されると精神が枯渇しかえって弱くなるという事だろう。東洋の伝統思想や古典に徴すると、自称グノ一味の発想が如何に西洋被れかが分かる。
〇666氏が「廃仏毀釈」宣言。非常に劣化した形で蘇った明治の平田派のゾンビと言うべきか(笑)自称イルミナティの陰謀本に「インド仏教は虚無的」「密教は最高の宗教形態」「イルミナティの思想は密教」みたいな事が書いてあった。視野を広く持たないと他人が作った枠の中でタコ踊りを続ける羽目になる。
〇戦国時代のキリシタンやキリシタン神学の影響を受けた明治初期の平田派は文字通り「仏教を血祭り」に上げた。「ゴッドヘッド」なる基督教用語を使う新手のキリシタンが日本の伝統思想の破壊工作に乗り出す、というこれまでの対日思想工作のパターン通りだが、如何せん自称グノ一味は力不足が否めない。
〇「密教と区別」と言っているのがポイント。「密教」は様々な宗教に存在するとされるが、仏教には顕教と密教という区分がある。顕教を破壊すれば密教は只のバラモン教になる。おそらくそれが狙い。バラモン教は宗教者が支配権を握る階級制度を持つ。裏権力のNWO構想のモデルになり得るシステムである。
〇自称イルミナが「密教が最高」「イルミナティの思想は密教」と主張。自称グノは長年の仕込みに沿って踊っているに過ぎない。彼らの言う「密教」はおそらくエレウシス秘儀やゾロアスター教のような密儀宗教を指すと見る。古代の密儀宗教は秘密の教義と儀式、位階制が特徴。西洋の秘密結社の起源である。
〇秘密の教義や儀式、厳格な位階制を持つ密儀宗教は指導者のカリスマ性を高めるので「支配」に適した形態である。だから西洋の秘密結社の起源になったと思われる。「秘密の首領」を設定する黄金の夜明け団系の魔術結社、謎の「マスター」や「グル」を設定する神智学系団体もこの形態を引き継いでいる。
〇自称グノ派は、経験と観察を重視し形而上学に「無記」で処する仏教や「怪力乱神を語らず」の儒学を特に敵視していると見る。日本人を秘密結社的な思想で洗脳するには、経験と観察を重視し、形而上学的独断を避ける冷静な態度を特徴とするこれら東洋の合理的な思想哲学が何よりも邪魔という事であろう。
〇自称グノ派には我欲主義と自己拡大志向が顕著だが、欧米のルシファー主義やサタニズムと称される宗教の特徴がこれである。「ルシファーやサタンなどの名称で人格的存在を立て、その存在から力を与えられて万物を支配する」というのがその教義の要旨である。多分これが裏権力の中核的思想に近いと見る。
〇「ルシファー」やら「サタン」は彼らに「力」を与えてくれる存在と観念されている。生贄儀式の根底にあるのもこの発想である。生贄を捧げる事で力を得ようとする。傍から見ると狂っているとしか思えないが。自称グノらも「サタン」やら「アザゼル」を「神」「大師匠」と崇め力を得られると信じている。
〇自称グノはオカルト・パワーみたいなものを想定し、それを自由自在に操る者を「神」と称している。「帝都物語」という小説に「加藤保憲」という登場人物がいる。「魔人加藤」と称される。自称グノの“理想像”は「魔人加藤」みたいなオカルティストになる事である。そう説明するとイメージし易いだろう。
〇自称グノは「魔人加藤」みたいになる為に「サタン」や「アザゼル」を崇める。そうすればオカルトパワーを自由自在に操られる「魔人」になれると本気で信じ込んでいるようである。オカルト風味にしているが、根底にあるのは気象操作と同じ発想である。全ての現象を支配し操作したいという願望である。
〇魔人加藤をモデルにしたと思われるのが有名な格闘ゲームの「ストリートファイター」の「ベガ」である。「シャドルー」という犯罪秘密結社を率いて「サイコパワー」を操るという設定。自称グノ一味が「シャドルー」なら、666氏=ベガ、G氏=サガット、P氏=バルログ、WS氏=バイソンと言った所かな(笑)
〇小難しい説明を抜きにすれば、自称グノが目指しているのは「魔人加藤」や「ベガ」のような存在になる事であろう。オカルトパワーを自由自在に操る事。オカルト風味にしているだけで気象操作などと発想の根は同じである。魔術とか科学という形態の違いはあれどあらゆる現象を支配する事を意図している。
〇自称グノの四天王は666氏、G氏、P氏、WS氏かな。大ボスも含めて「四天王」というツッコミはさておくが、また新手が出たら666氏を格上げしてその下に四天王を配置してもよかろう。「サイコパワー」ならぬオカルトパワーを手にして「魔人」と化する事が彼らの可憐な願いである。中々愛らしいではないか。
〇外在的な唯一神を設定し、その観念への服従を強いるタイプの一神教はあくまで民衆支配用の思想ツールと見るべきだろう。裏権力の中核メンバーがそれを文字通り信じているとは思えない。「生贄を捧げ、引き換えに力を得る」というルシファー主義的な教義の方の裏権力の思想教義の中核に近いと見ている。
〇猶太教も後代になるほど「ヤハウェ」の観念よりラビの権威が相対的に上昇し、サバタイ派のように教祖をメシアとする教義も現れた。一般民衆向けには従来の猶太教・基督教をあてがい、裏権力メンバーは彼ら自身又は彼らに力を与えると設定する存在を「神」とする教義を持つという二重構造だと分析する。
〇自称グノ一味の主張は裏権力メンバーが信奉する思想教義の劣化版の如しである。ならどんな目的が想定できるか?従来の大衆支配用の一神教が不要となりNWOの「統一宗教」を登場させる地ならし、劣化版を普及させる事で裏権力の思想に同調させNWO化を翼賛させる等々。断定はしない。今後も要観察である。
〇自称グノが「あなた自身が神だ」と言うのは人工芝工作で「あなたが政治の主役である」と言って「民主主義」を騙り結局は民衆ではなく裏権力が支配権を握るのと同じ仕掛けである。「欲」に付け込み人々を操る手法は英国系石屋が得意とする手口と以前分析したが、我欲主義の自称グノはそれに該当する。
〇自称グノの「神」は基督教用語の「ゴッドヘッド(神性)」なので日本古来のカミ観とは何の関係もない。日本古来のカミ観では人間だけではなく「常ならぬ畏きもの」(宣長)は何でもカミとされる。「万物を支配しオカルトパワーを自由自在に操る魔人」とは聖書宗教の造物主観念を人間に当てはめただけ。
〇国際秘密力の中心教義の一つに「弱肉強食」を肯定する社会進化論がある。この思想を唱えたハーバート・スペンサーは基督教に批判的だったが、社会進化論は紛れもなく基督教文化圏で生まれた思想である。表向き反基督教でも思想の骨格が基督教文化の一形態の場合があるので注意すべき。自称グノはそれ。
〇英語版ウィキの「Herbert Spencer」の項目より引用:Although Spencer lost his Christian faith as a teenager and later rejected any 'anthropomorphic' conception of the Deity, he nonetheless held fast to this conception at an almost sub-conscious level. https://en.wikipedia.org/wiki/Herbert_Spencer
〇スペンサーは10代の頃に基督教の信仰を失い、「神の擬人化の概念」要するに「人格神」の概念を拒否したが、それでも無意識の内にこの概念に執着した、という事らしい。英語の読解に間違いがあれば申し訳ない。自称グノはこれと同じでは?表面的に基督教批判するだけで聖書宗教的神概念に執着している。
〇社会進化論を唱えたスペンサーは表向きはキリスト教の信仰を捨て人格神の概念を拒否したが、無意識の内にその概念に執着し続けた、らしい。ならば社会進化論に基督教の影響があっても不思議はないだろう。実際、社会進化論が正当化する西洋列強の侵略は基督教を掲げて行われた。自称グノはその片割れ。
〇明治に基督教のプロテスタントや啓蒙思想が流入した。スペンサーの社会進化論は当時大流行した。東大総長の加藤弘之や自由民権派など朝野こぞって社会進化論を信奉し、明治日本の主要なイデオロギーになってしまった。今の新自由主義はその延長だろう。自称グノが信奉するナチズムの根底も社会進化論。
〇スペンサーの社会進化論が無ければ「生存闘争」を強調するナチズムもない。新自由主義の根底にあるのも社会進化論。故に我欲主義・自己拡大志向の自称グノ一味はネオリベと同類と分かる。「オカルトパワー」を操り、他者を「粛清」し、万物を支配せよと。「オカルト風味のネオリベ」と言った所だろう。
〇「自称グノ如きの分析に何故時間を使っているのか?もっと重要な問題があろうだろう」と思う方もいるかもしれない。さに非ず。自称グノの分析を介して裏権力の本筋の思想を分析する事が本当の目的である。この分析で新プラトン主義やら密儀宗教やらスペンサーやら、どれだけの重要論点が出てきた事か。
〇自称グノは確かにつまらない連中かもしれない。だが、彼らの信奉する思想教義は裏権力の本筋の思想教義から来ている。非常に薄めた形の大衆流布版を無邪気に盲信している訳である。それを介してもっと奥にある裏権力本体の思想教義を分析する事が出来る。自称グノとの遭遇は分析のよい機会となった。
〇思想工作員はごまんといるが、裏権力本体がネット言論の場に出てきて論争するとは思えない。自称グノ派は裏権力のある思想派閥の思想教義を色濃く反映しているので、彼らの分析は裏権力本体との「模擬戦闘」になり得ると考える。末端の思想工作員の分析を介するという体で裏権力本体を突くのである。
〇裏権力の思想は大体「実体論」を基本とする。「常住不変の実体」という観念は「ワンワールド」とも相性がよい。思想工作員は「実体の否定」は「存在の否定」即ち「虚無」と決めつける。が、それは論理的におかしい。まずは「実体」とは「原因や条件によらず、それ自体で存在するもの」と定義出来る。
〇むしろ事物事象に「実体」を認める方が「虚無」になるというのが論理的帰結である。例えば、悪政に実体があるなら悪政を正す事は不可能である。悪政はそれなりの原因と条件によって成り立つ。悪政を正すとはそれらの原因と条件を変え、除く事である。悪政に実体がないからこそ悪政を正せるのである。
〇人間の心身に実体があるなら学んだり鍛えたりしても全く向上する事はない。実体は変化しないからである。また「善」に実体があるなら「それ自体」で存在するので人間の行為とは全く無関係なものとなる。努力も無意味。これこそ虚無でありニヒリズムである。このように実体論を突き詰めると虚無に陥る。
〇虚無論は実体論から出てきた。例えば、釈迦と同時代の「六師外道」と後に称された古代印度の非バラモン系哲学学派があった。その一人である「順世派」のアジタ・ケーサカンバリンは「地・水・火・風」という物質を実体視する唯物論を唱え、倫理道徳を否定し、ひたすら現世での快楽を追求せよと教えた。
〇パクダ・カッチャーヤナは「地・水・火・風」に「苦・楽・命」を加えた七要素を実体視する説を唱えた。七要素は独存する常住不変の実体で影響を与え合う事はなく人間の行為や努力は無意味とした。実在するのは七要素だけなので鋭利な剣で人を斬っても殺した事にならないというとんでもない主張をした。
〇七要素だけが常住不変に存在する実体なので人の行為や努力、倫理や道徳は無意味であり、例え鋭利な剣で人を斬っても七要素の間を通り抜けるだけであり人を殺す事にはならない、