愛は憎しみを超えて | ・:*:・゚'ひよこの修行日記',。・:*:・゚'☆・:

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心は一念三千。さまざまに変化します。私は、成長したであろうか。。。??運命は心という想念行為がつくり、今のあなたを生かしています。善を生かすよう、毎日修行中の円花です。私は、私の師に感謝の心でいっぱいです!!

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2015/04/10 16:42:38
愛は憎しみを超えて
テーマ:高橋信次師の正説

大悟者
高橋信次先生とは
偉大な悟りに到達されて人間の心の偉大性を説かれた

※ 説かれた内容が凝縮して端的に表現されています。
ご一読ください。


人はみな、正しい心の物差しをを忘れ去った時から、
欲望の泥沼の中で苦しみと悲しみの生活を味わっている。

人生の目的と使命を忘れ、そして死んでいく。
哀れな一生というほかはない。

しかし、生まれてきた時は、誰も丸い豊かな心を持っていた。
それが、生まれた環境・教育・思想・習慣の中から、
自らの性格を作り出し、
ある時には恨み、妬み、そねみ、怒り、愚痴、
足ることを忘れ去り、
自己保存、自我我欲の思念と行ないによって、
丸い心に歪みをつくり、暗い曇りで心を覆ってしまう。
そして多くの人びとは、心の光明を失って
盲目の人生を送ってしまう。

そして正しい法灯が消えた時から、心の眼が閉ざされ、
肉体五官を頼りにした生活が始まったのである。
その結果、人生における生活の知恵によってつくり出された
物質文明の奴隷になって、
人びとは本当の自分を失っていった。

そのために、物質、経済、地位、名誉、
その他もろもろの欲望を満たすため、
闘争と破壊を繰り広げて、混乱した社会をつくり出し、
自ら心の安らぎを失ってしまった。

誰もが、これではいけない、
何とかしなければならないと思っている。
が、暗中模索のままに、
ある人はその苦しみから逃がれようとして
宗教に道を求めてきたし、今も求めている。

しかし現代宗教の多くは、偶像崇拝、他力本願となり
光明に満たされた法灯の火は消えて久しい。
人びとは、盲信者、狂信者になり下がって
本当の自分自身を見失ってしまったのである。

心ない指導者たちの多くは、自己の欲望を満たすため
神や仏をだしに使って、
迷える多くの信者たちに心の公害を撒(ま)き散らしている。

しかし人間は、誰も神の子であり、
この大自然の姿 ― 美しい大空、緑の大地、山水などとともに
調和された世界にいるべきなのである。
そして太陽の熱、光によって、万生万物は相互の作用の中で
安定しているのが本然の姿なのである。

この姿こそ、神の大慈悲といえるだろう。

この大慈悲の中で、私たちの肉体舟もまた保存されているのだ。
そして、この肉体舟の船頭さん(魂・意識)こそ、
私たちの輪廻転生を繰り返していく本当の自分自身であり、
その中心が心である。

曼荼羅や他の偶像が人間に必要ならば、
生まれてくる時に肉体の一部として持たせてきたであろう。
曼荼羅も、あらゆる偶像も、人間のつくり出した知恵の産物
にしか過ぎないものだ。

大自然の調和された姿こそ、神の心の現われである。
神の意は、このように大自然の中に秘められている。
それは調和であり、調和は片寄りのない中道の道で、
慈悲と愛の塊りということだ。

この大自然の慈愛に、感謝する心が大切である。
そして報恩という行為が伴った時、
感謝の心が多くの人びとの心に
光明を与えることになるだろう。
それは人びとの心に調和への行為が実現されていくからだ。
これこそ万物の霊長としての、人の道といえるだろう。

このようにして、正しい法の灯火は、
その人びとの心と行いの中に点火されていくものだ。

片寄りのない中道の心こそ、
人生航路に必要な心の物差しなのである。
その心の物差しで、自らの思念と行為を反省し、
より心の境地を高めていった時、
人間は一切の苦しみから解脱し、執着心の愚かさを
悟ることができるものだ。
その時に心の曇りが晴れて、神の光によって満たされ、
心の平安が築かれていくだろう。

しかし、このような泥沼の人生を体験して、
心に光明を見出し、人生の目的と使命を知り、
自己の欠点を、勇気と知恵と努力によって修正し、
厳しい人生航路の荒波に揉(も)まれながら、
悔いのない人生を過している人びともいる。

この物語の主人公、三田村清もその一人である。

彼は不動産業と金融業で、十日に一割というような暴利で
莫大な資産をつくった。

しかし、彼は幼少時代に両親を失い、
厳しい人生を体験した結果、
頼りになるものは金以外にはないという考えになり
他人を信じなかった。
金のためには、どんな悪辣な手段でも実行して、
まったく情無用な商売をするのだった。
足ることを忘れ去った主人公は、冷血漢で、
ますます守銭奴に徹して、財産をつくっていったのだ。

しかし、この冷血漢の主人公も、病気には勝てなかった。
朝、仕事中に倒れて、
意識不明のまま入院してしまったのである。
主人公には、自分の生まれる前から現在まで
体験してきたその事柄が心の中に記憶され、
その体験が再現される。
この小説は、善なる心で自らの思念と行為を反省していく
その過程を物語にしたものである。

そして天上界より神の声を聞き、
今までの間違った人生を指摘され、
欲望の炎を消していく。
慈愛の心が芽生えた時に意識が戻り、
再出発の人生を歩むという筋書である。

そして欲望の空しさを、人びとに教えていくのだった。

この作品は、”もう一人の自分”魂が、
肉体舟を離れて次元を超えた世界を訪れるという
著者自身が体験したドラマをもとにしたものである。
そして、善なる心、嘘をつけない心こそ、
本当の自分自身だ、ということを明らかにした物語である。

昭和四十八年三月十日

著者 高 橋 信 次
(著書「愛は憎しみを越えて」より抜粋)

是非読んでみて下さい!私は泣きながら読みました。心円

 

心円さんの記事より転載いたしました!


ありがとうございました(*^◯^*)!


円花。