正法者のスタートラインに立つ心構え | ・:*:・゚'ひよこの修行日記',。・:*:・゚'☆・:

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心は一念三千。さまざまに変化します。私は、成長したであろうか。。。??運命は心という想念行為がつくり、今のあなたを生かしています。善を生かすよう、毎日修行中の円花です。私は、私の師に感謝の心でいっぱいです!!


「法灯は絶対に絶やしてはなりません」(高橋信次先生)




誰にも邪魔されずに幸福になれる人(17)

-実践⑨-


今、苦しい環境にある方は

「感謝なんかとてもできない!」

「自分は、まじめに一生懸命にやってきたのに何故!」
「世の中は不公平だ!」
「神仏なんかいない!いるなら何とかして欲しい!」

などと、思われる方々が多いのではないでしょうか。

確かに、表面意識に囚われた「偽我」で70年足らずの短い人生の
出来事を常に損・得という物差しで測りながらこの社会を見ていると
不公平や不平等と感じるところがあまりにも多いものです。

私自身もそう思っていた一人ですから良くわかります。
しかし、
反省から、自身の潜在意識に内存された「善我」を発見して
永遠の魂を自覚した、その転生輪廻の人生感で
この現象社会を捉えてみるとそこには神の存在というものを否定できず、
「神仏は大調和意識のエネルギーそのものである」と悟り、
過去に対する猛省と感謝の涙しか無く、
不平不満などあろうはずもありませんでした!

それまで社会通念で知らされていた「神仏」像と言えば、

何か巨大な霊的超能力を持った、人格的な生命が存在していて
それでいてこの世あの世を自由自在に操れる存在であり、
それを人々は「神として崇めている」というものです。
そしてその神仏に祈ったり、お詫び(懺悔)をすれば、

そのような人々だけを対象に助力や幸福の采配を
揮ってくれるのではないか、
というような錯覚を起こし、
あわよくば「助けてもらいたい」などという

それは「人間神の子の尊厳」を忘れ去り、
依存心にまみれてしまっているから、
そうなるようです。

そこには、不平・不満・怒り・愚痴・恨み・妬み不信・不安・ などの
本能と感情だけに偏った思念と行いしか生まれない事になり
損得勘定から上記のような不平等感に苛まれるようになるのです。


正しい反省を通して見てみると、まったく180度違った認識が生じます。
何もかにも「当たり前に起こっていると錯覚している事象」に対して
数え切れない感謝に満ちていることに気づくはずなのです。

そこに気づかない限り、高橋信次師の説かれた

「祈りとは神仏の心と己の心の対話である
同時に感謝の心が祈りでもある」

ということがチンプンカンプンで全く理解できない事になり
「心行の祈願文」のこの根幹が全く意味不明のままですから、
正法を理解したとは、まったくもって言えないのです。


この現象界で、物質的にどんなに恵まれていても
無常である物質に対する欲望・執着に囚われ、
足ることも知らず感謝の念もないから心に安らぎはなく

病や事故にみまわれて、不安や苦悩に苛まれ生き地獄から、
等速度運動で進み当然にあの世の地獄へ堕ちていきます。

 
反対に、例え物質経済的に恵まれていなくとも
足ることを知り、感謝の心を持って普通に生活に尽力し
虚栄もなく、心を貧しくすることもなかった方々の心は、
既におおらかな天上人ですから天上界へと帰っていきます。
この集大成が、立派な感謝に対する「報恩行為」なのです。
 

この現象界を、今生しかない、という
人生を70~80年の短期間で考えてしまうと
物質的には損得勘定からして不公平にも見えるでしょうが

魂の転生輪廻という、久遠の生命を悟れば
不公平というようなことは決して神の意識の中にはない事が
わかります。

ですから、高橋信次師は転生輪廻を実際に現象として見せることで
皆さんの「短い人生」という価値観が生みだしたものは錯覚であり
本来の人生は「永久不変の魂」という価値観に基づかなければ
ならないと、天上界に帰られる直前まで
再三再四、演壇に立たれ、力説されたのです。
 
訳のわからない過去世を知って有頂天になる人々や、
霊能力を身につける欲望にまみれ、当て事をしたり
病気を治したり(本当は完治せず再発する)、
はたまた悪魔の囁きを如来の通信としてひけらかして

自分の自尊心を誇示する人々や、
高橋信次師の力にすがるだけで、他力の極みの全託をする人々を
魅了するために、高橋信次師は転生輪廻や霊能現象を見せたのでは
決してなかったのです。

しかも、通常私たちには、姿かたちも心も見えない悪霊は
アラハン以上心の一部を除き一般人の心は全部見通していますから、
その人が好む欲望に沿って、迷妄に引きずり込む間違った閃きや、

色々なものを見せたり、当てたりして守護霊のごとく振る舞い、
除霊と称して、強い霊が弱い霊に命令し離れさせるからくりで
一時的に病気治しが出来たように錯覚させたり、
様々なことをやってのけますので、私たちは錯覚をしてしまいます。
その為に混乱はさけがたいように思われまますが、
正しく反省して、「自己の悟りのレベルや己心の欲」を直視すれば、

おのずと悪霊の仕業であるぐらいのことは誰にでも見抜けるものです!

ですから、一過性の除霊?は出来ても浄霊は絶対にできません!


さて、また高橋信次師が、多くの人々に未来を託したことは事実ですが、

託された事実や過去世や霊道などは何の意味も重要性もありません。
いや、無価値といって良いでしょう。
 

重要なことは、
その託された人々が「正しく悟っているか」どうかということです。
悟りを得て、心と行い・言行が一致して調和しているかどうかが
問われており、悟っていなければ、
高橋信次師に対する裏切り行為にあたるのです!
 

また、
反省の中で神に対する、「心からのお詫び」という行為も

やっと神との対話が始まり、心と行いを正す固い約束を交わし、
二度と同じ過ちを犯さない実践がなければ無効なのです!


未来を担う人々に、法灯を託したことも未来を予言をしたことも、
結果として、

成就するか否かは私たち個々の魂のあり方と、


正法の正しい実践によるものであり、


決して、高橋信次師の責任ではないことを知るべきでしょう。



ですから、まず、潜在意識の久遠の生命という価値観の下、
私たちの周りにある、ありとあらゆる事象を正しく見て、
本当は、感謝が溢れていることに気づき、
因果律に従い
報恩行為の実践により、

「絶対自力」で幸福を勝ち取らなければなりません。



例えば、テレビで天気予報をやっていますが
雨の予報に対して、憂うつなもの、また忌み嫌うようなコメントをし、
晴れの日には、賞賛するようなコメントが
画一的に表現されていますが、明らかに間違いである事に
気づかれるはずです。

私も、正法を知る前は雨を嫌で煩わしいと思っていた一人です。

しかし、この雨は慈雨であり
地上の汚れをきれいに洗い流し、
二酸化炭素を栄養源にして酸素を作る草木を緑豊かに育てる。
この「慈雨」と「草木」と「太陽光」のたゆまざる営みがあってこそ
酸素と食物を確保し人類は生きていけるのです。

私はこの事を小・中学生で既に勉強してきたはずなのに
そんな事も忘れてしまっていました。
仕組みは学んでも感謝の念は学ばなかったと記憶しています。
 

それに気づいた時、慈雨に対する感謝の心が全くなかったことに
気づき恥じ入ったものです。

正法を知って以降は、雨が降る度に草木の歓喜を感じるようになり
「この慈雨がなければ私は生きていけないんだ」
という事に対して、素直にありがたい、と感謝できるようになりました。


例えば、病気をして苦しみます。
しかしその病気を通じて、健康の素晴らしさを知る。
そして、その病気の原因は何であったのか、と反省をして
不調和の原因を取り除くことができたのであれば
病気も感謝すべきありがたいものに変わります。

変えるのは人ではなく自分自身の心のはずです!!!!


また、こう考えてきますと
小さな事故から天変地異に至るまで、自己に降りかかる災いは
全て感謝の対象となりうるのです。
それは、自己の幸福への導きと、自己の魂の成長と、他の生命との
調和を造り出す気づきと大きなチャンスであるはずです



例えば、反省をして自己の過去の思念と行いを見たときに
「醜い自分」というものを見ると愕然として、
心が暗くなり、小さくなり、落ち込んでしまうものです。

私も一時期はそうでした!
しかし、そのような自分を責め裁いて、苦しむなどというような事は
いまだに「自己保存」という偽我であるが故にそう思うのだ
と自覚できたのです。
 

皆さんが反省を通して守護・指導霊がやっとあなたに幸福の道標を
伝える事が
できて、あなたがそれを受信する事ができたなら、
喜びにひたると共に、孤独から開放された感謝すべきありがたく、
祝うべきひとつの立派な悟りであります。

何故それが出来ずに、暗く小さい心になってしまうのでしょうか?
何故それが出来ずに、猜疑心や不安にあおられるのでしょうか?
それは、

足ることを知らぬ欲望に執着しているからです。
心の根底にある欲望を捨て去れば、
善我の希望だけが残ります。

これが正法者のスタートラインに立つ心構えなのです。

反省を通して見た、醜い自己に落ち込み、投げやりになり
自暴自棄になり、責め裁くという思念と行為は
完全に「偽我による錯覚」であることを知ってください。

そして、自己都合の楽なほうへ楽なほうへの解釈癖は
正法からドンドン遠ざかってしまう魔界の囁きであることを!

例えば、私は事業をやっているのでよく分かるのですが
長期的に見ると事業に浮き沈みはつきものです。
取引先や、関係者から、
その過程で起こる多くの難解な出来事をクリアして行く中で、
「前代未聞ですね」「奇跡的だ」「よく乗り越えられますね」
「しぶといですね(笑)」
というような事を、ずっと言われ続けてきましたが
これは正法ありきで、並々ならぬ苦境の中を
正しく努力し実践してきたからこその評価であり、
社員共々実感しています。

資本主義経済という、もっとも厳しい環境での
正法実践の会社経営とはどういうものか、
と多くの苦難を実体験として勉強をさせていただいているので
感謝以外の何ものでもありません!
 

その証明はいよいよそう遠くないしかるべき時期に
明らかになるでしょう。

 


以上のように、感謝という概念は

拾い上げればきりがない程、私たちのまわりに存在していますが、
それを、当たり前のように錯覚してしまい、
現代社会はそれらを全く無視して、自己の幸福だけを追い求める
人々の姿になりさがっているのが、残念ながら現状なのであります。

(次回は報恩行為に続きます)


心円さんの記事より転載でした!!



私は、心円さんとのやりとりにより

大切なことに気付きました(>人<;)



前回の記事にて、何故に??っと疑問を抱きましたが、


「変えるのは人ではなく、自分自身の心」

なんです(>人<;)!!



教えてくださる師に対する感謝の心を皆さんが表現してくだされば!っとどこかに執着していた私でした(>人<;)



正法を学べば学ぶほど、面白いくらいにいろいろなことを発見しています!



心の根底にある欲望。。


それらを捨て去ることができたら。


そしたら


善我の希望だけが残るのですね!



自己の幸福だけを追い求める人にはなりたくないものです!



私一人でも、しっかり真剣に歩みたいです( ´ ▽ ` )ノ!




ありがとうございました!



円花。