私は、かつて大手企業で働いていた。
超難関と言われるその企業に入社できたときは自分が誇らしかったし、高給のお陰で何不自由のない社会人ライフを満喫できた。



でもそんな環境と引き換えに、
私は自分の健康と神経をすり減らしていた。



普通の人以上に周りに気を遣ってしまう性分、
自己犠牲も厭わず頑張ってしまう癖、
自分を優先できない気質、



そんな自分が集団のなかでずっと最高のパフォーマンスをしようと頑張ると、必ず無理が出て歪が生まれるのだ。



それに気づいていながらも
毎日毎日疲れ果てる日々をただ当たり前のように繰り返していた。



そんな自分が、結婚し母になったことで、
久しぶりに育休という長い休みを得た。



娘と向き合う穏やかな日々。
誰にも気を遣うことなく、ただただ娘の健康と成長を見守る毎日。
そんな環境に身を置いていると、もうあの戦場には戻れない、と思ってしまった。



そして何よりも、娘の近くに居たかった。



私は自分自身が両親からほとんど目を向けて貰えなかった。
一緒に遊んでもらった事もないし、
手すら繋いで歩いた経験もない。
放っておかれた寂しい幼少期を、
自分の娘には経験して欲しくなかったのだ。



その頃はまだコロナ前で在宅やテレワークなど皆無の頃。
仕事=出社、数年経てばすぐにフルタイム復帰、
が当たり前の風土だった。



そんな環境に自分が戻れば、
きっと今度は娘を後回しにしてしまう。



何よりも、こんな可愛い娘を保育園に預けて
一瞬しかない幼少期の可愛さを他人に譲りたくなかった。



自分が一番欲しかった母からの愛情や関心を
娘には余すことなく与えたかったし、
母として娘と過ごす時間は、
私にとっては会社や出世やお金なんかよりも
もっと価値のあるものだった。



そして、私は何十年と勤めた会社をスッパリと退職した。
それは自分で決めたこと。
自分と夫で決められたのだ。



同期や友人は皆、もったいない!正気か!?という表情で私の決断を聞いていた。



その決断から約10年、
あの時の決断は、私にとっては正しかった。
 


確かに収入面では減ってしまったが、
何にも変え難い娘との日々が、記憶や写真や娘の中に残っている。



娘が産まれるまでは、
自分の人生はなんだったんだろう‥
私は何のために生まれてきたのか‥
とよく考えていた。



でも、娘の存在のお陰で、
自分の人生にも幸せがあった、
と言えるようになった。
娘と過ごす時間は、これまで頑張ってきた自分へのご褒美のように思えたのだ。



娘を大切に育て、幸せな幼少期の記憶をもった
健康な大人にしてあげる、それが今の私にとっての喜びであり目標になっている。



娘が成人し、いつか自分の手元を離れる頃には、
また別の喜びや目標を見つけていられるようにしたい。