スパルタインチキ塾で必死に頑張る私にとって、
もう一つの地獄は、母との勉強だった。
塾がない日は、
毎日母から勉強のレクチャーがあるのだ。
あんたは勉強始めたのが遅いから、
他の子よりも遅れてる。
だから私が勉強みたるから。
初めはそう言われて、
母に構ってもらえると思い、嬉しかった。
しかしいざマンツーマンの勉強が始まると、
母のヒステリックが爆発した。
母は主に社会の暗記ものを私に教えていたが、
私の物覚えが悪いと、いつもヒステリックに怒鳴り散らして激昂した。
ほんま物覚えがわるいな!
私でも覚えられることが、なんであんたは覚えられへんの!?
もう受験やめ!!
あんたに勉強教えてると、私の頭の血管が切れるわ!!!
こんなようなことを散々怒鳴り散らし、
毎晩私を深夜まで参考書で縛りつけた。
ある日、あまりにも長い時間母と勉強していた私は、手が痙攣して動かなくなったことがあった。
連日 深夜1時2時まで勉強し、眠気に負けないように自分の腕をつねりながら、母の説明に必死に食らいついていた。
そこまで頑張る娘に、
もちろん母は褒めたり優しい言葉をかけることは一度もなかった。
自分が子供のときのほうが賢かった。
あんたは賢くない。
ようくんが普通の子やったら、絶対ようくんのほうが賢かったのに。
思い出せるだけでも様々な罵倒が飛んできて、
心身ともにこの時期の私はいっぱいいっぱいだった。
どうしてこんな苦しい思いをしないといけないのか。
この地獄はいつまで続くのか。
受験だけても辛い時期だったが、
それに兄関係の諸々や、両親の夫婦喧嘩などで家が荒れている時には、私はもう何もかもが嫌になり、
何度かカッターで自分の腕に傷をつけた。
今考えるとなんて愚かなことをしたのたろうか‥
と当時の自分を戒めたくなるが、
その時の私はそんなことも分からないくらい幼く、
あまりにも多くの色々な負担と苦労が、その幼い子供の小さな肩にのしかかっていたのだ。
どれか一つでもなかったら、
きっと私の心はもう少し違っていた。
もし母が頑張ってるね、大丈夫?と一声かけてくれるような母だったら
もし兄が普通の兄で、息抜きの外出などで周りの目を気にしたり恥ずかしい思いをすることがなかったら
もし両親が仲良くて、夫婦喧嘩で始終ギスギスした家庭でなければ
もし を考えても仕方ないが、どれか一つでもなかったら、私は自分の細い腕にカッターなどを突き立てることはなかったと思う。
でも当時の私には、親、兄弟、勉強、この現実、全てから逃げたくなるほど重い重いストレスがのしかかっていた。
そしてそんなある日、
どうしても辛くなった私は、母に泣きながら訴えた。
もうこんな生活いやや!!!
自分の腕をカッターで切った。
死んでしまいたい!!
そんなようなことを泣きながら叫んで、母に自分の辛さを訴えた。
ようやくこれで母にこの私の辛さを理解してもらえる。
そう考えていた私は、甘かった。
母から返ってきた言葉は、
30年以上経った今でも忘れない。
続きます。