ショックで意識が上の空の私は、もう まな板の鯉状態で、ホテルのスタッフに促されるままに支度を済ませ、気づけば披露宴が始まっていた。
私の不安はまだ終わっていない。
そう、披露宴会場にも兄がいるのだ。
チャペルに引き続き、
落ち着きなく枡席に座っている兄。
高砂からは一番遠い席のはずなのに、存在感が半端なかった。
私の目と耳と意識はまたもや兄のもので、
お願いだから大人しく座っていてほしい、と
せめて一刻も早く兄の前に料理が運ばれてくる瞬間だけを待ち望んでいた。
各テーブルの近くに待機しているホテルスタッフの方々の目も奇妙な兄に釘付けで、
ヒソヒソと何かを話している姿を目にするたびに、
また兄のことで笑われているのかな‥と
私は幸せの絶頂であるはずの日に、よく分からない被害妄想に取り憑かれていた。
披露宴も中盤に差し掛かったころ、
やはり兄はここでも走ってひとり会場から退場した。
ただ、チャペルのときとは違って広い会場、
しかも大きな音楽や話し声にかき消され、
兄の脱走はチャペルの時ほどは目立つことは無かった。
しかし、兄が出て行ったそのあとを、
子守役として隣に座っていた父が追いかけて外に出てしまったのだ。
それから兄は会場に戻ることはなく、
父も兄に付き添っていたので、会場に戻ることはなかった。
自分たちで作成した誕生から出会い、結婚までのビデオムービーも父は観ることもなく終わった。
私が主役のはずなのに、
私だけを見てもらうべき日のはずなのに、
なぜ父は今ここに居ないのか。
考えると泣けてくるので、
私は考えないようにした。
その後、私も幼い頃から知っている母の友人がスピーチをしてくれた。
母の幼馴染のそのおば様(愛称 たかちゃん)は、我が家の近くに住んでいて、幼い私はよくお家にも遊びに行かせてもらった。
保母さんをしていたたかちゃんは、
子供の扱いも上手だったし、何よりも私にとって、私だけを見てくれて、私の話をちゃんと聞いてくれる、唯一の大人だった。
たかちゃんは、幼い頃の私の楽しいエピソードやどんな性格の子だったか、よくやっていた遊びなんかも詳細にスピーチしてくれた。
挙句には、今も家に飾っているという、幼い私が書いた額縁に入った絵まで持ってきて、すごく素敵な絵を描く子だったと話してくれた。
兄とのエピソードも沢山話してくれて、
兄想いの優しい子だと、母親以上の優しさと温かみに溢れたスピーチをしてくれた。
この人が母親だったら‥
なぜ他人が私のことをこんなに覚えてくれているのに、実の母親は幼い私の記憶が殆ど無いのだろう。
そんなことをぼんやり考えながら、
嬉しくも哀しい気持ちでそのスピーチを聞いていた。
そして披露宴もクライマックスになり、
私から母に向けた手紙の朗読の時間になった。
続きます。