私の娘は小松菜が嫌いだ。
お値打ちで癖も少ない小松菜は、
葉物野菜として重宝するのでよく買うのだけれど、
煮浸しや炒め物、何を作っても娘は小松菜が入っていると嫌そうに食べている。
そんな娘の様子を見ていると、
母のあの一言を思い出す。
私が高校生になると同時に、
母はカフェを開店した。
社長になるのが母の幼い頃からの夢だったようで、食べることも好きだった母は、一念発起してカフェをオープンさせたのだ。
有り難いことに、オープンしたてはお客さんも多く、母は毎日疲れ果てて帰宅していた。
帰宅した後に夕飯の支度をしている母の辛そうな様子を見て、高校生になっていた私は、少しでも母の助けになりたいと、いつしか自ら夕飯の支度をするようになった。
レパートリーは多くないけれど、
料理本の力も借りながら、毎日学校から帰宅すると一生懸命夕飯を作った。
初めて作った夜、
母は
わー。ありがとう。助かるわ。
何もしないで食べられるなんて嬉しいわ!
と珍しく素直に喜んでくれた。
私はそんな母の喜んだ様子が嬉しくて、
もっと役に立ちたいと張り切っていた。
もっともっと母に喜んで欲しいと、
健康志向の母のために、煮物やお浸しなど、
和食中心の慣れないメニューを一生懸命作っていた。
そんな日が何日か続いたある日、
いつものように夕飯を作り母の帰宅を待っていた。
その日のメニューは、確か小松菜の煮浸しだった。
わざわざ出汁もとり、
小松菜や揚げを薄口で味付けしたもの。
母がよく作っていたので、それに近いものができた!と私は自信満々だった。
今夜も母は疲れているだろうから、
きっと喜ぶだろうな‥
そうワクワクしていた私に、
帰宅した母は、何故かイラつきながらこう言った。
もー、こんなもんばっかりウンザリやわ!
疲れて帰ってきてるねんから、食べるもんくらい美味しいもの食べたいねん!
もう作らんといて!!
私は自分の耳を疑った。
娘の手料理に、この人はいま何と言ったのか‥
これまで数々の言葉を浴びせられてきたけれど、
まさか、この人はいま怒っている!?
私は言葉の意味をすぐには理解出来なかった。
自分の目の前にいる母は、喜ぶはずが、なぜか鬼の形相になっている。
ただただ、私はぼんやりその顔を眺めていたら、ようやく気づいたのだ。
私の手料理は迷惑だった
不味かったのか、メニューが気に食わなかったのか、理由は分からないが、
母にとっては、私の作る料理は本当は嬉しくなんてなかったのだ。
それなのに、毎晩毎晩作って待っていて、
さぞかし迷惑で苛立っただろう。
ありがた迷惑、独りよがり、私の手料理は、母にとってはまさにそれだったのだ。
今も葉物の煮浸しを作って食べるたびに、
この日の私のやるせない気持ちが思い出され、
苦くないはずの小松菜が、なぜか少し苦く感じてしまうのだ。