8月15日の終戦記念日を迎えるたびに
私は父方の祖母を思い出す。
父方の祖母は山陰地方の山奥で静かに暮らしていた。
祖父は、父が赤ちゃんの時に戦争で亡くなってしまい、男ばかり4人兄弟を、祖母は田舎でひとり育て上げたのだ。
農業の収入だけで4人とも大学を出し、立派な大人に育てた。
そんな強い祖母だったが、
私は父方の祖母にはお葬式でしか会えなかった。
毎年みかんを送ってくれる祖母に
お礼の電話で少し話したことはあったけれど、
幼い頃に写真すら見たことはなく、
祖母が90歳を超えて亡くなったときのお葬式で
初めて対面した。
棺に入った祖母の顔を見て、
悲しいというよりも、こんな人だったんだ…
が私の正直な感想だった。
なぜ祖母に会えなかったのか。
それは、母が一度も父の実家に里帰りをしなかったから。
母が言うには、
障害のある兄が産まれたときに、
祖母から心ないひと言を言われた、ようなことを言っていた。
それが原因なのか、障害児を産んでしまったという引け目なのか、はたまた人間関係が濃い田舎に兄を晒して噂にしたくなかったのか…。
理由は定かではないが、兄と私は一度も父方の祖母の家に行くことはなかった。
父は一人でたまに里帰りしていたけれど、
私に同行するか?と聞いたことも無かったし、
当時、あまり話さない父よりも何かと母に従っていた私は、無意識に自分は母側、という気持ちがあり、祖母の家に行きたいとも言わなかった。
亡くなったときのお葬式で、
祖母と親しくしていた従兄弟たちが、
祖母の亡骸の横で涙している姿を見て、
私も祖母のところに来てみればよかったな…
と漠然と思った記憶がある。
母方の祖父母は兄を可愛がっていたけれど、
父方の祖母は、健常者の私を孫として可愛がってくれただろうか。
あんたなら恥ずかしくないよ!と
近所の人に孫として披露してくれただろうか。
中学生の私は、お葬式の時そんなことを考えていた。
いま、娘が夫側の祖父母にも可愛がられ、
従兄弟たちと楽しく遊んだりしている姿を見ると心が和む。
私の方には従兄弟は作ってあげられないけれど、
夫の方だけでも親戚がまともで良かった。
そういつも思うのだ。