セミの大音量で暑さも増す今日この頃。
駅まで歩く道すがら、ふと近所の公園が目に入った。
子供たちの元気な声が聞こえてくるはずの公園も、この暑さのせいでガランとしていて、蝉の声しか聞こえてこない。
娘が幼稚園生の頃は、我が家もよく一緒に公園に来ていた。
もう公園で遊ばなくなったのは、娘が何年生からだろう‥、ふとそんなことを考えた。
公園といえば、私の実家の近くにも大きな公園が幾つかあった。
一つは遊具が沢山ある公園で、もう一つは芝生の大きな広場がある公園。
どちらも大好きで幼い頃よく遊びに行ったけれど、どちらの公園にも親と行ったことは殆ど無かった。
遊具のある公園には、何度もねだって、ようやく母が一度ついてきてくれた記憶がある。
いつも一人で遊びなれていた遊具を使って、
こんなに高く漕げるんだよ!とか
こんなに早く登れるんだよ!
と、ただ佇んで見ている母に、一生懸命に披露した覚えがある。
ひとしきりお披露目が終わると、
母はそのまま帰って行った。
母は、
障害のある兄が居るから、
私の面倒まで見てられない。
絵本読むのもおままごとするのも、
公園行くのもボール遊びするのも、
すべて自分だけでやらなくっちゃ。
幼心に私は自然とそう理解して、
いつも何でも一人でやっていた。
一緒にやって!
一緒に行きたい!
ママも!
そう言っても、必ず母は兄の存在を盾にして私にNOを突き返していた。
だからそのうち何も言わなくなって、何でも一人でやるようになっていた。
結婚して子供を産むまでは、
母は兄のお世話で大変だったんだもん。
仕方ないよね。
そう思っていた。
でも、自分の娘を育ててみて分かったのだ。
絵本を読むのもおままごとするのも、
公園行くのもボール遊びするのも、
どんなに忙しくてもできるのだ。
可愛い娘のためならば
少しの時間があればどれもできるのだ。
そう分かったとき
いつも畳の上にゴロンと横になって
ずっとテレビを観ていた母の姿が思い出された。
そうか、
母はただただ私の相手をする気が無かっただけだったんだ。
テレビを観る時間は山ほどあったし
いつも外に出れば近所のおばさんたちと何時間も立ち話をして帰ってこなかった。
つまり、私のために割く時間が無かったのだ。
自分の娘の育児を通して
私はあの頃の母が自分をどう思っていたのかを理解してしまったのだ。
私のなかの幼い自分が不憫でならない。
ずっと母は兄で大変だから我慢しなくっちゃ、
と健気に一人でなんでもやっていた小さな自分。
あの我慢は何だったんだろうか‥
そう考えながら駅までの暑い道をとぼとぼと歩いた。