チャンミンだけはやめとこう。

そう決めていた。

 

なのに、チャンミンを抱いてしまった。

 

 

 

 

俺は事務所の屋上に来ていた。

ひと気がないこの場所は事務所の中で一番気に入ってる場所。

むき出しのコンクリの上から見下ろす街は夕焼けに染まって綺麗だった。

だけど、ここは寂しい場所だ。

華やかなだけでは生きてはいけない、と言われているような気になる。

グラグラと揺れる不安定なまるで砂の城の上に立つみたいな人生に、

いつか足元をすくわれるのかと不安になる毎日に、

俺は少し疲れたのかもしれない。

 

とうに短くなったタバコにさえ気づかず、ただ道行く人を見ていた。

 

「あつッ・・!」

タバコの火が人差し指に小さな火傷を作った。

思わず地面へ投げ捨て、足でそれを踏み潰す。

 

タバコはやめろ。

 

何度も言われてきた。

「情熱家で正義感が強く、模範的なリーダー」なはずの俺は

本当はタバコの1つも辞められない人間。

禁煙しようとして、挫折して。

それの繰り返し。

今はもう辞めようとも思わなくなった。

それに今は、誰にもそんなことを言われなくなった。

誰かに注意されるほど、自分も若くなくなったということだろう。

最後に注意されたのはいつだったか。

チャンミンからの小言を思い出し、おぼろげな記憶に少しだけ笑みが零れた。

 

それなのに俺はパンツの後ろポケットからもう1本、タバコに火をつけた。

禁煙を約束したわけじゃないのに、どこかチクリと痛んだ気がした。

 

 

チャンミンと暮らしだしたのは冬の始まりだった。

それから数ヶ月。

もう季節は夏へと変わろうとしている。

初めてチャンミンを抱いたあの冬の日のことはきっと一生忘れないと思う。

季節がどれだけ変わっても、まるで昨日のように鮮明に覚えてる。

 

夏至を過ぎてもまだ日の高さは変わらない今日みたいな日でさえ、

ふと思い出してしまうぐらいに。

 

明るい夕暮れ時。

梅雨の晴れ間に喜ぶ仕事終わりの人たちが嬉しそうに帰宅するのが見えた。

 

 

俺は、この季節が嫌いだ。

梅雨ほど人を振り回す季節なんてないだろ。

 

昔の俺なら、梅雨の晴れ間の今日のような日をあの人たちと同じように

嬉しそうに歩いていたんだろうと思う。

 

 

だけど、除隊後。

俺は変わった、と思う。

 

取り戻さなくては、という気持ちは募る一方だった。

 

やりたいこと。

やらなきゃいけないこと。

そんなことで頭がいっぱいになる。

 

いつまでもトップでいれない現実は自分が思ってた以上に早くやってきて、

後輩たちの背中が遠くなっていく。

それを茶化して笑い話にして、そうやって受け入れて、

いつしか諦めていく自分がいた。

 

時代の波とか

そういうのじゃなくて

 

引き際、っていうの

何となく考える時期なのかなって

 

漠然と考え出すと怖くて仕方なかった。

 

 

ヤケになれるほど若くもないし、

結局仕事をしてもどこか不完全燃焼でそのまま家に帰るのが嫌だった俺は、

仕事にぶつけられないやり場のない思いを、酒と遊びで誤魔化して

それでも、当然のようにやってくる朝に怯えながら

毛布に包まって眠る生活が今の自分にはちょうど良くて。

 

なのに。

 

チャンミンが入り込んできた。

 

「大丈夫?」

なんて、心配そうな顔して俺を覗き込むんだ。

 

大丈夫なわけ

ないだろ。

 

お前は、近すぎる。

 

近くて、近すぎて

心が耐えられない。

 

 

だから、抱いた。

ひどく抱いたんだ。

 

怒るだろうと思った。

翌朝にはこんな俺に嫌気がさして出て行くだろうと思った。

もしかしたら、「解散する」なんて言うかもしれないとも思った。

 

なのに、お前は次の日も次の日も普通の顔して俺の横にいるんだ。

罵って殴ってくれれば少しは気が楽になるのに。

お前は何も言わずに、いつも通りに俺に笑って話しかける。

 

夕飯はどうするのかとか

明日の天気とか。

 

罪悪感と後悔でいっぱいいっぱいの俺は

それが苦しくて、余計に家に帰りづらくなった。

 

迷惑をかけてるのは分かってる。

それなのに、寂しくて、

結局俺はお前に甘えてしまう。

そして、

酔って帰るたびに、お前が玄関を開けて俺を部屋まで運んでくれる。

 

酔いのせいにして、もたれかかった肩越しに

「仕方ないですね」って言いながら背中をさすってくれる大きなその手のひらの

温かさ。

それをいいことに、俺はまたお前を抱く。

お前は拒否しない。

 

なぁ、俺たち。

どうなってるんだ?

 

聞こうと思っても聞けないまま

季節だけがまた過ぎようとしていた。