ユノが、起きてた。
心底驚いたときって、言葉も出ないって本当らしい。
僕は何も言えずに耳元で囁かれるユノの吐息まじりの声に集中するしかなかった。
「途中でやめるなよ。」
さっきまで律儀に電話越しでペコペコ頭を下げてた人間とは思えないぐらいの甘く低い声。
僕は思わずユノの肩をぐっと押し返した。
勢いでボスっとクッションに頭を落としたユノとふいに視線がぶつかった。
酔いのせいなのか、赤くなった目で僕を睨み付けるような見つめるような今まで見たことのない、そんな視線だった。
「ちょっとふざけただけだから。」
苦しい言い訳しか思いつかない。
周りには酔いつぶれてるとはいえ友人たちがいる。
小声でバツが悪そうにしか言えないこの状況は更に僕を不利にさせる。
「そんな顔してるのに?」
「別にしてない。」
「抱いてやろうか?」
「は?」
「抱いて欲しいんだろ?」
僕は自分の耳を疑った。
ユノはまっすぐに僕を見つめていた。
ただ、じっとまっすぐに瞬きもせずに。
きっとユノは悪酔いしてるだけだ、明日になれば全て忘れてる。
だったら、僕も酔ったふりをしてずっと触れたかったその体に触れてしまおうか。
そして明日になれば僕らは何事もなかったかのように、離れ離れになって今この瞬間のことも、これから起こるかもしれないことも綺麗さっぱり忘れてしまえばいい。
そんな馬鹿げたことが頭をよぎった。
「どうする?」
そっと僕の頬に触れたユノの掌は酒のせいなのか、いつもよりずっと熱かった。
それなのに指先だけは冷たくて、まるで現実と夢が混じったような気持ちにさせる。
この暖かくて冷たい掌で触れられたら僕はどうなってしまうのだろう。
考えるだけで鳥肌が立つような、期待と絶望が交差しながら僕を惑わせる。
そして選択を迫るように僕の頬を優しく撫でるユノの手を、僕はやっぱり握り返してしまった。
現実なのか夢なのか。
この手を握ればどっちにしても、もう昨日までの自分に戻ることが出来ないのだと分かっていながら僕はそれを選んだ。
僕が握った手をユノが一瞬強く握り返す。
たったそれだけの事で不安が一瞬にして消えてなくなる。
「行こうか・・・」
ユノがスッと音もなく立ち上がって、僕の手を引いて一番奥の部屋を指差した。
今から僕らはどこへ向かうのだろう。
あの指差す方に何があるのだろう。
そこへ足を踏み入れてしまったら苦しむことは分かってる。
それなのに抗えないのは、もうきっと僕はずっと何年も前からあなたのことが欲しかったから
なんだと今なら分かる。
押さえ込むことはとても難しいはずなのに、
扉を開けることはこんなにも容易いことだなんて思わなかった。
僕はきっと変わってしまう。
ユノは、きっと変わらない。
ただそれだけが不確かな未来の中で唯一の確かなこと。
静かに開けたドアの向こうには眠る為だけの殺風景な部屋だった。
大きなベッドに、いつ洗ったんだか分からないシワのよった白いシーツ。
半分だけ開いた紺色のカーテン。
脱ぎっぱなしのシャツに、空になったペットボトル。
あなたがここで暮らしてるという証拠みたいな部屋。
そこに落ちてるシャツは昨日着てたヤツ、あっちに転がってる本は日本で買ったけど
読めなくて途中で諦めたやつ。
誰にも見せないあなたの内面を僕だけが知ってるみたいな、変な優越感。
こんな気持ちになれただけで、満たされる心。
なのに、今夜はまだ欲しがり続ける。
もっと貪欲に、もっと欲張りに、どんどん僕という人間が変わっていくような気がした。