名は体を表す。京本大我は大きな我と書く名前通りに育って生きている。

 

音楽の日の京本大我は相当「大我」だった。big自我。

突如リーゼントのような髪型で登場したbig自我さんはデビットボウイを意識してたそうだ。

そして以前から暴れていた継続の「こっから」を披露していた。

 

叫ぶし、サングラスするし、なんかすごい変な動きしてるし、髪型すごいし、スーツ白いし、エアギターするし……

 

好きすぎる。

 

 

 

自分がこれがいいと思ったことを貫かねば気が済まない。正解が見えるとそれをやりおおせずにはいられない。そして自分の頭に思い描いたものを具現化できるという自負がきちんとある。big自我からは、そういうことを感じた。

 

そういうbig自我とそれを叶えるに足る実力があることが見てて私はすっきりする。

 

ウケるかどうかより、自分の思い描いた正解をやりおおせるかということに主眼が置かれているところも好きだ。big自我たるもの、そうでなくてはならない。

 

自分でもどうしようもない衝動と焦燥とイラつきに突き動かされて思い描いたものを達成するまでは止まらない癇癪を抱え、思い描いた仕事をやりおおせてしまったときにはじめて平穏な心を取り戻せるような、そういうものをやっている人が好きだ。

big自我師匠はそういう人に思えるんだけど、どうだろうか。

 

そういう、big自我としてやってしまったことというのはもうどうしようもない。事後にはいかなる批評も受け付けない。もう、自分では納得してるんだからどうでもよいという域にいくだろう。

 

ただ、この人とはうまくいきたかったのにという人の前でbig自我が発動してしまって、その積み重ねでうまくいかなくなるととても悲しい。自分が自分であることがとてもつらくなる。

 

私はけっこうそれで恋愛に失敗するのですが、big自我師匠はどうですか?師匠はそんなところも好きだというところにもっていくのがうまそうですね。学びたいところです。

 

しかし、big自我師匠を見ていると自分のやりたいことをやり、尊厳を踏みにじってくるやつは容赦なく蹂躙してしまえばいいというふうに思える。

 

私は女性として、師匠はアイドルとして、構造上では同じ眼差される立場にあると思う。別に欲しくない評価をどうでもいい人から受けることが多い立場だと思う。望まない目線や評価を受ける前にこちらから好きなことをして全部蹂躙してしまえば良い。理解の及ばない人間になって、よくわからないことを言っているとかやってるとか、思われてたほうが楽だし楽しいし、無難なものにはまずもってまったく時めかないし。

突き抜けたなにか…そういうものじゃないと嫌だ!そんなふうに思うのだけれど、師匠はどう思いますか。

 

 

big自我、京本大我さんはやっぱり私のアイドルであると思ったのでした。