「松の大樹の下」・・・桜井識子さんの記事 | 閲覧注意:木湯辺レイの怖いピアノブログ

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2024です。何がいつ起こるか、知る人は知ってるので、知らない人はただ待つしかない。松しか。

神社の鳥居の意味がわかったところで、思い出してしまった有名人、桜井識子さんのブログを拝見したら、、、

 
面白かった😆。

リブログというのは、勝手にしても良いらしいので、記事そのままを貼りましたが、
 
言いたいことは、文字色が変わった部分です。(以下、抜粋)
 
 

「正成さまが戦死される直前、湊川堤防に一族郎党を集め、全員が身に付けていた神仏の護符を全て集め、神仏を血で穢してはならないからと、川沿いの松の大樹の下の稲荷の祠に納めた」

 

とのことです。

 

メッセージを下さった方の感想も書かれていました。

 

私は楠公さんの、そんな瀬戸際にすら神仏に対する礼儀を守る心に、なんというか、「真(まこと)の人」と感じました。

 
(抜粋終了)
 
出ました、まつした、松の大樹の下 !
 
この表現は、そのままで、当ブログ既出ですね。
 
以下、wiki 『松下幸之助』より。
 

生い立ち[編集]

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出典検索?"松下幸之助" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年10月)

少年時代の松下(左)

1894年11月27日和歌山県海草郡和佐村千旦ノ木(現:和歌山市禰宜)に、小地主松下政楠・とく枝の三男として出生。家が松の大樹の下にあったところから松下の姓を用いたとする。

 

(転載終了)

 

家が 松の大樹の下 にあったんだって ! ( ´艸`)

 
この記事を書いたとき、ヘンな言い方だ、と言いました。普通、松の大木の下、と書くだろうに!と言いましたが(あるいは家を覆うような松の大木があり、とか)。
 
これを見れば、「松の大樹の下」というのが、どうやら固定フレーズだったようですね、その道の人たちには。
 
家康の大樹公も、大樹生命も、「松の大樹」なんですね、ほかの木じゃだめら。
 
 
そして面白いのは、この霊能者さん、なんと1962生まれで私と同い年だったのですが、昭和らしい素朴と正直、無邪気な無防備感、がなんとも好感を誘うのですが、
 
神社仏閣に参拝しては、神様と会話して逐一報告してくださるこの方にして、、、
 
やはり、知らんものは知らん、のですね。
 
「松の大樹の下」の意味を、教えてくださる神様は、、、!
 
絶無なんでしょうねぇ。
 
まあ、知らない方が、幸せ ですもんね。
 
幸せ、という字は・・・
 
もうええわ。