夫の人生を風化させたくない。
そんな思いから書き進めています。
夫はクラリネットを愛していた。
中学の時、楽譜は読めないけれど吹奏楽部でクラリネットに挑戦。
その中学は吹奏楽が盛んで、初心者でもビシバシ鍛えられたらしい。
そこからどハマリし、高校、大学、社会人になってもずっと続けていた。
神奈川の社会人吹奏楽団で出会った頃(私は短大生)は、やたら楽しそうにクラリネットを吹く飄々とした人、というのが第一印象だった。
しばらく活動して、ある日私は夫に話しかけられる。
私はひどく緊張症というか年上の人と話すのが苦手で、その時も何を話してたのか全く覚えていない。
更に断るのが苦手な私は、夫から誘われるがままにたまにご飯を食べに行ったりした。
8歳も離れているので、敬語からタメ口になるまでえらい時間がかかったのを覚えている。
合奏中、ましては練習の時でさえ、人に自分の音を聴かれるのが恥ずかし過ぎる私に対し、夫は真逆で、とにかく吹く事自体が大好きなようだった。
指もよく回るし、音もまとまりがあってやや深みのある感じ。私はホルンを吹いていたが音は綺麗に出すことを心がけてはいたものの、テクニカルな部分は夫には敵わなかったので羨ましかった。
数年後、所属していた団体が吹奏楽コンクールの全国大会で金賞を受賞。
しばらくして、実家の暮らしが苦痛過ぎた私は引越ししたいと夫にもらすようになった。
だが就職したてで資金がない。片道1時間半の通勤生活にも辟易していた。
そんなある日、とある居酒屋で
「引っ越す?入籍する?ていうか結婚する…?」
と、まさかのプロポーズを受ける(笑)。
願ってもみなかった事態に、私は緊張しながらも承諾させて頂いた。
本当に、即断・即決がモットーな人だった。
結婚指輪も後日買いに行った(笑)。
プロポーズからは嵐のように時間が過ぎていった。
引越しも、後のマイホームも、全て夫主導で事がドンドン進んでいった。
途中病気しちゃったのは仕方がないけれど、最終的に子供2人にも恵まれ、私は幸せだった。
夫は自宅で友人・知人を呼んで飲み会を開くのも大好きだった。コミュ障ぎみの私は後片付けにいつも疲れていたけど…。
そんな折、当時夫の職場の先輩が自殺する、という大変痛ましい事が起こった。
その人は家での飲み会も2回ほど来てくださっていた。
夫も私もひどく悲しみにくれた。同じ鬱病だったから?そうかもしれない。
独身男性だったので、誰か支えてくれる人がいたならあるいは…と当時は思っていた。
夫はその先輩の弔問をし、毎年お墓参りに行くようになった。
「鬱になると、死ぬのが怖くなくなる。私も再発したら治らないだろーな。」などと、夫はこぼしていた。
その頃から私も、かすかに不安を感じるようになっていった。再発しないようにしないと…でもどうすればいいかは分からなかった。
のちに地方へ異動すると、夫の即断・即決力がだんだん弱くなってきたように思えた。
何だかずーっと考えている事が多くなった。
でもお酒はやめられないので、毎日ワインや日本酒やビールなどを買ってきては家で晩酌した。
私も付き合ってベロベロになることもしばしばあった。
クラリネットは細々と続けていたが、仕事の悩みまでは払拭出来ないようだった。
もうその後は…これまでのブログの通り。
確かに夫は存在していたし、沢山おしゃべりしたし、確かに14年間共に生活していた。
絶対に忘れないよ。
絶対に。
本当に
ありがとうね。