月を追うごとに、少しずつ薄れていく夫との記憶。
夫は、幸せと感じる時はあっただろうか?と
ふと思った。備忘録としてここに書き記しておきたい。
夫は院卒で就職したのち、ヘッドハンティングで関西から関東に転職。
その後私が先に所属していた、神奈川の社会人吹奏楽団に入り出会う。
はじめは夫の方から声をかけてくれて。
さらに付き合って9ヶ月で入籍してくれた。
しかし1年後に上司との折り合いがつかず夫鬱発症。
自宅で私がみながら、通院で治療した。
9ヶ月で寛解。その後子供が出来るまでは国内の色々な場所に旅行に連れて行ってもらった。
夢のマイホームを立てたのち、母同居からの母追い出し事件を経て5年後に関西への異動を言い渡される。
私は正社員からのパート、からの引越しで専業主婦に。
関西に来てからは、夫の職場の状況が色々と凄まじく悪く、夫を中心として改革を迫られた。
今思うと、異動してからだんだんと元気が無くなっていったように思う。
コロナ明け間近の22年秋、職場の人間関係に深く悩み、アルコール依存からの鬱が再発。
何だか、私と一緒になったお陰で色々と負担をかけていたんじゃないか…とも思う。
家計も、何もかも、私は夫におんぶに抱っこ。
夫も責任感が強く、裏方で色んな管理に厳しかった。
一家の大黒柱としての責任。
中間管理職としての責任、板挟み。
資産運用も色々手を付け、各種保険をかけ、家のローンも払い。
家でも仕事でも、色んな責任ばかりがいつしか雪だるま式に大きくなり、ついに耐えられなくなってしまったのだろう。
本当は自由でいたかったはず。
もっともっと好きな事をしたかったはず。
大学の頃の写真は、満面の笑みばかり。
こんな感じで、あっけらかんと、飄飄と生きていきたかったはず…。
いつのまにか、荷物をいっぱい背負わせてごめんね。
収入も、知識も、逆立ちしたって貴方には勝てなかった。
でも、私は一緒に旅行したり、ゲームしたり、美味しいものを食べたり飲んだりしたのが本当に幸せでした。
私の子供時代からは想像も出来なかった豊かな生活。
亡くなった今も、遺してくれた家や財産にお世話になっていて。
私は、感謝しか出来ない。
毎日ありがとう、ありがとうって、手をあわせる事しか。
もう一度会いたいなんて、贅沢な考えなのだろう。
これだけ幸せな思いをさせてもらったのだから。
貴方の大切な命、無駄には決してしません。
いつか生ききって、向こうで元気に会えるように。