決定の習慣 | ひとやすみの日記

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自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

わたしには
子供の頃から何かを決定する習慣がなかった。

さっき息子にら「あなたが決めなさい」と
言ったときに思った。

わたしはこうやって
決定する責任を取ってきただろうか、と。

子供の時から
この決定と、その結果が招く責任を
自分でとる習慣を持ってたら
また人生の種類が違ったのかも知れない。


まず、選ぶということがほとんどない。
母から用意された服、文房具。
安い、一般的なもの。
髪型。

子供時代にえらべたものなんて
あったかなぁ。
アイスすら選べず、用意されたアイスをたべていたかもしれない。

小学校の何年生かな。
駄菓子屋でお菓子を買うようになったとき
「選ぶ」ということを知った。

限られたお金の中で
自分で選んで買うのだ。

くじつきのドーナツやチョコ。
スーパーボウルのくじ。
水飴、ヨーグルト、餅。
たくさん買った。

母親の引き出しから100円玉をそっととって
買いに行ったこともあった。
悪い子よね。
まぁ、4年生とか5年生、6年生のときだよね。
今のこはそんな買い食いするかしら。

私たちはしまくってたけどね。


そのお菓子を選ぶことは
責任を産むわけでもないけどね。


わたしは
我慢で育ってる子供。

だから
選べないのだ。

 今の若い子たちは「選ぶ」ことは
当たり前だと思っている。

感覚が違う。
羨ましい。

しかし、もうこんな風にそだっちゃったから
その形ですすむのさ。


選ぶことが
できない理由。

それは、なんだろね。
進むことすら選べない。

多分進まなくて良い時期だからなのかな。
わかんないけどね。