開いた記事の彼女の画像と
文を見て
涙がボロボロ出てきた。
生きようとしてる。
生きることが当たり前でないからこそ
生きようとしている。
彼女を見た後に
普通のニュース記事をみて
外見が美しい女性の画像を見たけど
彼女と比べたら
浅い輝きで
見た目が美しくても
何にも深みを感じない。
真っ白な塗り絵の台紙みたいに見えた。
お世辞にも造形的に美しいといえない
死期直近の
病的な顔。
それでも
目は輝いて、今を誰よりも
思いっきり、生きていた。
真っ白な塗り絵の女性と比べたら
彼女は輝きを放つ神々しい、そう、戦神のよう。
信じる人が周りにたくさんいて、
皆、彼女についていく。
なんで戦の神かって
彼女は、決して力が抜けてなくて
今を生きようと
必死だから。
意識的に人間の生を「生きている」。
力。方向性を強く持つ、力。
だから
そう感じた。
当たり前のことは
皆、当たり前。
私も真っ白な塗り絵の台紙みたいだろう。
生きるのが当たり前だと思ってて
息子と生きることも当たり前だと思ってて
健康なのも当たり前だと思ってて
両親揃ってるのも当たり前だと思ってる。
ないものを見て
もしくは実際にない体験をして
あることに
感謝をすることは
たくさんある。
だけど、
生命は。
息子は。
失ってからは
どうしようもない。
毎日が当たり前のように過ぎて
当たり前な人ほど
輝かないのかもね。
なんて。
私は生まれつきないものが
「性質的」に多かったから
あることは
ありがたいと思う。
だからこそ
人との関わり方を大切にする。
魂と心で
調和した状態を大切にする。
私の武器は
魂と心と考えが一つにシンクロした時に
大きなパワーになること。
その時は無敵。
大切なのは
そんな瞬間を与えてくれる
環境。
人の助け。
感謝だよね。
本当にさ。
息子も旦那も
親も義理の親も上司も
ありがとうございます。