ものを感じる日
つまり同時に
「信じる」ことを
感じる日だった。
息子の友達が
嘘をついて
息子を悪者に仕立て上げた。
結局
真実は
わかったけど
私は何故か
相手の親に怒られるわ
学校からでんわくるわ
メンドクセー展開に。
私は息子はそんなことをしない
何かがおかしい、と
そう思った。
しかし、
巻き込まれて
こんな気持ちにさせられたのには
理由があるのさ。
私がもともと持ってるものが
呼び起こされた、
それだけなんだもん。
そとから
不信は来たわけではない。
中にあるのさ。
私が私を
信じていない。
それ。
息子、夫
息子の友達
同僚
部下
みんな信じられない。
でも
本当に
みんなを信じていたいのに。
息子は信じて
話を聞いた。
でも
もしかしたら、という
ハラハラ感はあったのだ。
人間だもん。
感情的になって
もしかしたら
言ってはいけないことを
いったりすることも
あるかも?と
ほんのちょっと
息子というか
人間という生き物そのものを
疑ったのだ。
しかし
結果は真っ白で、
安心するとともに
相手の子とその親にメラメラと怒りが湧き上がり。
でも。大人だからね。
ちゃんと、相手を立てつつ冷静に話して
結果、事実判明し、向こうが謝ったけどさ。
そのあと、だんなの給料みて
あれ。休出結構あったくせに
これだけ?
完全にちょろまかしてる…と不信に。
そのあと
もはや疑うことに疲れ
グッタリ。
もう、全てわかんないや。
こんな風に
疑わせる世界を
恨んだけど
疑うのは
私の中にある
私に対する気持ちであり
私自身が
私を信じてないのかな、と
思った。
信じたいんだよ。
本当に。
そしたら
幸せだよ。