「普通ではない」と
集団の中で感じたからだ。
そのような時代を幼い時期に長く過ごしたことが
おそらく理由だ。
「普通」であるためにはつまり
「標準」を知るためには
振り幅の極値を知らなくてはいけない。
そういった理由で優劣と言う事が発生する。
優劣の中に自分を置くことにより
自分が集団の中でどの位置にいるのかを知ることができる。
これは良し悪しではないと思うのだけど
私の中の思い癖である。
やはり幼い時に馬鹿にされたり
いじめられたり
周りの人より下だと格付けされた人間は
優劣の中で生きることを、まず選ぶのである。
なぜなら優劣の中で自分が人に格付けされたのだから、
その中でまず這い上がってやろうと言う思いがあるからだ。
しかしそこから脱出するのだろうか。
いや、完全に脱出なんかしなくてもいいのかもしれない。
というか、人間に生まれたからには
完全に優劣から脱出するなんてことは不可能だ。
では降参して
「優劣の世界もありだね」
でも
「ただ自分はそうある」「世界は1つ皆1つ」
「そこに価値は何もない。ただそうあるだけ」
と言う両方の世界を行き来するのはいかがだろうか。
私は実際にするやっている気がする。
優劣の世界ズッポリではなく
私は私として生きることもできる。
どっちか一方に偏って生きると言う事は私には難しいようだ。
だから私にとって優劣の世界を決して否定できない。
子供たちが競争から外されてしまって
勝負、挑戦にやる気が希薄になっているといわれる現在。
果たして競争はその子のためならないのか。
いや、兄弟姉妹
既にその存在がある時点で競争ではないのか。
人間の中にもともと備わっているものなんだから否定はできない。
ただ偏りすぎるなと言うことだと思う。
優劣や競争の社会を否定しすぎると
社会性のない奇妙なバランスの人間に仕上がるし
逆に優劣にばかりこだわりすぎると、私の相方さんのように自己防衛ばかりにこだわりすぎるようになる。
どちらもあって当然だ。
競争心がない人間はきっと退屈。
他人との競争心じゃなくてもいい。
自分との競争。
闇雲に自分は自分でいいんだよ、とか
別に誰に勝てなくてもいいんだよ、とか
それも現実的ではないね。
私は息子に
「勝て」という。
やはり、勝ちは大事だし
そこに努力をしてるなら、負けたら
悔しく思うのが、大事だ。
優劣や競争を否定しない。
これが今の私の課題だったんだね。
よしこの優劣社会の中でも「自分自身」でがんばるぞ。