誰が表現しても同じ世界 | ひとやすみの日記

ひとやすみの日記

自分のための整理ノートです。
   
読んでくれても ありがとう☆

最近周りの人間が
イライラしていた。

どうも、感情のコントロールがイケてない、というか
そういう技量的に未熟なのかな、とか。

部下や同僚にいろいろ気を配っていた。


ところが今日、イライラしやすい人は休み
イライラしやすいもう1人は収まりを見せ
さらにイライラしやすい案件がすんなりとまとまった。
不気味なくらいに。

そしてうちに帰ったら。

旦那が子供のランドセル踏んでイライラしていた。

バカだなあ。ほんと。
物に当たるなんて。

と子供と白けた顔で呆れていた。

なんて束の間
宿題をだらだらとする息子に
今度は私が着火。

珍しくも。

怒鳴る、怒る。


そのあとも、
中途半端に謝りにきた息子を許さず
怒る。

息子、泣く。


でも私は納得出来なくて
子供がしっかり理解するまでと、と
怒り続ける。


そして
ふと気づく。


あ、
周りがイライラしなきゃ
私がイライラするのか、と。


職場の人がイライラしなきゃ
旦那がイライラするのか。

または私か。

旦那は私に怒られる息子に寄り添う。

フン。



おもしろい。

見える世界は誰が表現しようと
私自身そのものなのだ、と

感じずにはいられない。


私がイライラしないで済むのは
周りの人たちが感情制御の苦手な方たちなおかげである。



その人たちをみて  アラアラ…
と思うこと。

未熟だな、何やってんの、とか
批難したくなるのは
みんな、私の世界の私の分身だからなのだ。


何も感じなくなれば
ホッホッホ、なんだけどねえ。


さて、これからも?
イライラと一緒に生きることを選ぶかな?

どうしようかな。 笑